オリンからの通信:Communication from Orin

いつぞやに1日だけ台所の流しのキワに現れた、そしてその夜突然消滅した、はずの同じ蜘蛛さんが再び出現!どうみても巣を張ってるように見えず、スパイダーマンみたいにぶら下がっている?今度は、オーさんの棚の斜め上。これまた数日して、あたしが帰った時には何処にもいなくなってましたよ。

最近、不要のレギンスをいただいて、これを改造してスカートにしようって何気にメーカーのタグを見る。あれれ? “アイ・キャンディ??” (目の保養)これって、かつてオリンが自分のアートプロジェクトをこう呼んでたのね。オリンのアートは、確かに皆さんの目に愛らしく映っただろうし、甘〜く魅了したよね。

オリンがどこかからあたしを気にして、こんな風に『さなえ婆や〜、爺やはここにいるよ、一緒だよ〜』って知らせてくれてるんだ。でもきっと全てはあたしの都合良い妄想なんだろうか。わかってること、それは、少しずついろんなものが剥がれ落ちて、”今ここを十全に生かされていることへの感謝と全ての幸せを祈る”。

The same spider that appeared at the edge of the kitchen sink for just one day, and disappeared suddenly that night, appears again! No matter how it look like, it doesn’t look like it’s nesting, and it’s hanging like Spider-Man? This time, diagonally above Orin’s shelf. A few days later, when I returned, it was nowhere to be found.

Recently, I received a leggings a kind of 2nd hands, and I casually looked at the maker’s tag, ( thinking of remodeling this leggings into a skirt). Is that it? “eye candy? ” This is what Orin used to call his art project like this. Orin’s art must have looked adorable in everyone’s eyes, and they were sweetly fascinated in everyone.

Orin is worried about me from somewhere, and he’s telling me like this, ‘Grandma/ ba~ya Sanae~, I / ji~ya am/is here, we’re together~’. But maybe it’s all just a fancy fantasy of mine. What I do know is that little by little, many things are peeling off, and “I pray for all happiness and gratitude for being able to fully live here and now.”

5月17日、思い立って海に行く:On May 17th, I made up my mind to go to the beach.

ブライトンビーチ。オリンと一緒に来たのは7〜8年前だったか、7月4日、独立記念日の花火のビデオを撮りに来たんだっけ?

ここを初めて訪れたのは35年よりもっと前? 冷えびえする初春の頃、曇った昼日中は誰も歩きたくないし、店も閉まっていた。少し先に野犬の群れがあたしを威嚇していたっけ。何なんだ、時間はどこにその方向を定めているのか。

ササクレてきたボードウオークを砂浜に降りる。遺灰を使ってドローイング、の予定も潮風が灰を吹き飛ばす。のんびりくつろいでいるお年寄りのカップル、子供と母親、若者たち、波打ち際を歩く人、カモメそしてカモメ。皆、何処から来て何処に行くんだろう。

波がドローイングを消してゆく。大泣きが止まらない。不思議そうな顔をしてカモメたちが近寄ってくる。再び駅に向かう。心の中でつぶやく、こんな風に;『爺や、今日ブライトンビーチにアンタの灰を撒いてきた。格好良く OS4ever って描きたかったけどちょっと違った。キャベツとポテト、二種類のピロシキを買った。アンタ、ほんとはミートピロシキ食べたかったかね?』

Brighton Beach. Was it seven or eight years ago when Orin and I came here, and on July 4th, did we shoot the fireworks video for Independence Day?

The first time I visited here was more than 35 years ago? In the chilly early spring, no one wanted to walk during the cloudy daytime, and the shops were closed. A pack of wild dogs was threatening me a little ahead. What is it, where does time set its direction?

Descending the rough boardwalk to the sandy beach. The sea breeze blows away the ashes even though I planned to draw using the ashes. Elderly couples relaxing, children and mothers, young people, someone walking along the waterfront, seagulls and seagulls. Where are they from and where are they going?

