O氏の治療歴, そして今これから。その12

メモをそっくりそのまま記すと;

2022年3月15日 ーー 5月5日 の52日間は 分子標的治療薬”ローブレナ” の休薬。5月6日より、”ローブレナ”(1日一回、100ミリグラム)再開。

ウォーターピル ”フロセマイド” 2022年3月16日 ーー 4月11日の27日間服用。両足、ひざ下のむくみ、足の甲の浮腫み落ち着く。蜂窩織炎・ほうかしきえんが奇跡的に回復、新しい皮膚ができてきた。 これらの事実以前に、肝臓の数値が異様に高いため危険水域に向かわせないための中断。

2022年4月25日 ーー 5月5日の11日間は 血液抗凝固薬 ”エリキュイス”を休薬。理由は肝臓の生検のため、本来の血液の状況を見るかららしい。5月6日より ”エリキュイス”(1日二回、計10ミリグラム)再開。

3月14日以降ほぼ週一で病院に通う。一旦、むくみ治療で本来のターゲットセラピーをストップしている為の毎回の血液検査。すぐに肝臓の数値の異常な上がり方が判明、これが4月4日のこと。

4月11日の血液検査の結果、確実に肝臓に問題がある、と。数値はさらに上がる一方。4月20日の主治医の判断で、ローブレナを再開する前に、肝臓がどのような状態になっているのか精密検査が必須、ゆえに、スキャン、MRI/核磁気共鳴、ウルトラサウンド/超音波、バイオプシー/生検, これら矢継ぎ早の精密検査が行われた。一旦、ガンの主治医から肝臓専門医に変わり、引き続き検査をする。これが4月20日過ぎのこと。

肝臓生検は4月28日に行われた。これら、生検や放射線治療の場合、決まってその説明、処置前と処置後の注意など記されたプリントファイルを渡される。じっくり読んでO氏ともども納得。

S君の場合、緊急入院もコロナのピークで一切の付き添いは認められず、問い診も注意事項の印刷物も同意書も、何を読み、どこにサインしたか何をどうされたのか、”何々がどれこれですので手術前にこれこれの注射します” ”これこれの数値が低下しているのでこれを飲んでください” と伝えられてもちんぷんかんぷん。モルヒネも効かず激痛の真っ只中に、麻酔は問題ないか、と問われても歯医者さん以外、それと最近の手首手術の全身麻酔以外は体験なし、入院中はほぼ頭が機能しなかった。

〜〜〜 続く

ニューヨーク、ですね?:It’s New York, isn’t it ?

病院の付き添いは緊急でもなく、私は一人、暑い青空の下をチャイナタウンに行く。ちょっと必要な買い物も終え、それでも時刻はオリンと落ち合うにはたっぷり残っている。建物の影を選びながら、杖を片手に3番街を北上する。

ニューヨークに出向くときは ”転ばぬ先の” 杖は離せない、とはいえ今回もレジに杖を置き去りにして、お客さんやレジの女性に『あんた〜!忘れてるよー』って杖を指さされた(笑)。何やら、とうの昔にニューヨークにいる緊張感・甘美な自己満足感は消え去り、日々の記憶と習慣、加えて、碁盤の目のように規則的に縦横を走っている通りにも助けられ、歌を歌い、ぼんやりと想念を追いかけ、汗をぬぐい、”年をとるってこういうことかな” となんだか面白くなってくる。大好きなお友達、皆に会いたいけど帰りのバスが待っている。

プリンス・ロジャー・ネルソンのことを考えていたら目の前が ”プリンス通り” だった。ハウストン通りとスタントン通り、リビントン通り、そして3番街。この一帯が当時の私の存在の証。

いっとき住んでいたバワリーのロフトは程なくピカピカな画廊になり、今日、久しぶりに通りかかると画廊は何処へやら? 全体が改装の真っ只中になっていた。

今は飛び切りに土地の高騰する一等地。美術館やレストランやマーケットが連なり、20年前の記憶と交差する。あの頃、ロフトの裏は広大な空き地に鬱蒼と灌木がかぶさり、野犬が群れなして吠えていたっけ。ロフトでは何度か妖精を見たよね。既に雨漏り激しく床も崩れる寸前の暗いロフト内で、私は蝶々が飛び交うのを見た。何??小さな妖精さんたちじゃないの!!?? 複数回みた。

あの時の妖精たちに頼んだことが、そして感謝の気持ちから当時のロフトオーナーに縫ってあげたトンデモ服が、今になってそれらがロフトオーナーをシンデレラボーイに変えた。奇異な小説のようだけど本当の話。

It’s not important that I stay near the hospital, so I go to Chinatown alone under the hot blue sky. I’ve done some necessary shopping, but I still have plenty of time to meet Orin. While choosing the shadow of the building, I walk north on 3rd Avenue with a cane in one hand.

