引っ越しの顛末:『ゴドーを待ちながら』を思い出した。

この、長引く引っ越し騒動で一体、私は何を学んでいるのか?再度、この国の成り立ち、その原点に戻らねばならない。大抵の場合、低所得者や移民達 vs 悪どい大家とのいざこざが絶えず、ニューヨーク市はいわば移民や部屋の借り主を守るための移民法(や、テナント法)を作った。弱い立場の人々を保護するためである。

少しずつ時代も変わり、アパートやハウスの借り主(店子)もサバイバルゲームを開始した。同時に、悪どい大家と弱者の店子、というパターンも崩れてきている。弱者のはずの借り主が、部屋やフロアを分割してルームメイトを募るケースも激増し、(これはケースバイケースで、大家が了承すれば問題はさほど生じない)借り主はルームメイトを入れることで自分自身の家賃を浮かせる、または差し引き少額は手に残る、というメリットがある。同様にルームメイト側も、高いレントそのものを払わずとも、キッチンやバス、トイレットは共同で使用するにせよ、自分の空間・ベッドサイズの部屋、をある程度の賃貸料金で確保できるわけなので、どちらにとってもメリットがある。

それでもなお、借り主にとって、毎月のレント・家賃の支払い・場所代は頭痛い。大抵が、家賃のために家賃を払うという(当たり前と思われる?!)義務に支配され、自らの時間を金で換算せねばならない。

ニューヨークの庶民はこんなふうに、いわば、、助け合っている。俯瞰した視座からは、もちろん、持つ者と持たざる者、資本主義やら政治や経済機構のおぞましい階層が見えているけれど。 

話は戻るが、大家であれ、借り主がルームメイトを探すであれ、入居者のバックチェックは重要事案。お金はいくら銀行にあるのか?クレジットカード歴はクリーンか?仕事先や毎月の収入は?加えて、ここに移る前に住んでいたアパートなりなんなりの大家からのコメント、刑事訴訟歴、諸々。

しかしながら、オレオレ詐欺やマルチ商法が今もイーメイルや電話で後を絶たないように、このバックチェックも、確実ではなさそうだ。コロっと騙される。ただ、これも一般的なステレオタイプ思考回路に過ぎず、私たちは心眼を持って、心を開いて、物事の現象の本質をきっちり見極める必要がある。

私自身が今に至るも基本はサバイバー(と、サイボーグ)婆や。安穏とした優雅な日常を送っているわけでないとはいえ、ボチボチやってきている。強制立ち退きは何処でもゴロゴロ起きている、けれど、まさかそれが私たちの引っ越しを妨げている理由だなんて、今回の遅延(と背景)は、全くのところ滑稽すぎるし漫画すぎる。コロナゆえに仕方ない、のじゃなかった。コロナは、この占拠者の甘いお菓子のトッピングに過ぎない。この男は100%のプロフェッショナルなテナント(プロの店子)だったのだから。(既に、”引っ越しの顛末” 前回に書いた)とはいえ、、このようなサバイバーの存在もわからない訳じゃないよね。

私もオリンも、引っ越し先の裁判の結果を待ち、占拠者の強制立ち退きを待ち続けていた。しかしながら、オリンはとうの昔に頭の中を切り替えたものか、片ずけた絵の具やらペーパーやらカンバスを再び広げ、もう、何枚もドローイングを終えている。私は、というと、、、ブツブツ言いながら、箱に入れたミシンや裁縫箱を広げたり出したり閉まったり。シャットダウンしたコンピューターを再び起こしたり。

待っている以上、意識的に無意識的に、”待つ”という状況への期待感、不信感、希望や焦りやら何やら沸き起こり、当然落ち着かない。すると、数日前にこのように思い至った。

”ゴドーを待ちながら” 1954年、フランス人サミュエル・ベケットの戯曲。何かしらの不条理感。私は、私に集中することを忘れてしまっていたんですね。オリンを見習って、私がやるべき事を取り戻さなくては!