The waves erase the drawing. I can’t stop crying. The seagulls approached me with wondering faces. Head to the station again. I mutter to myself, like this; 『Jiiya/old man, I scattered your ashes on Brighton Beach today. I wanted to draw OS4ever look good, but it was a little different. I bought two types of pirozhki, cabbage and potatoes. However, actually did you want to eat meat pirozhki? 』

 

5月10日の朝、真っ先に行動したこと:The first thing I did on the morning of May 10th

あたしのささやかなダイニングテーブルの真向かいから、ちょいと斜め上にオリンは位置している。いわば、彼はいつも私を見下ろしているのね、このところ、彼自身がなんとかしてー!と頼んでいるような気がしていた。ちょうど、彼がニコニコして食事中の写真があったので、こちらに変えた。ただそれだけ。

Directly across from my small dining table, Orin is located slightly diagonally above. Well, he always looks down on me. Recently I felt like he was asking something (should fix for him). Just because there was a picture of him smiling and eating, I changed it to this one. That’s all.

あたしの居る場所と居場所は異なる:Where I am and my own place are different

こういう地域にあたしは住んでいる。多趣味だった我が夫オリンの、その一つは知る人ぞ知る『コミック狂』。先日、ノストランド通りにこの様なコミック・ストアを発見!「おーい、あんたの好きなコミック店見つけたよー」と小声を出す。看板には堂々と、”Brooklyn’s #1 Hobby Store ” って書かれてる。オリンと一緒に大笑いしたかもね。こんな場所にあたしは居る。

I live in an area like this. My husband Orin has many hobbies, one of which is known to those in the know as “comic fanatic”. The other day, I found a comic store on Nostrand Street! “Hey, I found your favorite store!” I whispered. The sign proudly says “Brooklyn’s #1 Hobby Store”. You might have had a good laugh with Orin. I live in a place like this.

(分かっているけれど)あたしの身体のえぐり取られた内臓のあった部位がまだ血を吹いている、依然として止まらない。人はこの容態を”涙を流して泣いている” と言う。毎日、赦しと感謝と愛を唱えている。それがあたしの居場所。

(I know) the part of my body where the internal organs were gouged out is still bleeding, and it still won’t stop. People refer to this condition as “crying with tears”. Every day I chant forgiveness, gratitude and love. That’s where my own place.

Grief Care/失った悲しみを癒し、乗り越えるプロセス。死別のショック・喪失感から再生してゆくのは配偶者を失った場合、平均1〜2年 (場合によっては4年とか )。この期間に、身体的・心理的・行動的・認知的反応が当然起こる。悲嘆の表現として現れる感情や行動を正常なものとして、ともに受け止める(STORY から抜粋)。 あたしはこの流れでゆけば、淡々と癒しのプロセスなのだろうか。泣いて良いんだね、皆、大切な人と死別して初めて『生きることと死ぬこと』に向かい合うのだろう。

ひたすら有難うございます、皆さん!の日々。4月14日はオリンの49日でした:The days of Thank you very much for Everyone! 14 April was the 49th days of Orin.

私もオリンも果報者に五重丸です。ありがたいです。有り難すぎるので、どうにかなっちゃいそう。何故こうも、皆優しくて親身になって下さって助けてくださるのだろう。ありがとう御座います。本当にどうもありがとうございます。

Both Orin and I are “(Lucky Fellow) x 5 “. Thank you. I’m too grateful, so it feels like I should be able to tranceformation to something else. I wonder why everyone is so kind and helpful to me. Love, Love , and Love. Thank you. Thank you so very much.

Strawberry Fields FOREVER

彼のゆかりの地、セントラルパークとメトロポリタン美術館付近とストロベリーフィールドに少し遺灰を撒いてきました。次は海に行こうっと。

I (and Mica) have scattered some of his ashes in his heartland, Central Park, near the Metropolitan Museum of Art, and Strawberry Fields. Let me go to the sea and scattered a bit more of his ashes next time.

皆さんに助けて頂き、オリンの機材・画材・楽器はそれぞれに向かった。オリンも安心しただろうな : With everyone’s help, Orin’s equipments, painting materials, and musical instruments went to their respective places. Orin would be relieved.

