アレコレ:this and that

9月中旬の頃、東京に住むMちゃんがニューヨークに遊びにきて、私たちの住むニューバーグにも足を運んでくれた。彼女がニューヨークでアートやコンピューターを学んでいた頃、私は彼女のルームメイトとして、ブルックリンで数年一緒に過ごした。当時も今も、彼女の芯の通った一貫性は変わらず、加えて実に聞き上手なので、終日私は大はしゃぎしてしまった。

The middle of September, M-chan who lives in Tokyo, was visiting in NYC and also came to visit our Newburgh City. When she studied art & computer programing, I was her roommate and we lived few years together in Brooklyn. From that time to now, her great character of having a consistent core and a good listener personality has not changed at all, I was so excited and talked about many things during this spent a time with her.

こちらは、ごく最近の出来事。なんていうのかしら、あらゆる情報を最小限の言葉で表現する俳句のように、一枚のスナップが全てを語ってくれている、そんな写真やビデオを撮りたいなって思ってきている。

This is a very recent event. I don’t know how to say it, like a haiku that expresses all kinds of information in a minimum of words, I’ve been wanting to take photos and videos where a single snapshot tells everything.

O氏の治療歴;号外号外!皆様ご心配をおかけしました。

アリゾナ以来、S君はずっとO氏の状況を写真に納め、いくつもファイルしている。具合悪い時、元気な時、皆と一緒の時、食べている時、出かけた時、ほぼ網羅している。これは特に意味はない。S君はこんな風にO氏を撮りたいだけなのだ。子孫がいれば、後に、グランマとグランパの写真だよって、子供達が大切にしてくれるかもしれないけど、見渡す限り、二人には親族というもののつながりがない。故にお友達の親族が限りなく羨ましくもあり、ありがたくもある。

先週の慌ただしかった数日の、ちょっとした写真をここに入れたいと思ったS君。何卒、お許しあれ。

9月26日(月)、何時間もずーっと看護師さんが呼びに来るのを待ったのでした。病院の窓外は間断なく救急車が走り回っている

O氏の治療歴, そして今これから。その28

そういえば、付け加えというか、昨日10月4日(火曜日)はO氏の定期検査の日でもあった。もちろん!予定に組み込まれているキモセラピーは中止。その代わりに、先週の生検の結果をドクターから説明していただくのです。しかしながら、今しがた出かけたはずのO氏が駆け込むように戻ってきて(S君は他の用事でO氏と行かなかった)説明もそこそこにトイレに直行。なんでも、ニューヨーク行きのバス停に向かう途中に猛烈な吐き気と腹痛で、(事実、実はよくあるのですが、O氏はいよいよ突然下痢になることが日常化している)とてもじゃないが今日は無理、と。そこでS君、キャンセルのお願いを主治医に伝える。輸血も、100%信頼できるわけでなく、たかだか10日たらずで本来のO氏の身体に限りなくフィットしているのかそうじゃないのか未だにケアフルなところです。

ひとつ嬉しかったのは、肝臓生検の結果を電話ミーティングに切り替えていただき、懸念していた肝硬変では無いこと、腫瘍も大丈夫なこと、ただ、なんだか(肝心なことがS君はわかってない)肝臓に付随する血管が弱って狭くなっており、これらは状況的に、少しずつ普通に戻るだろうから、とのこと。

何度でも言いたいのだけど、O氏のがん細胞は依然としてステイブル、消失したってことはないけど限りなく良い兆候。故に!!鍼灸とかマッサージ、いろいろ代替治療もやりたいよね。

〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その27・加えて医療ミス・加えて大量の輸血

せっかくの腹腔穿刺も、翌々日には見た目もほぼ同量が戻ってしまった。水枕のようにタップンタップンしているのではないけど、本人はその快適とは言えないお腹の膨らみのため 速歩が難しくなってきている。抜いた腹水そのものの検査の結果は、微量ながらガン細胞が混ざっているらしい。腹水が減ったので再び肝臓生検。早くしないと元の木阿弥。.S君の調べでは生検は危険そのもの。だって外部から、ガンとか炎症部位に器具が入り込んで肝臓なら肝臓の一部を切り取り出すわけです。(検査のためなんだけど)つまり散らばってしまうのよ。