燭台大こんにゃく(ショクダイオオコンニャク):Candelabra Large Konjac/Amorphophallus titanum

詩人のお友達のことは前に書いたけど、最近、彼女が東京の神代植物公園に、この 燭台大こんにゃく(クリック)を見に行ったそうだ。なんでも、花と葉が同時に出るというのは世界でも二例目だそう。縁起物かもね!と写真を送ってくださった。こちらは心労に明け暮れバタバタしており、ちょっと前にメイルを開けたところの、眼に飛び込んだ縁起物。

そうなんですね〜、実は私の誕生日が、この28日だったんですよ。皆さんからの愛の溢れるメッセージやカード、出版記念のニュース、加えての縁起物イメージはひれ伏すほどにありがた過ぎます。感謝のみ。

I wrote about a friend of mine who is a poet before, but she recently went to Jindai Botanical Gardens/Chofu-city, Tokyo to see this large konjac candlestick. It seems to be the second example in the world that flowers and leaves appear at the same time. She sent me a picture, thinking it might be a lucky charm. This is a lucky charm that jumped into my eyes when I opened my email a little while ago!

Well ~, actually my birthday was this 28th. I am deeply grateful for the messages and cards overflowing with love from everyone, the news to commemorate the publication, and the lucky charm images. Only the Appreciation.

photo by Hikari Mizushima

骨も凍る寒波:bone-chilling cold

とはよく言ったもの! このクリスマス休暇は例年を超える寒波がやってきて、お天気ニュースはてんやわんや。空路も陸路もほぼ閉鎖。普通に(暖かく)過ごす、という日常も大自然の前では絵空事になってしまう。私たち一人一人のサバイバル精神と免疫力と適切な判断を錆びつかせないようにしなきゃあ、と痛切に思った。

その週初め、ニューヨーク市内の仕事帰り、いつものようにポートオーソリティバスターミナルまで1時間歩いた時(私たちはまだ引っ越し前でニューバーグとの往復になる)、ちょっと鼻が冷えたかもという感覚は大当たり。鼻風邪、鼻風邪、やっぱり鼻風邪。。幸い熱もなく食欲も変わらず、数日じっとしていてほぼ完治。ありがとうございます。

Well said! This Christmas vacation has been colder than usual, and the weather news has been awful. Air and land routes are mostly closed. The daily life of spending a normal (warm) day becomes a pipe dream in the face of of serious nature. I felt strongly that each of us must keep our survival spirit, immunity and good judgment from rusting.

Earlier that week, when I finished my aide work in NYC, I walked as usual in an hour to the Port Authority Bus Terminal (we’re still pre-moving and going to/from Newburgh), and I felt like my nose might be a bit chilly. Hit the jackpot. Sinus cold, Sinus cold, Sinus cold. Fortunately, there was no fever and no change in appetite. thank you very much.

雪の日の次の日:The day after the snow day

結構積もったのだけど、翌朝は随分溶けてしまった。所用でニューヨーク市内に出るので、歩道が凍っていたらどうしようという心配も氷解。この数年で2回滑って骨折しているし、いささか臆病になってしまったみたい。

It piled up quite a bit, but the next morning it melted a lot. I’m going to New York City for my things, but I didn’t have to worry about what to do if the sidewalk is frozen. In a couple years, twice I had experiences of breaking my bones—since then, my fear is still in my heart(xxx).

父の事と般若心経:My father and the Heart Sutra

11月23日は私の父親の生誕日である。この父親が私にとって、どうにも曲者としか言いようもなく、受容し難い現実のほとんどは父親に由来するものだった。子供時代はこうした理不尽さを何とか解明しようと思ったものの、幼い子供には理路整然とした現実の把握は難しい。10代から座禅に通ったりもしてきた。

私には般若心経とジャズは切り離せない。世渡り下手な父は、自転車店という自営業に活路を見出し、店の空いている間はラジオからジャズが流れ、早朝は決まって神棚に水を備え手を合わせ般若心経を唱えていた。アナーキーであった故か戦争体験を語りはしなかった代わりに、火野葦平、を読まされたりしたなあ。(ちなみに火野氏は、医療活動に尽力した中村哲氏の伯父にあたる)

このところ、私なりの心の整頓が進んでおり『父とはなんだったのか?』を模索したところで、何かしら明るく許せそうかしら、ほぼ手放しているんだけどね、という気持ちが募る。