何となくなのだけど、あたしが後に残ってこれで良かったんじゃないかと思える。理想は同時に一緒に逝きたかったなあ。まだニューバーグにいた頃、ショッピングに出るより他、オリンは運転すらきつくなっていた。その度に吐いていた。。あゝ、あたしの好きなホンタン(ホンダのタンカラーゆえこのように呼んでいた)に乗って、オリンと3人で消滅っていうか、違う次元に向かいたいなあなどとぼんやり思ったりもしたっけ。

オリンが残ったら、その日からお手上げですよね。もう、コンピューターを組み立てようが、何を食べようが、婆やは居ない。。泣くより辛い孤独。。。何か、オリンの一人取り残された様子を見てしまったかのような錯覚。これでよかったんだ。丸投げされた怒りもあるけど、私は全責任を負う。片っ端から物を処分してゆく(欲しい人にはどんどん譲った、使ってもらえるのが物にとっても一番嬉しい)。

これでオリンの分身が減ってゆき、同時に彼の本当の姿が垣間見て取れる。怖いけど、、、この人には元から実体はなかったのかしらね?この人の細胞の隅々まで、電磁気のようなものの周波数が食い込んでいたんではないかしら? 物、もの、そして物たち、、、と言って肌身離さず抱え込んではいたものの執着とは違う、『物・物質に己を記憶させる』彼はきっと物質界とその波動の中間地点、に位置した霊媒体質じゃなかったか? 多才過ぎたよね、音楽、アート、写真、ビデオ、付随してあらゆる機器を縦横無尽に操作する。。彼のウエッブサイトの中で私の好きなページ  <ーーークリック

ホンタンはすでに安全な場所に移し、買い手を待っている。。オリンは今は異なる次元のトラベラー。あたしは、ニューヨークで泣いている。でも一歩外に出て、メインのフラットブッシュ通りを歩くと違う涙に溢れる。あたしの故郷に戻ってきた。アフリカンアメリカンの古いメッカ、笑っちゃうような舞台衣装を自慢げに並べているショーウインドウ。古い商店街が軒を連ね、いささかキザでレトロなミュージックホールだか、かつては映画館(?)かなあ。遠い昔の喧騒がふっとイメージされる。

ハーレムでも無い、ベドフォード・スタイヴサントのように開発の進みすぎる一帯でもない、忘れられてもいない、ただ見えない郷愁に守られているかのように、邪魔者を優しく拒んでいる。古めかしくもお伽の国とは違う、でもそうとしか形容できない古い景勝の建造物。きっと、この通りをビデオに収めなきゃあ。夏は、一人っきりだけど海にもゆこう。

拍車をかけて片付いてゆく部屋。まるまる空く一部屋はお客さん用と瞑想部屋を兼ねるかな。でもいつまでいるかわからない、もっと身軽にして荷物を処分して、静かに自然の中にゆこうかしら。今、結論は出さない、まず自分を取り戻すのが先決。

2月末から3月半ばの整頓されてない状態です : These pictures are in an unorganized state from the end of February to the middle of March.

よくある話だけど、オリンにまつわる4つの予知夢、今は私の大好きなエレガントな蜘蛛になってキッチンに居る : As is often the case, four prophetic dreams involving Orin. He is now seems to have turned into a spider and appeared before my eyes in the kitchen.

1、ずいぶん高めのプラットホームのような場所にオリンと居る。何かおしゃべりしてたかな?ひょいと振り返ると彼がいない。大慌てで周りを探し、思わず目を下にやると、なんと!この高みから(恐らくは)転げ落ちたのか、はるか下方、背を丸め動かないオリンを発見した!(驚くのだが、この夢はとても鮮明ではあるけれど、彼が肺がんステージ4の宣告を受けるより何年も前のことであり、目覚めてから一瞬不吉な思いをしたのは事実)

2、二人で真っ暗な道?を歩いている、どこからともなく霧が四方八方から発生し、二人ともどうして良いかわからない、すると、光を放つ古めかしいランタンのようものを掲げた老人が霧の中から現れて、私たちに道しるべをしてくれた。(ユングの説く、老賢者そのもの)とても安心したのを覚えている。(治療中ではあったが、まだ彼が元気だった頃の夢)