、、、、今現在、2022年9月29日、午後10時28分。

そして、今、10月5日(水曜日)。日が瞬く間に過ぎてゆく。

9月26日、O氏は腹腔穿刺の後、間髪おかずの肝臓生検。危険であり、医療ミスも後を絶たないと言われている、前回は奇跡だったのかも、、、何事もなく。これは、ミス、というよりも超音波で危険の少ない部位を選び、その画像を頼りに器具を入れ肝臓の一部を切り取る。むしろ、ロシアンルーレットかもね。こんなことが最新の医療でもある。

ま、穴の空いたO氏の肝臓から腹腔内に血液ダダ漏れ、大きい4パックの輸血。即、止血の緊急手術。きっちり覚悟をきめたS君。目の前で人が死んでゆくってこういうことね、まずは親しい友人たち、O氏のテキサスに住む妹にテキストを送る。さあて、どうしよう。何も考えられずじっと固まっていた。驚くほど静かな気持ちでもあった。〜〜〜〜、とりあえずは一命をとりとめた、っていう月並みな言葉しか考え付かない。日本と違って、こちらはおそらくは、保険会社との兼ね合い?脈や血圧が戻った時点で即退院(汗)、それが9月29日。

この後に、とんでも無いことが起こり、それは、個人的なブログに書きたいとS君。

〜〜〜〜〜 続く

々から

晴れた日に永遠が見える:On a Clear Day (You Can See Forever)

”晴れた日に〜〜”は、1970年のアメリカのミュージカル・ファンタジー映画タイトル。超能力のある女学生が禁煙したいがため精神科医の催眠療法を受ける、が 催眠の最中、突然彼女は前世を思い出す〜〜、最終的にこの女学生と精神科医は、来世で晴れて一緒に。

本題に入るね。私はある人物(多分、男性)について書こうと思う。この男性は、これまで三回私の夢の中に現れた。とにかくオシャレ、黒のスーツをピシッと決め真っ直ぐにしっかり立っている。よくある山高帽を被って、端正で無表情の顔立ちはどう見ても何かの化身。しかも、何系とか何国人などのヒントも通用しない。精巧なロボットに近いけど、マネキンっぽくもある。といって、宇宙人というのではない。

いつだったか椎間板ヘルニアを患い、身体全く動かせず半立ちで固まってボーっとしていた時の夢うつつ;私は歩けないので飛ぼう、と思いついた。だだっ広いターミナル駅のコンコースの上を飛ぶ。でも私の眼下には人っ子一人いない。明るいコンコースが幅の広い階段に向かった。ふわふわ漂いながら階段を見下ろすとそこにこの ”男” が立っている。飛んでいる私を見上げてにっこり会釈してくれた。。。

そんなに前じゃない、普通の夢に普通に現れた;寂しい薄暗い大地に棺おけ状の箱がザーッと果てなく並べられている。皆、それを一つずつ与えられている。中は概ね、小柄な私が背伸びできて両手も半折りで収まるサイズ。これから私たちはこの中で暮らすんだ、誰かが私の箱の隣に突っ立っている。顔を見るとこの ”男” だった、、、(今思えば、何かの予知夢にも通じる)

とりあえず最後は数年前、ビスビーでの夢; (とは思えない、夢と現実に位置する世界?)暗がりの中、何者かが、私たちの小屋のドアをガタガタさせて侵入寸前!私は大声で、誰だー!とか 止めて〜 とか喚いた! 暗闇の広い敷地の向こうはフェンスで無人の空き地につらなっている。私は追いかける。その侵入者は如何にもこうにも例の ”男” だった。高いフェンスを曲芸師みたいに飛び越えて何処かへ行ってしまった。実際に私とオリンの住んでいたメキシコボーダー、過疎地のビスビーの小屋が そっくりそのまま寸分違わぬ不思議な夢。