ともあれ、父親のことは書き切っておかねばならない。多分、すぐに。

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 仏説 摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時(かんじーざいぼーさー ぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー)照見五蘊皆空 度一切苦厄(しょうけんごーおんかいくう どいっさいくーやく) 舎利子 色不異空 空不異色(しゃーりーし しきふーいーくう くうふーいーしき) 色即是空 空即是色(しきそくぜーくう くうそくぜーしき) 受想行識 亦復如是(じゅそうぎょうしき やくぶーにょーぜー) 舎利子 是諸法空相(しゃーりーし ぜーしょーほうくうそう) 不生不滅 不垢不浄 不増不減(ふーしょうふーめつ ふーくーふーじょう ふーぞうーふーげん) 是故空中 無色 無受想行識(ぜーこーくうちゅう むーしき むーじゅーそうぎょうしき) 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法(むーげんにーびーぜっしんにー むーしきしょうこうみーそくほう) 無眼界乃至無意識界(むーげんかいないしーむーいーしきかい) 無無明 亦無無明尽(むーむーみょう やくむーむーみょうじん) 乃至無老死 亦無老死尽(ないしーむーろうしー やくむーろうしーじん) 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故むーくーしゅうめつどう むーちーやくむーとく いーむーしょとくこー) 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故ぼーだいさったー えーはんにゃはーらーみーたーこー) 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖(しんむーけいげ むーけいげーこー むーうーくーふー) 遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃(おんりーいっさいてんどうむーそう くーぎょうねーはん) 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提(さんぜーしょぶつ えーはんにゃはーらーみーたーこー とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい) 故知 般若波羅蜜多 (こーちー はんにゃはーらーみーたー) 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒(ぜーだいじんしゅー ぜーだいみょうしゅー ぜーむーじょうしゅー ぜーむーとうどうしゅー) 能除一切苦 真実不虚(のうじょいっさいくー しんじつふーこー) 故説般若波羅蜜多咒 即説咒曰(こーせつはんにゃはーらーみーたーしゅー そくせつしゅーわっ) 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶ぎゃーていぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわかー)

般若心経(はんにゃしんぎょう)

Avalokitesvara Bodhisattva when practicing deeply the Prajna Paramita perceives that all five skandhas are empty and is saved from all suffering and distress. Shariputra, form does not differ from emptiness, emptiness does not differ from form. That which is form is emptiness, that which is emptiness form. The same is true of feelings, perceptions, impulses, consciousness. Shariputra, all dharmas are marked with emptiness; they do not appear or disappear, are not tainted or pure, do not increase or decrease. Therefore, in emptiness no form, no feelings, perceptions, impulses, consciousness. No eyes, no ears, no nose, no tongue, no body, no mind; no color, no sound, no smell, no taste, no touch, no object of mind; no realm of eyes and so forth until no realm of mind consciousness. No ignorance and also no extinction of it, and so forth until no old age and death and also no extinction of them. No suffering, no origination, no stopping, no path, no cognition, also no attainment with nothing to attain. The Bodhisattva depends on Prajna Paramita and the mind is no hindrance; without any hindrance no fears exist. Far apart from every perverted view one dwells in Nirvana. In the three worlds all Buddhas depend on Prajna Paramita and attain Anuttara Samyak Sambodhi. Therefore know that Prajna Paramita is the great transcendent mantra, is the great bright mantra, is the utmost mantra, is the supreme mantra which is able to relieve all suffering and is true, not false. So proclaim the Prajna Paramita mantra, proclaim the mantra which says: gate gate paragate parasamgate bodhi svaha. Chanting the Heart Sutra by Thich Nhat Hanh <– click

晴れた日に永遠が見える:On a Clear Day (You Can See Forever)

”晴れた日に〜〜”は、1970年のアメリカのミュージカル・ファンタジー映画タイトル。超能力のある女学生が禁煙したいがため精神科医の催眠療法を受ける、が 催眠の最中、突然彼女は前世を思い出す〜〜、最終的にこの女学生と精神科医は、来世で晴れて一緒に。

本題に入るね。私はある人物(多分、男性)について書こうと思う。この男性は、これまで三回私の夢の中に現れた。とにかくオシャレ、黒のスーツをピシッと決め真っ直ぐにしっかり立っている。よくある山高帽を被って、端正で無表情の顔立ちはどう見ても何かの化身。しかも、何系とか何国人などのヒントも通用しない。精巧なロボットに近いけど、マネキンっぽくもある。といって、宇宙人というのではない。

いつだったか椎間板ヘルニアを患い、身体全く動かせず半立ちで固まってボーっとしていた時の夢うつつ;私は歩けないので飛ぼう、と思いついた。だだっ広いターミナル駅のコンコースの上を飛ぶ。でも私の眼下には人っ子一人いない。明るいコンコースが幅の広い階段に向かった。ふわふわ漂いながら階段を見下ろすとそこにこの ”男” が立っている。飛んでいる私を見上げてにっこり会釈してくれた。。。