When I go to New York, I can’t let go of the cane that “doesn’t fall” however, this time as well, I left the cane at the cash register so was told by the customers and the cashier “Hey you! You forgot!”— they pointed at my cane (lol). Somehow, the tension and luscious self-satisfaction that I had in New York long ago disappeared already. As well as the streets that run regularly like grid, helped by my memories and habits. Singing songs, vaguely chasing thoughts, wiping sweat, and “I wonder if this is what it means to get older” becomes somewhat interesting. I want to meet my favorite friends, but the return bus is waiting.

When I was thinking about Prince Rogers Nelson, I saw “Prince Street” in front of me. Houston Street, Stanton Street, Rivington Street, and Third Avenue/Bowery. This area is a proof of my existence at that time.

The loft where I lived for awhile soon became a luxury gallery, and today I passed by after a long time, where did the gallery go? The whole building is in the middle of a renovations.

Now it is a prime location where the price is soaring. The museums, restaurants and markets are lined up, and intersect with the memories of 20 years ago. At that time, the back of the loft was covered with dense vacant lots and shrubs, and stray dogs were barking. I saw fairies several times in the loft. I thought butterflies flying in the dark loft, which was already leaking and the floor was about to collapse. What? Not the butterflies but they were little fairies! !! ?? I’ve seen it multiple times.

What I asked the fairies at that time, also all of my appreciation and feeling of gratitude to a person who was the loft owner at that time – I sewed several eccentric funny clothings for him. Now these old clothings have turned the loft owner into a Cinderella Boy. It’s like a strange novel, but it’s a real story.

O氏の治療歴, そして今これから。その11

さあて、いよいよ現在形に近づいてきました。

2021年の暮れから2022年幕開けもO氏の浮腫みとの戦いは果てがない。ありがたいことに、O氏の両手首の腫れと痛みは、動かしすぎぬよう細心の注意でいたことや、同様に無理に動かさないよう気をつけていた日々が功を奏し、だいぶ楽になってきた模様。

足のむくみは相当なもので、それゆえにO氏はS君に両足を見せたがらないし、寒い季節はどうしたって長ズボン。なのでうまいことS君に隠していたのだろうか。S君はネットで調べた浮腫のツボ押しだの何だのを試みるのだが、押した跡がそっくりそのままでかえって痛々しい。

イベントあれこれで忙しさが重なる頃、S君は3月上旬に一枚のレシート発見!帳簿付け担当なので、それまで見たことがないレシート。いつの間にか、O氏は薬局で液体絆創膏というのを買っている、どこに処方した?? それよりも前に、パンパンのO氏の左ふくらはぎに怪しい水ぶくれ出現。浮腫みきってとうとう内部から溢れてきたかのような、そのちょっとした大きさの水泡にS君は気がついていたものの、火傷や皮膚の傷にはキダチアロエがよく効いたこともあり、破けたら即、アロエで処方してなどと気楽に構えていた、その判断を誤っていたものか。。

『ちょっと見せて、あの水ぶくれ』とS君はシャープに尋ねる。『うん、、、大丈夫なんだよ、ただ血が出てきたから大至急液体絆創膏でーー』。観念してO氏は左足ふくらはぎを見せる!!!!形容しがたい惨憺たる有様ということでよろしくお願いします。既にリサーチはしていたので、唯一言えるのは、重度の蜂窩織炎(ほうかしきえん)ということ。有無を言わせず即病院。