〜〜〜、映画を解説させたら並ぶもの無し、私の大好きだった淀川長治氏はいくつもの超常体験をされたらしい。その中で、私の好きなエピソードはこれです。

シニガミ、水先案内人、

『生死半半』(淀川長治)「延命治療について」  昭和四十四年(1969)十二月。夜、激しく咳き込む母の背中をさすっていた時、「私(淀川長治)」の目に、はっきりと死神の姿が見えた。信じてもらえないかもしれないが、部屋の四隅に、鼻先のとがった悪魔みたいな奴らが座っていた。「私」は思わず、「まだ連れて行ったらいけません。もう半年待って」と言った。それからちょうど半年後に、母は死んだ。あの時、「あと五年待って」と頼んでおけば、母はもっと長生きしたかもしれない。 

”若紫”. 神舘美会子 / みたち みえこ

みえこさんと初めてお会いしたのは、確か2012年でしたか。

遡る2011年3月11日、福島の三つ巴(地震・津波・原子力発電所の崩壊)の大災害は記憶に生々しい。被曝や汚染回避のため故郷を離れざるをえなかったたくさんの人々、津波による環境の壊滅的ダメージ、改めてその危険性を知るがゆえに原子力発電所の廃絶を求める声が高まり、2011年以降 ニューヨークのいたるところで沸き起こるデモや集会、その中でみえこさんと出会った。

みえこさんは美術大学卒業後 早くに海を渡り、ニューヨークに落ち着かれて後 テキスタルデザイナーとして第一線で活躍。ご子息の誕生後は、異国で生まれた子供達への語学・情操教育をサポートする私立学校を設立されたり、文字通り 八面六臂の大活躍。

前後するが、知人を通して、彼女の出版した ”Odyssey 遥かなる憧憬 ” という本の話を聞いてもいたし、わたしが訪問介護をしていたご家庭がどうもみえこさんの関係者らしかった、等々、接点がいくつもあったにもかかわらず、わたしがよく顔を出していたダウンタウンの老舗ギャラリー、128画廊でお会いしたことがそれまで一度も無かったのが いささか不思議でもあった。

のちに、この時期は彼女がまさに彼女自身の抱えてきた、そして内奥の忘却の部屋に封印してきた怒りや苦しみを いかに理性と感性で理解し分析し受容し、ついには解放してゆくか、ゆえに ”許し” を実現したか。その年月と被っていたことがわかった。

『 ”ある日突然、狂気の発作が襲って” きてから精神の回復に至る約10年間、素晴らしいサイコセラピストに支えられてきました、その間はほぼあらゆる活動からも アート制作からも 人々との交流からも遠のかざるを得なかった、それどころではなかったんです。間断なく脳内に出現する途方もないイメージに引っ張られまい、と これらのイメージをひたすら言葉に変換してきました。10年に及ぶセラピーの間、毎日、異世界の旅を日記として書いていました。書き続けた55冊に及ぶ大学ノート、ここには私の神話(異世界の旅)が詰まっています。それは私個人の神話です。そして、この体験を通じて、すべての人はそれぞれ固有の神話を持っているということに気付かされました。』

と、お話くださった彼女の、ご自身を取り戻すべく彼女の神話と原型に向かった長い旅の集大成として ”Odyssey 遥かなる憧憬” は出版された。 (この、彼女のギリギリの精神の淵での試みは、のちにユング派の推奨するアクティブイマジネーションの方法そのもので、あとがきを書かれた医学博士;老松克博先生は大変驚かれたそうだ。)

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みえこさんの第一印象は、”虫愛づる姫君” もじって ”言の葉愛づる若紫姫” がぴったりする。型にはまらない、やんちゃな童女が草むらを駆け回って、はらはら降ってくる言の葉・ことのは を追いかけている。いや、そうではなくて、どうも言の葉が彼女の周りに来たがるのかしら。創造の引き合う力。重力と引力とインスピレーション。何故か源氏物語が現前し、黄昏の室内に火を灯すことも忘れて彼女はそれら言の葉を優雅に紡いでいる。