そんなに前じゃない、普通の夢に普通に現れた;寂しい薄暗い大地に棺おけ状の箱がザーッと果てなく並べられている。皆、それを一つずつ与えられている。中は概ね、小柄な私が背伸びできて両手も半折りで収まるサイズ。これから私たちはこの中で暮らすんだ、誰かが私の箱の隣に突っ立っている。顔を見るとこの ”男” だった、、、(今思えば、何かの予知夢にも通じる)

とりあえず最後は数年前、ビスビーでの夢; (とは思えない、夢と現実に位置する世界?)暗がりの中、何者かが、私たちの小屋のドアをガタガタさせて侵入寸前!私は大声で、誰だー!とか 止めて〜 とか喚いた! 暗闇の広い敷地の向こうはフェンスで無人の空き地につらなっている。私は追いかける。その侵入者は如何にもこうにも例の ”男” だった。高いフェンスを曲芸師みたいに飛び越えて何処かへ行ってしまった。実際に私とオリンの住んでいたメキシコボーダー、過疎地のビスビーの小屋が そっくりそのまま寸分違わぬ不思議な夢。

〜〜〜、映画を解説させたら並ぶもの無し、私の大好きだった淀川長治氏はいくつもの超常体験をされたらしい。その中で、私の好きなエピソードはこれです。

シニガミ、水先案内人、

『生死半半』(淀川長治)「延命治療について」  昭和四十四年(1969)十二月。夜、激しく咳き込む母の背中をさすっていた時、「私(淀川長治)」の目に、はっきりと死神の姿が見えた。信じてもらえないかもしれないが、部屋の四隅に、鼻先のとがった悪魔みたいな奴らが座っていた。「私」は思わず、「まだ連れて行ったらいけません。もう半年待って」と言った。それからちょうど半年後に、母は死んだ。あの時、「あと五年待って」と頼んでおけば、母はもっと長生きしたかもしれない。 

とても大切な二人 、 再び8月27日/ 2022

捻じ曲がってどこから手をつければ良いのやら、”私” という有様、その真実の集大成の解明の旅を無意識に促してくださった 唯一無二の恩人である Y. N. さん。和歌・短歌・現代詩・仏教教義・ジャズ・前衛・藝術に造詣深く、類まれな誠実な人。私の全生涯でこれほどに謙虚な人を私は知らない。

Y.N. さんのお気に入りの詩人、谷川俊太郎 『62のソネット』から#62

世界が私を愛してくれるので
(むごい仕方でまた時にやさしい仕方で)
私はいつまでも孤りでいられる

私に始めてひとりのひとが与えられた時にも
私はただ世界の物音ばかりを聴いていた
私には単純な悲しみと喜びだけが明らかだ
私はいつも世界のものだから

空に樹にひとに
私は自らを投げかける
やがて世界の豊かさそのものとなるために

……私はひとを呼ぶ
すると世界がふり向く
そして私がいなくなる

〜〜 こちらは同じく8月27日生まれの日本を代表して余りある宮沢賢治。”世界”を通り越して”宇宙”と同等の果てのない概念。おそらくはその前世で類い稀な高僧ではなかったか?そしてどこかY.N. さんと宮沢賢治は私の中で双子のように重なっている。『目にていふ』は、賢治の死後、弟・清六に発見された。『群像』昭和21年10月創刊号より〜〜

だめでせう
  とまりませんな
  がぶがぶ湧いてゐるですからな
  ゆふべからねむらず
  血も出つづけなもんですから
  そこらは青くしんしんとして
  どうも間もなく死にさうです
  けれどもなんといい風でせう
  もう清明が近いので
  もみぢの嫩芽(わかめ)と毛のやうな花に
  秋草のやうな波を立て
  あんなに青ぞらから
  もりあがつて湧くやうに
  きれいな風が来るですな
  あなたは醫学會のお歸りか何かは判りませんが
  黒いフロックコートを召して
  こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
  これで死んでもまづは文句もありません
  血がでてゐるにかかはらず
  こんなにのんきで苦しくないのは
  魂魄なかばからだをはなれたのですかな
  ただどうも血のために
  それを言へないのがひどいです
  あなたの方から見たら
  ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
  わたくしから見えるのは
  やつぱりきれいな青ぞらと
  すきとほつた風ばかりです