もちろん、主治医はその日からしばらくこの皮膚の深部炎症が完治するまで分子標的治療薬・ターゲットセラピーの ”ローブレナ” をお休み、との通達。実のところ、この薬も副作用の一環で浮腫みや肝臓に障害が出る、ことも十分に推測できるわけ。それまではO氏もS君も夢見心地に、『このまま、ガンが落ち着いて増えることも成長することも転移することもなければ、一病息災で良いからローブレナの減量とか休薬、断薬に向かえるように食事のバランス、運動などももっと真剣に考えようね』などと言い合っていたし、きっと願いは通じると今も思っています。

その日の検診でローブレナを緊急ストップ、これが3月14日のこと。(昨年の5月21日から欠かさず服用していたが約10ヶ月で一旦休止。)どのような新薬も、患者側の身体に耐性ができてしまうと効果が無くなるのみならず重篤な副作用発生、という結末を迎える。今回は、一旦副作用治療のための休薬らしい。

俗にウオーターピル、と呼ばれる ”フロセマイド”を早速服用。毎日一回、20mg。身体の不要な水分を外に排出するらしい。O氏においては両足の浮腫への処方箋、これが3月16日のこと。奇跡的に、蜂窩織炎の部位はみるみる回復し出し、惨憺たる状況もまさに時々刻々表面が乾いてくる 〜 うっすらとカサブタらしきものが表面を覆う〜 ピタッとカサブタで覆われる〜 凹んだ状態だったカサブタそのものが盛り上がってくる〜 ある朝、カサブタが剥がれうっすらと健康なピンク色の皮膚が現れた。

〜〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その10

始めは、ギターやベースを弾いている時、O氏は左手首、それからほどなく右手首の強い痛みと浮腫みに気がついた。本来が楽天的な性格ゆえ、『久しぶりに弾きだしたから手首が疲労しちゃったんだろう』などと本人はポーッとしており、緩めのサポーターのような布を手首に巻いてニコニコしている。

コンピューターワークで当然とはいえ両手指を駆使するわけで、こちらはあまりストップできないため、O氏の手首の痛みも浮腫みもなかなか回復しない。それどころか日に日に両足首からくるぶし、やがては両ひざから下、ことに左足のむくみは半端なく指で押しても全く戻らない。同時に両足の甲もむくみがひどく、左足の裏(土踏まずはちゃんとアーチ型に見てとれる)の激痛も始まり、今ではS君のウオーカーや杖を使う羽目になった!もう、両アキレス腱の位置すらどこだかわからない、等々いかに大変な浮腫か想像できるよね。

たまたま二人がスニーカーを買いにニューバーグのショッピングセンターに出かけた時も、O氏は腫れ上がり切った浮腫のためこれまでのサイズが入らない。結局はふた回り大きなサイズのシューズを決めたのだけど、もちろん、それまでにもS君はこのO氏のありえない状況を徹底的にインターネットで調べをつけたり、診療看護師宛にメイルを送ろうとするのだけれど、その都度O氏に止められる。なんだかんだO氏なりのアイディア、理屈、経験上、『昔、合わない革靴で同じ部分を痛めてその時も完治に時間がかかった、だから今さらって云うか痛いのは困るけど。でも大したことはない』 と。『足裏の激痛は、日々早足歩きの特訓(これで肺活量や筋肉を強化するらしい、O氏なりのアイディア)による弊害なので心配ない』。

そんなわけないですよ。S君の拙い素人リサーチでも ”これこれのむくみはーーーによる弊害・副作用、ゆえにいち早くドクターに知らせること” と明記されているではないですか!? O氏は血液検査などでは定期的に主治医または診療看護師に会うのだが、一応は副作用らしき状態を見せつつ『でも、大丈夫なんです』と自ら打ち消してしまう。

このように刻々と発症してきている浮腫みは、2021年の10月頃にはスタートしていましたね。同時に O氏の足裏の激痛は ”足底筋膜炎”という症状が一番似ているけれど、もう、わからなくなってくる。相談できる有り難い人々には恵まれているが、この時もリフレキソロジストのお友達には随分と助けていただいた。

〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その9

夏いっぱいは可も無く不可も無く淡々と治療が運ばれていった。ここで一悶着が起きた。

つい数ヶ月前は危篤状態のO氏であった、その事実を踏まえるとコロナのワクチンを打って良いものかどうか、ローブレナ、のおかげで一息をついて未だ本調子ではない身体状況で、副反応がきついと言われているワクチン。この成分がO氏に及ぼす影響を考えるとS君は気が気でない。お年寄りや持病持ちの人こそ率先して打つべき、という見解には、果たしてO氏のような死に損ないのガン患者にはどうなのか?という単純なS君の疑問。

ー〜ーー、全て割愛。

S君自身は未熟児として生まれて以来の特異体質で自己免疫疾患。これまでのあらゆるワクチンを回避してきた歴史から、今回も打つことはできない。ドクターにその旨、オフィシャルレターを書いていただいてある。

O氏は2021年の8月と9月、モデ**のワクチンを打った。それはさておき、今に至るまで二人ともにコロナには罹患していない。風邪もひかない。いや、待てよ? S君は、2019年の秋やっとの思いでイーストコーストに舞い戻り、O氏を支えつつ部屋探しだの何だの疲労困憊の中、恐らくはとびきり攻撃力のある新種の風邪(フルー?)にかかったのか高熱と空咳、一度昔に肺炎をやっているのでその部位もキリキリ痛む。まだ、コロナの出現する前でもあったのだけれど個人的にマフラーをぐるぐる巻きにして喉の保温、それに日本製のマスクで喉の保湿。生姜や味噌汁でなんとか乗り越えた。

とにもかくにもO氏においては他所からの咳・くしゃみ、何であれ受け取ってしまうと命取りになりかねない、ので非常に気を使って来た。最低必要事項としての手洗い、うがい、マスクは欠かせなかったが、最近はワクチンを打った打たないに関わらず、コロナでは?という症状(またはコロナにかかった)を訴える人々が多い。皆一様にこの数年来の騒ぎでピリピリしているし、心身ともに疲労困憊もしている。

数年来の間断ない治療、弱っている身体の免疫力の低下、これまでの治療による身体組織の疲弊、劇薬相当のターゲットセラピー(事実、取り扱いは毒物とすること、などの注意が明記されている)、ここに新たにコロナワクチンという人工培養物が注入されるわけでもあり、果たしてO氏の弱り切った免疫システムは次々のニューフェイスにどのようなリアクションを示すのか、。。。 アクセプトできるんだろうか?

O氏の2度目のワクチン接種は9月18日だった、その二日前の9月16日の定期検査では肺も脳もそれぞれのガンは落ち着いており問題無し、ただし肝臓の数値が上がっていて何かの兆候かも、と。

このような状態でワクチンを打っても大丈夫か?とS君が尋ねたところ、フィジシャン曰く、”問題ないです” との事だった。

〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その8

それこれあって、激動の2021年のスタートはこれまでの総括とも思えるし、終わりの始まり、という気分にもなるし、残された人生の見直しと軌道修正、本当の人生のスタート、と我が身を奮い立たせれば、なるほど。。そうなのかなとも頷ける。

S君の最大の強みは、『どのような艱難辛苦といえども最後は大笑いするのだから、何をくよくよ心配している?』『思い出してみて!奈落に突き落とされた苦しさも辛さも今は笑い話。必ず浮かび上がる。それを知っているではないか!?』。。そしてこの確固とした強靭さが、時として誤解もされれば ”ドラマクイーン”と呼ばれたこともありました。

ーーどうやら肺炎のステロイド治療も終えたO氏ではあったが、これでまたしても振り出しに戻ったにすぎず、定期的なスキャンも血液検査も欠かせない。どうやら頭の中、脳の腫瘍は完全に縮小しており問題はなさそう。流れとしては、ターゲットセラピーの副作用による肺炎、の後遺症での肺血栓が存在しているので抗凝個剤を経口薬ではなく注射・ショットに切り替える。こちらは ”エノクサパリン” というお煎餅を想起させる美味しそうな名前で、もちろん、本人自らが自分の身体に射つ。1日に一回、80ミリグラム。ということはエリキュイスの8倍の量なんですね。何なのだ。

ショットは一気に体内に流れるので血栓を溶かすには有効らしい。(確か、S君も2月の大腿骨頭置換手術の後、血栓ができやすくなるということで渋々このような効能のショットをひと月続けたよね)これが4月中旬のこと。経過も良く、5月下旬には再び以前のエリキュイスに戻る。