3、どっさりの人々が皆、バス?に乗って居る。多分、何かに向かう途中。程なく乗り物は止まり(サービスエリアっぽい)それぞれが外に出たり伸びをしたり。さて再びバス?が出発するのだが、どうしたことかオリンは私たちのバスに乗ろうとしない、私が早く早くと大声をかけても、聞こえているのかいないのか、自分は残る、皆と一緒にゆかないというような?或いは、彼自身どうして良いのかわからない、が、乗る気持ちは無い、といった意思表示をしている。私は、バスから飛び降りて彼を引っ張りたいのだが、どうにもバス・乗り物から降りられず非常に困惑して目が覚めた。(夢の中の彼は、本当に淡々としており、同時に、何で僕はここにいるの?どうしようかなあ〜、といった表情を見せてもいたかな。もちろん、落ち付いていたし周囲をキョロキョロ見てもいた。一言で言えば、彼自身がどの方向にゆくべきか思案していたかのような??)

4、ヒョイっと見ると、前方に、ニコニコ微笑んでいるオリンがいた。いつものお気に入り?の赤いトレーナーを着て明るい表情だった。本当に彼らしく爽やかで、いかにも本物のオリン!と思い、夢の中でもとっても嬉しかった。(これが彼の生前に現れた最後の夢)

ところで、色々な人から”蝶々” の話を聞く。殊に亡くなった方が蝶になって飛び交った、どこからともなく蝶々が舞ってきた、などなど。わたしも”蝶”に関しての実に素晴らしい夢を幼少期に見ており、それは次回記そうと思う。わたしで言えば、彼が旅立って以来、蜘蛛とカラス、樹木や草花、それにあらゆる鳥たちがいつもわたしの周囲にありとても和む。

〜〜、先日、外出から戻って何とは無しにキッチンのコーナーに目が移った。食器を洗うブラシ立ての後ろに、なんと!どう考えても以前、オリンが他界して間も無く見たのと同じ素晴らしくエレガントな蜘蛛(多分、どこにでもいる何ら変哲のないハウス・スパイダーなんだけど)が、ちゃっかりくつろいでいる(微笑)。オリンだ、オリンだ!ありがとね。(その後、この子は私の部屋に向かうちょっとしたコーナーの天井に移動しており、スルスルっと私の足元に降りてきた!!!そっとしてあげたかったのでまだゴタゴタしている玄関際の部屋に連れて行きました。)

わたしはなぜか生まれて以来、蛇と蜘蛛とカラスがとても身近で大好きでならない。ただ一言、可愛いのだ。もちろん、あらゆる生き物を尊敬し大好きなのではあるけど、わたし自身の優先順位に拠れば、どうしたって彼らが先になる。人、或いはミソロジーではシンボリックな意味で彼らを善悪で語るし、加えてロジカルな意味では、巣を張る蜘蛛は女の子なんですが、まあ、それはそれ。

遺灰を受け取った時、”ニューヨークに死す”というフレーズが浮かんだ。巡りめぐって、オリンはあたしとともに戻ってきた:When I received the ashes, the phrase “die in New York” came to my mind. Going round and round, Orin came back here with me

家族以上に親身になってくださるC.Cさんの車で、3月11日、スタッテン島にオリンの遺灰を受け取りに出かけた。前夜は随分と雨が降っていたが、翌朝は曇って冷んやりしているものの雪注意予報も何処へやらありがたき出発。         

出がけのドライブウエイで、お隣の屋根の上に大きなカラスが止まっており、私に向かってカーカーずーっとしゃべっている。ので、あたしもお返事する。はっと気付いた!あたしは、殊にカラスと蜘蛛と蛇がどうしたことか生まれて以来大好き。おととい、寝ぼけてトイレにゆこうと壁に何気なく目をやると、なんとも可愛らしい(多分、冬眠中を起こされたような)ちょいと大きなクモが壁を伝い歩きしていたのね。これって、多分だけれど、オリンがいち早くあたしとコミュニケーション取りたくて、このように見せているんではないかしら?