以前、彼女に 『みえこさんは文筆家だし、絵描きであり、彫刻家であり、アクティビストでもあるよね。もし一つだけ肩書きにせねばならないとして、どれが一番貴女にとってふさわしい呼称なのでしょうね?』と尋ねたところ、『私は文章や詩を呼吸するように扱ってきた、社会や世界の不平等、反戦思想は10代に培われた。生活のためデザインもやってきた。けれど私はアーティスト。描いたり創造しているのが好きなのよ』との即答は明るい。天晴れ みえこ! ここにあり。 わたしの心は大喝采。

大人のための童話 “「Magic Toy」 第1話;マリーの冒険” 、一人の日本人男性の国際結婚を伏線に、全編を覆うニューヨーク社会への問題提起 ”プエルトリコの空はいつも青い” などもいずれこのブログにて紹介したいと思っています。

神舘美会子さんのウエッブサイト <ーー ここをクリックしてください。

ゴムの木 トミーの怪 :Rubber Tree Tommy’s Mystery

今年の初め、我が家のゴムの木のことを少しブログに書いた。それから8ヶ月を経てトミーに異変が起きたんですね。新しい葉が出てくるので当然その分は成長もし、背丈も伸びてるはずなのに、どうしたことか この異変に気がついたのは7月下旬頃かしら。何度も書いてしまうが、我が家の大家さんのご事情でこのビルディングが売りに出されてしまい、それでテナントでしかない私たちは引っ越さざるを得なくなったんだけど。

もし、半地下などに移った場合、トミーは天井に頭が届いてしまうだろう、いや、高すぎて入りきらないかも などと私とオリンは懸念したし、口に出してもいた。それをトミーは聞いていたんだろうか。

背が高すぎて捨てられちゃあ困る、と思ったものか、ある日を境に、それは恐らくは8月に入ってからなのは間違いないけど、葉っぱは次々出てきているのに一向に伸びない。つまりトミーの成長が止まってしまったようなのだ。そこでトミーに話しかける;どこに引っ越してもトミーも一緒だからね。一緒に引っ越すから心配いらないよ、と。

それを聞いて少しは安心したのかしら?ただし一向に伸びない。まずは引っ越し先の状況を把握してから決める、高い天井の場所に置いてくれればそれもよし、そうじゃなければこのまま小さくなってもよしって決めたのかなあ。だって!!トミーはすでに10センチ以上縮んでしまっている。植物にももちろん命も感情もあるし、交流できるのも間違いないけど、ここまで素直に気持ちを見せてくれる植物にはお目にかかったことがない。はてさて、、引っ越してからのトミーに乞うご期待というところでしょうか。

Earlier this year, I blogged a bit about our rubber tree named Tommy. Eight months later, something strange happened to Tommy. New leaves are coming out, so of course it should grow + grow taller, but for some reason we noticed this change around the end of July (?) I’ve written this many times, but due to the circumstances of our landlord, our apartment building is for sale, and we, who are only tenants, had no choice but to move.

If we moved to a semi-basement or something like that, Tommy’s head would reach the ceiling, or, he might be too high to fit in. Orin and I were worried, and we even discussed it. Did Tommy hear that?

Tommy thought it would be a problem if he was thrown away because of his height. One day, I’m pretty sure it’s probably sometime in August, the leaves are coming out as usual, but he doesn’t grow at all. In other words, Tommy’s growth seems to have stopped. So, we talked to Tommy; No matter where we move, you will be with us. Please don’t worry.

Is Tommy relieved to hear that? However, he never grows. “First of all, let me decide after we move. If you put me in a place with a high ceiling, that’s fine, and if that’s not the case, I am okay to keep myself as small as it is.” Because! ! Tommy has already shrunk more than ten centimeters. Surely, plants also have lives and emotions, and there is no doubt that we can interact with them, but I have never met a plant that shows its feelings so honestly. Well, what are our expectations for Tommy after moving?