貨物列車:Freight train

私のお気に入りは、ここ ニューバーグの図書館。ハドソン川に面して大きくクリアなガラスの窓が、差し渡し真横に伸び、快適な椅子に座ってラップトップを広げる。老眼なのに、対岸の電車;メトロノース・ハドソン線がビーコン駅を通過したり停車するのも見えるし、ビーコンの美術館 も見える。

ハドソン川のこちら側、眼下には規則的に行き来する貨物列車が走る。ほとんど気にも留めないけれど夜中や明け方、家の隣を走ってるの?と錯覚するくらい警笛が耳に飛び込み、唐突に何か形状し難い胸苦しさ、郷愁といった感覚に襲われる。

鉄道、列車、夜汽車、は古今東西、唄にも詩にも文学にも映像にも定番だし、そこに始発駅・終着駅(生・死)といった象徴的概念も加わって、通過駅、乗り換え駅、各駅やら急行、特急も、それを選ぶそれぞれの生きざまの速度なのかなあ。今更ながら私の越し方で、駅と駅の間を走り抜けた人生、それらがいよいよ愛おしくなってきている。

銀河鉄道の夜/Milky Way Railroad 夜が明けたら/浅川マキ・Maki Asakawa Hear My Train A Comin’

Here Newburgh Free Library is one of my favorite places. A large, clear glass window facing the Hudson River stretches right in front of me, sitting in a comfortable chair and unfolding my laptop. Even though my old eyes, across the river I can see the Metro-North Railroad Hudson line passing and stopping at Beacon Station, also Dia Beacon (Art Foundation) too.

This side of the Hudson River, under my eyes freight trains come and go regularly. I hardly notice it, but in the middle of the night and at dawn, the distant horn jumps into my ear, I wonder what is the train running next to my house? Suddenly something difficult to explain with emotion shaking my soul and nostalgic feeling.

Railroads, trains, and night trains are classics in songs, poetry, literature, and movie/images with the addition of symbolic concepts such as the first station and the last station (life / death), passing stations, transfer stations, local trains, express trains, bullet train—I wonder if it is the speed of each life that people choose. Even now, in my way, a life that ran between stations (the highlights), the parts between stations are now a bit more important and getting acceptance and love.

ニューヨーク、ですね?:It’s New York, isn’t it ?

病院の付き添いは緊急でもなく、私は一人、暑い青空の下をチャイナタウンに行く。ちょっと必要な買い物も終え、それでも時刻はオリンと落ち合うにはたっぷり残っている。建物の影を選びながら、杖を片手に3番街を北上する。

ニューヨークに出向くときは ”転ばぬ先の” 杖は離せない、とはいえ今回もレジに杖を置き去りにして、お客さんやレジの女性に『あんた〜!忘れてるよー』って杖を指さされた(笑)。何やら、とうの昔にニューヨークにいる緊張感・甘美な自己満足感は消え去り、日々の記憶と習慣、加えて、碁盤の目のように規則的に縦横を走っている通りにも助けられ、歌を歌い、ぼんやりと想念を追いかけ、汗をぬぐい、”年をとるってこういうことかな” となんだか面白くなってくる。大好きなお友達、皆に会いたいけど帰りのバスが待っている。

プリンス・ロジャー・ネルソンのことを考えていたら目の前が ”プリンス通り” だった。ハウストン通りとスタントン通り、リビントン通り、そして3番街。この一帯が当時の私の存在の証。

いっとき住んでいたバワリーのロフトは程なくピカピカな画廊になり、今日、久しぶりに通りかかると画廊は何処へやら? 全体が改装の真っ只中になっていた。

今は飛び切りに土地の高騰する一等地。美術館やレストランやマーケットが連なり、20年前の記憶と交差する。あの頃、ロフトの裏は広大な空き地に鬱蒼と灌木がかぶさり、野犬が群れなして吠えていたっけ。ロフトでは何度か妖精を見たよね。既に雨漏り激しく床も崩れる寸前の暗いロフト内で、私は蝶々が飛び交うのを見た。何??小さな妖精さんたちじゃないの!!?? 複数回みた。

あの時の妖精たちに頼んだことが、そして感謝の気持ちから当時のロフトオーナーに縫ってあげたトンデモ服が、今になってそれらがロフトオーナーをシンデレラボーイに変えた。奇異な小説のようだけど本当の話。

It’s not important that I stay near the hospital, so I go to Chinatown alone under the hot blue sky. I’ve done some necessary shopping, but I still have plenty of time to meet Orin. While choosing the shadow of the building, I walk north on 3rd Avenue with a cane in one hand.