そうだ、先日、クイーンズに用事があって早く地下鉄に乗ったのに、電気系統の不都合か何かしら発生。で皆一斉に下され、一旦来た方向、つまりはマンハッタンに戻って何何番線に乗り換えてください、とのアナウンス。それを私は何度か行ったり来たりミス往復してしまい(お目当の駅に向かって行くも、地下鉄や私鉄そのものがスケジュールを変えていたり)高架線に変わったクイーンズはロングアイランドシティの町並みを何度も見る羽目に。ちょっと待てよ?

私がオリンと知り合った頃、彼はまさにこのロングアイランドシティにオフィスがあり、眼下の光景は様変わりしているものの懐かしくもあった。いや、やっぱり変だ。どうも、、、オリンが私にウオークインして、私の眼球を使ってこの光景を見てるんではないかしら、という不思議な気持ちになった。

オリンが、直感を与えてくれるミューズに早変わりしちゃったのか?皆に持ってってもらおう、さもなくば捨ててしまおうと決めていたゴチャゴチャの箱の中に、彼の愛用カメラが隠れていたり、わけわからなくなっていたとても重たい三脚類に混ざって、ラップスティール(楽器)をヒョイと見つけたり、ギブアップしていたラジオをひょんな思いつきでリカバー。(つまり、いかに接続させるか、のような)ちゃっかり冷蔵庫の上に置いて見た途端、そうだ!生前のオリンに、『私、台所にラジオを置きたい。なんかノスタルジックで良くない?古いメロディやボーカル、ビッグバンドジャズ聴きながら美味しいもの作りたいんだ』などといったよね。ほら!あたし一人で設営できたじゃない?

号泣と慟哭が発作的にやってくる。私の魂はもうオリンの帰還、3次元じゃないところ、重力の関与せぬ次元、と同時にホログラフィカルな階層に行ってしまったのをわかっているのに、私の頭の中の記憶と日常回路が激しく反応しているんだね。居る・居ない、という相反する現象そのものが私たち3次元界の決まりなのね。物質を伴った生き物がいた・居なくなった、というカラクリに翻弄されるのね。

でも、一緒に居たから学べたし、居なくなったから、それに気付けたのよね。

目前に迫るメモリアルの準備、写真を選ぶことすら明日に伸ばしてしまう。たくさんのありがたきお友達が前日それに当日のお手伝いをしてくださる。あたしは、とてもじゃないがポーカーフェイスを貫けないのはわかっている、から後ろに引っ込んで飲み物担当の婆やをやろうっと。これならメソメソしてもさほど迷惑ではなかろう?

遺灰を1/5 ほどの小分けにして、こちらをメモリアルに持ってゆく。父親譲りの古いドイツ製の大ジョッキに入れてゆく。だってそれが爺やの希望なんだよ。オリンは過度に規則に忠実な部分と、引き継がれる伝統や形式を避ける部分、この二つをきっちり線引きしていた。ので、メモリアルは楽しく自由に来ていただき、笑いと音楽で締めくくりましょうっと。ところで、毎日オリンに『そちら側の様子をおしらせくださいよ』とテレパシーを送っているのだけど具体的な返答を得ていない。『あたしの母にも会ってね、誰それもね、プリンスもだよ。そうだ!あんたのお母さんに会えた?』きっと、苦笑しているのやら身体が無いので電磁波的反応で返しているのやら?毎朝毎晩、般若心経を唱えております。

引っ越した日のことは書いておきたい。

〜〜, 2023年、2月18日。ニューバーグにはちょうど3年と3ヶ月住んだ。お手伝いくださったFさん、ムーバーのお二方、ニューバーグの大家のAさんと弟のJ さん、不動産業を営むAさんの妹夫妻のEさんとMさん。ブルックリンでの積み下ろしは同じく二人のムーバーさん、手伝ってくれたRさんとその友人のCさん、大家のYさん。我が家の中古車には、オリンのギターとベース、電子ピアノ、プラント、重要書類のバッグ、これらをぎっしり詰め込んで一路、ニューヨークに戻って参りました。ゴムの木トミーや大きくなったアボカド、それこれはニューバーグに置いてきた。半地下に移るので、日の当たる場所に留まってもらう方が彼らには幸いするものね。