ミック・ジャガー、とか、プリンス:Mick Jagger and/or Prince R. Nelson

つい最近、オリンの腹腔穿刺 (腹水を抜く)のため病院に出向いた。簡単とはいえ手術でもあるし、二人ともいささか緊張した、のも つかの間、颯爽と現れた若き看護師、どう見てもミックジャガーの再来。その立ち居振る舞い、所作、顔の表情や喋り方。(私は彼の映画『パフォーマンス』を何回も見たほどで、若い頃の彼はなかなか素敵だったし、かっこよかった) 思いがけずミックが現れたことで(笑)二人の緊張は吹っ飛んでしまったのです。

また、これは少し前のこと。いつものように付き添いでニューヨーク市内に出て、買い物もあって一人地下鉄に乗った。『ブリーカー駅』は時間帯がそうだったのか、なかなかの賑わい。私の目的の駅ではなかったので、なんとなくホームを行き交う人々を車内から眺めていた。え!!!プリンス!!!

若き日のプリンスが目の前に!? 端正でセクシーで野生的な顔。ほっそりした肢体を黒っぽいシャツとパンツで覆い、ギターを背負っている。スニーカーだったのね、ハイヒールを履いていない彼ではあったが まさに何もかもが紛れのないプリンス! 一瞬、目が合いかけたと同時に、この男性は人混みに紛れてしまった。。。

他人の空似。容姿や体型が似るということはすなわち、その身体構造上、恐らくは声のトーンも近いだろうし、もしかすると思考回路も場合によってはその人生も類似するのではないだろうか?

顔かたちが似ていなくとも、例えばいつもプリンスのことを想っていれば、いずれ私もプリンス(のオーラ)に近付くかな。そうだといいなあ〜〜〜。

Just recently, because of Orin has to take IR Paracentesis (abdominal drain ascites), we went to the hospital. It was a simple operation, but both of us were a little nervous. However in a moment, a young nurse appeared, looking gallantly, exactly “The return of Mick Jagger”. His demeanor, gestures, facial expressions and the way he spoke. (I saw Mick’s movie, Performance many times, and he was pretty cool when he was younger.) The unexpected appearance of Mick (laughs) blew our tension away.

Also, this was a while ago. As usual, I accompany Orin to the hospital and went on the subway alone to do some shopping. “Bleecker Station” was quite busy, probably because of the time of day. It wasn’t my station, so I just watched the people coming and going on the platform. OMG! Prince! ! !

The young Prince R. Nelson is right in front of me! ? A neat, sexy and wild face. He wears a dark shirt and black pants covering his slender limbs, and carries a guitar on his back. He was in sneakers, (he wasn’t wearing high heels) but he was the undisputed Prince in everything! For a moment, our eyes almost met, and at the same time, this young man disappeared into the crowd. . .

Imitation of others. The similarity in appearance and body shape means that due to their physical structure, the tone of their voices will probably be similar, perhaps their thought circuits and, in some cases, their lives are similar, too?

Even if I don’t look alike, for example, if I always think of Prince, I’ll eventually become closer to Prince R. Nelson (his aura). I hope so ~~~.

O氏の治療歴, そして今これから。その26

9月6日、先週は 血小板数の値が低かったが、今日はノーマルということで、タクソル・キモセラピー3回連続の1回目。ALPは緩慢ながら数値が下がっていて(2週間キモを取らずとも数値が下がっている、のにどうしてキモなんぞを打たせたいのかしらねー?謎)やっぱりうれしい。さらに気をつけている食事と足踏みマットの効果だよ、と言いたい気分。O氏がお医者様や病院に最大限 信頼を寄せているのだから放っておこう、といつも思うのに でもさー、、の繰り返しはS君にとって緊急になんとか心に折り合いをつけたい課題なのです。