フィジカルセラピーやクリニック通い。その都度、お隣や誰彼に車を動かしてもらう迷惑は避けたい、S君の歩行は覚束ず、そうか、と言ってタクシー代もかさむし第一左足が動かせず、乗り降りにかなりの時間を費やす。大抵は運転手さんは親切に待ってくれるが、そういう日ばかりではない。

これもまた、怪我の功名?というか致し方なく中古車を購入。(S君の本音は嬉しかった。引っ越し以来、大きな買い物は市内バスを使っていたものの、これからはしばらくバス利用も無理だろうし、第一、脚がこんな状態だから一切の荷物は持てない)

マニュアルで16年前のホンダ、車種や値段や条件や色(渋いゴールドのタンカラー)までが思っていた通り!!早速、”本タン・ハヌマン・プリンス”と命名。天気も良い、O氏はぼちぼち調子が戻り、近隣のパークやタウンにドライブすることが増えた。

肝臓さーん、大丈夫ですかー? 4月下旬にはかなり大きな腫瘍がO氏の肝臓に所見。しばらく副作用続きのためO氏はそちらの治療に追われていて、基本的なガン治療は間が空いてしまっている。それゆえか、身体の弱い部分めがけて再びガン細胞が活発化してきたのか。4月下旬にはO氏、ほぼ危篤状態。。。

眠れず動けず食べれず立ち上がれず横になることもできない。ひたすら肝臓部位の痛みに耐えている。

検査の結果、今度はおそらくはO氏のガン細胞発生を阻止する条件にかなり合っていると思われるターゲットセラピーを再開、その名は ”ローブレナ”。どうして、たいていの治療薬は可愛らしい名前なんだろう、スーッと頭に入ってくる。もっとも、こちらでの英語・アルファベットではこんな単純なアクセントじゃないとは思う。毎日朝に一回、100mgの錠剤。当然であるがこれもまた、とびきりの劇薬に相当する。これが5月21日のこと。約1年以上経た今現在も継続している分子標的治療薬であります。

S君は杖を用いながら歩行訓練やらフィジカルセラピー通い。一切をO氏には頼れないので食べ物・野菜の買出し以外は全て自分で賄う、ことに靴下を履く、下着を身につける、爪切り、などは文字通り歯を食いしばって特訓。しかしこのように自分にかまけざるを得ない状況は、裏返せば否応なしにS君はS君自身に向き合わねばならず、気にはなってもO氏の介護はできない。そのような時期だけに、O氏にはローブレナが効いて危機を脱出できたのはとてもありがたかった。 ただ、、S君の身体事情から車を入手したっていうことがO氏には負担なのではないか?

O氏本人が治療の身で、連れ合いのS君のフィジカルセラピー通いを往復の運転でサポート。その頃にはS君は少しずつ外に出て、歩行訓練開始。O氏は、杖をつきヨタヨタ歩くS君を介助しないわけには行かない、 〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その7

2021年2月7日。極寒も吹雪もそれまでは異常、と捉えられていた気象変化も今は通常現象になってしまったが、続いた大雪の止んだ或る夕方、S君は暗くなる前に、と、いつものように裏庭の一角のコンポストコーナーに、野菜くずやら失敗したザワークラウトを埋めに行った。当然、コートも着なければ財布もセルラーも鍵も持たない。多分、一瞬の魔の刻??

寒い夕方で、履き変えた長靴の底の凸凹にハマった雪が凍って、恐らくは底全面が平らにツルツルになっていたかもしれない。同様に、日中に表面だけ溶けた雪が再び凍ってこれもツルツルのアイスバーンのようになっていた(と思う)。裏庭から建物に向かおうとしたその刹那、思いっきり滑ってしまい、前回の手首骨折と同様に、頭だけは守らなきゃあという本能が働き、ひっくり返る瞬く間が、S君的には数十秒の感覚。

腰?の砕ける嫌な感じと言って良いのかな、それでもS君は、『大丈夫、骨折する訳がない。多分打撲、、もしかしてヒビ?』と、あらぬ希望的観測、そんなふうに思い込みたかったらしい。それから1時間、声も出せなければ動きも取れず、情けなく雪氷の上に転がったままじっとしていた。目の前の一階の住人が気がついてくれれば、と願ったり、二階のO氏が部屋に戻らぬS君を不審に思って、窓越しに庭をチェックしてくれれば、とも願ったが、もう日暮れて真っ暗な庭の白い雪がボーッと広がっているばかり。