オリンは衰弱している身体の置きどころもなく、ムーバーさんたちが運び出す様子を備え付けのキッチンテーブルと、置いてゆく椅子にもたれ黙って見守っている。失礼だけど、ムーバーさんの要領が悪い、、しびれを切らして私も動く。どうも、このムーバーさんの親方が、アシスタントで選んだ人を間違えたものか、結局は親方一人でやり終えたようなもの、、、話が違う、こんなに荷物があるなんて!しかも重いものばっかりじゃ無いか、俺の連れてきた助っ人は仕事できないし、などなど文句の言われっぱなし。

親方の言い値プラス色をつけてお支払い完了。私もオリンも今回はお手上げだったので本当に助かりました。夕暮れ迫る頃、どうやらそれぞれにスタート。力もなく痩せ衰え、朦朧としているオリンは3時間かけ車を走らせる。。どうしても自分でやりたいって聞かない。

すっかり暗くなったハイウエイを挟んで、スカイスクレーパーの夜景がビカビカ光線になって目に刺さってきた。少しも嬉しく無い。全く嬉しくない。なんなのだろう、なんで私たちはこのような辛い時期に引っ越ししてるんだろう、数年前まではトラックで大陸横断を寝ずにやったね。

死ぬときは、アリゾナの灼熱の太陽の真下にボディを転がしてね、あ、ちょっとだけ土は掘ってよ、そしてその中に放してちょうだい。わずか4年半前のことなのに、息を飲む光景そしてひれ伏すより他ない神々しい大自然。オリンと私の真実の大地。それを共有した共通の体験、おそらく、、、来世で巡り合った時、二人が同時に大峡谷の話を始めるんじゃないかってちょっと心がときめく。

〜〜、引っ越したものの、数日経ってもオリンは動けない、ひたすら目を瞑って横たわっている。食欲はゼロ、、卵を散らした味噌汁は美味しいって食べてくれたけど、少量のヨーグルトも残してしまう。マッシュポテト作って、とのリクエストで作ったものの一口がやっと。それでも、病院に戻って点滴で栄養注射を、という応急処置やホスピスにゆこうというのは考えられないらしい。

ふと視線を感じベッドを置いた部屋を見ると、オリンが上半身を起こし私を凝視している。敢えて知らんぷりしてもう一度振り返ると、やはり同じように凝視している。『なあに、おっさん?(おっさん、とか爺や、とかその時の気分で使い分ける。)』オリンは少し微笑んで静かに横たわった。

台所のものが山ほどある。これらだけは少し整頓して、と思ったが、先の見えない新居は虚しい。ほぼ、箱に入れたまま。機材類もコンピューターもこれまではオリンはいち早く取り出してはオーガナイズしていたっけ。コンピューターの完璧な組み立てにほぼ1週間かかる”オタク””超スペシャリスト”。

故に、この彼の静謐な荘厳なマシーンとも思えるコンピューターを復元しようったって最初から無理。ほぼ全てを網羅した貴重な写真やビデオ、書き物も仕事上の請求書も彼自身の音楽ファイルもアートファイルも、迷宮入りのまま私がそれらの詰まった新旧のコンピューターデスクを保管せざるを得ない。持ってきた機材のほとんどは、こちらの友人や知り合いに託すようになるだろう。アリゾナの倉庫に入れたままの大変な量の本やガーデン関係やアート関係の行方も気になっている。オリンの長年の仕事先の人々にも連絡すべきだろう。

のちに、オリンは早苗をニューヨークにきっちり引っ越させたかったんだよ。それがオリンの最後の愛情だったんだよ、と皆に言われた。事実、A.H 氏がこのようにおっしゃった。『最後に僕がオリンと喋った時、彼はすでに自分の命が長くない、と知っていた。でも逝く前にどうしても早苗をブルックリンに引越しさせたい。皆の居るニューヨークに落ち着かせたい。これは僕の最優先事項だ、と。彼は目標を達成した。そしてそれがオリンの本質だった。』