When I go to New York, I can’t let go of the cane that “doesn’t fall” however, this time as well, I left the cane at the cash register so was told by the customers and the cashier “Hey you! You forgot!”— they pointed at my cane (lol). Somehow, the tension and luscious self-satisfaction that I had in New York long ago disappeared already. As well as the streets that run regularly like grid, helped by my memories and habits. Singing songs, vaguely chasing thoughts, wiping sweat, and “I wonder if this is what it means to get older” becomes somewhat interesting. I want to meet my favorite friends, but the return bus is waiting.

When I was thinking about Prince Rogers Nelson, I saw “Prince Street” in front of me. Houston Street, Stanton Street, Rivington Street, and Third Avenue/Bowery. This area is a proof of my existence at that time.

The loft where I lived for awhile soon became a luxury gallery, and today I passed by after a long time, where did the gallery go? The whole building is in the middle of a renovations.

Now it is a prime location where the price is soaring. The museums, restaurants and markets are lined up, and intersect with the memories of 20 years ago. At that time, the back of the loft was covered with dense vacant lots and shrubs, and stray dogs were barking. I saw fairies several times in the loft. I thought butterflies flying in the dark loft, which was already leaking and the floor was about to collapse. What? Not the butterflies but they were little fairies! !! ?? I’ve seen it multiple times.

What I asked the fairies at that time, also all of my appreciation and feeling of gratitude to a person who was the loft owner at that time – I sewed several eccentric funny clothings for him. Now these old clothings have turned the loft owner into a Cinderella Boy. It’s like a strange novel, but it’s a real story.

抜歯考:Consideration of tooth extraction

小さな陶器のカップの中の、高濃度の食塩水。随分と大胆に何かがその底に転がっている。先ほど抜いてきた私の『オヤシラズ』。

22年前、やむなく抜歯した奥歯のその隣がみるみる勢いづいて、突如、『親知らず』出現!邪魔者がいなくなったので外に出てきたんだろう。その『オヤシラズ』がこのところ炎症を起こし、飛び上がる痛みは脳の痛点を間断なく攻撃して、全く眠れたものではなかった。

22歳の『親知らず』は、そのまま22年間のニューヨーク・サバイバル人生を私と共に過ごし、楽しい時も悲しい時も常に私に寄り添って、苦楽を共にしてきた、、、感傷に浸っていてもどうにもならないのね, 歯の手入れを怠っていたのだから。

食物の消化を助ける最初の一歩、での、”咀嚼・そしゃく” ”嚥下・えんげ” は、歯無くして成り立たない。まばたきも呼吸も無意識の臓器活動も、全てが一人の人間を円滑に機能させるために絶妙なメカニズムで呼応し合っている。

インプラントにするべきか、食事をさらに消化吸収の良いものに変えつつ、残っている歯を大切に使うか、笑っているようにも見える『オヤシラズ』をひたすらボーッと眺めている。

High concentration salt water in a small pottery cup. Something is rolling to the bottom quite boldly. My “Oya-shirazu/wisdom tooth” that I pulled out earlier today.

Twenty-two years ago, the tooth next to the back tooth that had been unavoidably extracted was gaining momentum. Suddenly, “Unknown” wisdom tooth appeared! I think it came out because there were no obstacles. The “Oya-shirazu/wisdom tooth” has recently become inflamed, and had jumping pain continuously attacking the pain points in my brain so I didn’t sleep at all.

The 22-year-old “wisdom tooth” had spent 22 years in New York survival life with me. We’ve always been close to each other, having a hard time or joyful time together… It doesn’t matter if I am in sentimental regret of losing it, because I neglected to take care of my teeth.

The first step to help digest food, “chewing / biting” and “swallowing”, cannot be achieved without teeth. Blinking, breathing, and unconscious organ activity all respond to each other by an exquisite mechanism for the smooth functioning of a single person.

Should I chose to get an implant, or should the remaining teeth be used carefully while changing the diet to one that is more digestible and absorbable? I’m just staring at “wisdom tooth” which looks like it’s laughing.