渾身の力、と言いますか、上半身を立てて進行方向を後ろ向きのまま、両腕でズルズルと体を引きずりなんとか建物内部に入り込めた、が、激痛で声も出ないし加えて二階までの階段をどう登ればいいのやら。

結論から言えば、その後、緊急入院と手術により、S君は1年前には右手首、今また左大腿骨、とサイボーグ化してきている。骨粗しょう症でないことがわかったのはホッとした。参った! これではO氏を介護するどころか、反対にS君がO氏に介助を頼まねばならない。 〜〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その6

2020年11月、キモセラピーも、ましてやイミュノセラピー・免疫治療もO氏にはご法度、となるからには残された選択はさらに狭まってくる。致し方ない、、すでにO氏の身体状況は弱ってきているし、そのような状況で全身の細胞を善悪いずれもやっつけてしまうキモなどは、とてもでないが受けてはいけない。

新しい治療法!とみに脚光を浴びているターゲットセラピー。それまでも聞いてはいたものの、実際のところ具体的にはその意味するところを解っていなかったS君は、大至急調べをつける。”分子標的治療(薬)”、(身体内の特定のがん細胞・がん遺伝子から作られるタンパク質などを標的として、がんの増殖を阻止したり、ガンの成長を制御する治療法)この方法だと、普通の正常な細胞はそっくりそのままの状態でいられるので、身体への負担が限りなく減少される。

そこで処方されたのが ”アレセンサ”。なんだか可愛らしい子供のような名前だけれど、強力な抗がん剤。まずはこのターゲットセラピーが始まる。150mgの錠剤を朝晩二つずつ2回に分けて飲む。ということはどうにもかなりの量になってしまう(毎日150x(2+2)=600ミリグラム)。ところが服用初日の11月26日から日も浅いうち、O氏の身体にどう見ても副作用としか形容できない障害が発生;呼吸困難、咳、全身のかゆみや極度の疲れ、何よりも毎晩、シーツから寝巻きから何から何まで取り替えねばならない大量の寝汗!絞るほど!! 何故なのか、O氏は普通であれば即、知らせるべき副作用の発症を主治医と診療看護師にひた隠す。一刻も早く伝えるべきなのに、S君が連絡しようものなら怒るんだね。『自分は癌なのだから副作用が出てもしょうがない、これしか治療法がないのだから止める訳にはいかない』と妙に悟ったようなことを言うのだけれど。

でも、これこれの副作用が現れたら即刻中止、かかりつけの医師に連絡すること!と大きく注意書きされているんです。

待った無し。ひどい副作用をS君が訴えたことも誘引か、その場でスキャンを取りその結果、(又しても)”非感染性肺炎”が発覚。案の定、主治医の一言でアレセンサの服用はストップ。ステロイド治療を2021年の1月いっぱい続行。これが新年の1月5日のこと。

〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その5

2020年の夏からの抗生物質治療のおかげか、副作用である肺の陰りも消失。転移していたガンも、脳細胞のものは縮小し、骨の転移も縮小している。厄介なのは肝臓さん。スキャンの結果9月にはかなり大きい腫瘍が二つ肝臓に見られた。

どうなっちゃうんだろう、S君は気が気でない。放射線治療しか方法はないらしい、しかも肝臓に照射、しかも合計で36グレイ という途方も無い量を?! 都合6回に分けて行われたのだけれども、腫瘍部だけに照射するため、あらかじめ細心の検査、照射部位へのマークをお腹につける、(タットウ・入墨と呼ばれ、小さな黒点マークは永久に残る)正確な位置確認などなど。それでもS君は、放射線治療医にしつこく安全性を尋ねまくった。答えは、体外つまりは皮膚を通して肝臓への照射になるので、その放射線の通り道は、当然とはいえ被曝状態になる、と。故に、、人によっては皮膚ガンというものも発症する可能性もある、と。

そうだ、アリゾナでは、O氏は脳腫瘍(肺がんの転移)にやはり放射線治療が施されており、あの時もリハーサルというのか、綿密な検査と位置確認、放射線がきっちり腫瘍部だけに向かうよう、防御脳マスク(頭部固定用シェル)?を被ったりしていたよね。。

当初からのCTも含めると、すでにおびただしい相当量の放射線を浴びてしまっているO氏。治療ってなんなのだ?なぜにO氏は従順なんだろう、すがりついているようには見えないけれど、と言って、安心して信頼しきってこれらの治療や検査に甘んじているようにも見えない。O氏は必死だった。ただただ必死だった。最新治療も結局は対症療法じゃないかしら。といって、放っておけば命取り(?!)

食べ物も、サプリメントにしても、分析してゆけば最終的に分子記号的に解釈できる構造になっているわけで、それらの身体への選び方や取り入れ方、何を摂取し何を取捨してゆくか、どうしたら身体内のバランスを図り、副作用を抑え回復できるのか。 副作用が発生しないためには、副作用を形成する本家本元を絶つ、のじゃないかしら。

〜〜〜 続く

O氏の治療歴, そして今これから。その4

ニューバーグ に移って二人が嬉しかったのは、地形がハドソン川に向かってなだらかなスロープになっており、歩き回れる規模の街だったこと。木々、植物も豊富に生えている。さすがビスビーの時のように人里離れていることもなく、二人の落ち着き先のストリートはアフロアメリカン・ジャマイカン・メキシカン・ドミニカンの陽気な波動に満ちている。うるさいこともあるけど、袖触れ合うも他生の縁。いや、縁どころか、S君の過去生でご縁のあった方かも知れないではないか?!

O氏の治療そのものは、主治医も診療看護師もニューヨーク大学病院も何もかもがスムーズで、束の間の平安。。。なんたることか、2019年の暮れ、こちらでの大きなホリディシーズンを前にS君は買い物の途中で滑る。下り坂道の真ん中で突然S君はひっくり返る。坂道が凍っていたのは十分わかっていたつもり、まさか滑るなんて!しかも咄嗟に頭をかばったため右手首がストッパーになり、ねじくれての骨折ですよー。救急外来で処置していただいたものの、クリスマスやら新年を前の大きなホリディシーズンゆえに、手術まで1週間待たされた。

O氏もS君も、それぞれの治療やら何やらで仲良くニューヨークに行ったり来たり。幸い、長距離バスが走っており難なく往復できていた。それは一連のコロナパンデミック前のこと。

2020年の春。コロナの深刻な流行で長距離バスは運休の運び。車を手放している二人には少々頭が痛い。その頃にはS君の右手首はかなり動かせるようになっていたし、フィジカルセラピーも終了して、大家さんの庭作りを手伝ったり植物を植えたり世話したり、忙しく充実していた。

O氏もバス運休のため、すでにこちらニューバーグの腫瘍医・オンコロジストに変えてもらっており、継続してキモとイミュノセラピーを受けていた、が、定期的なスキャンとMRIの結果、肺が白く変色していた(グレイゾーン!)。その頃には、少しはバスも復活しており急遽、本来のニューヨーク大学病院 に直行!!主治医と診療看護師の懸念は、1、コロナ肺 (コロナに罹患したための肺の炎症) 2、免疫セラピーの重篤な副作用で肺が炎症を起こしている、

ことに、癌患者が弱っている免疫力を薬に依って高めるため、このような療法が施されるのであるけれども、免疫力が高まりすぎて本人の細胞や各臓器を攻撃してしまう、いわゆる自己免疫疾患になってしまったらしい。

慎重な検査の結果、O氏の肺は、免疫治療の副作用で肺炎を引き起こしているそうで、故に今後一切のイミュノセラピー(キトルーダ)もキモセラピー(アリムタ)もストップ。真っ先に肺炎の治療、ということで抗生物質投与になった。また、肺に血栓が発生していたので、即、抗血栓剤 も服用することになった、抗血栓剤 には二つの異なった種類が用途別にある。O氏に処方された薬は抗凝固薬の ”エリキュイス” (毎日朝晩1錠ずつなので5mg x 2=10ミリグラム)、今に至るもずっと服薬している。これらはすべて2020年6月半ばのこと。

〜〜〜続く