9月7日、腹腔穿刺【ふくくうせんし】のため、4時ちょっとの早朝バスで病院に向かう。腹水の溜まっている状態での生検はかなりのリスクを負う、らしいので、初めの予定通りに腹腔に溜まっている水分を抜くわけです。O氏はいささか緊張気味、珍しくS君に突っかかる、けれどS君はお手のもの。かつてS君の実父母もそうだったけど、ことに治療中や入院中 患者は家族やケアギバーに(恐らくは気安さとか安心感からか)わがままや意地悪を言うこともよくある話。

局所麻酔なので数十分、O氏はポトポトと管を通って排出される水音をずっと聞いていたって。健康な人でもいくばくかの腹水は当たり前のようにあるらしい。O氏は、いわば異常に水が溜まってしまっている状態なので今回のように検査あれこれで、どうしても抜かねばならないわけ。都合、1リットルほど抜きました。見た目はまだ膨らんではいるものの、随分と落ち着いたかね。それまではちょっと呼吸が苦しそうだった。

数日は安静にして様子を見るらしい。かなり大きい穴がお腹に開けられたかと危惧したものの、すぐに塞がったものか、お腹にひっつけられていたバンドエイドの端の、かぶれの発赤の方が痛々しい。病院を出るなり大食いのO氏に早変わり。帰りは日本の惣菜屋さんの生姜焼き肉弁当を食べ、ドーナッツを食べ!!S君にしてみれば、手術に耐えた子供に、今日は特別大目に見てあげましょう、との母親の心境。

とはいえ、ほぼO氏が S君の父親や母親を演じてくれるので、こうしてS君は徐々にインナーチャイルドを癒しつつあるのだけど、逆の立場でいえば、S君は単に鞭と鞭、または、飴と飴、の対応になってしまうんだろうか。どうも、O氏の癌発覚以来 この人への接し方をしっかり体得してないのかしら、とS君は身震いする。 〜〜〜 続く

鈴木いづみと阿部薫、数年に一度は気になる存在。

阿部薫、伝説の天才的フリージャズ演奏家。彼の内宇宙をキリキリ絞り込んでゆく情念の竜巻、その火を噴く熱情は生命を焼き焦がし、螺旋階段を転がり落ちながら尚 身体への尊厳を踏みにじり、薬物の過剰摂取による夭折。享年29。

音速を超えるスピードを目指し 極限界へ捨て身の挑戦、この追随を許さぬ演奏スタイルは同時に酒と薬に激しく支配され 彼の破滅的感性に妻であったいづみは同調し、ほぼ同化してきた数年の結婚生活。互いが互いの精神を刺し違えてゆく年月は限りなく重い。

阿部薫、と呼ばれる生き様、エクステンションとしての彼のアルトサックス、彼の化身そのものでもある壮絶な音霊は パンクでありアンダーグラウンドや前衛の女王であり続けてきた妻・鈴木いづみの根源すら緩やかに引きちぎって来たのかも知れない。離婚、しかして二人は再び生活を共にする。

ほどなく薫のオーバードースによる事故死発覚。彼の亡き後 いづみは心の深淵の陰るスピードを直視せず、共依存という出口の探せぬ関係性、吹きすさぶ渦中ですでにズタズタの心的ケアも投げやり、同化すべく何もかもを失い、彼女そのものに食い込んでいる乾いた記憶、人生観を頼みに 晩年はその心情を小説に昇華した。

いづみは女優・モデルであったと同時に幾多の文学新人賞の候補に上がった奇天烈な小説家でもある。薫亡き後 8年という長年月その二人の関係を再構築するかのように薫の亡霊だけを網膜に映し 日々、彼の亡霊と共に過ごし、困窮する生活の果てに一人娘の傍で縊死を決行。享年36。

ご息女の鈴木あづさは、第一線で活躍する報道記者であり小説家でもある。 近年は 母親;鈴木いづみの生前の撰集に尽力している。そしてここに私は 一人の菩薩、沈黙の救済をひし、と感じてしまう。

『わたしのまえにだれも立つな』『わたしは男でもないし女でもないし、性なんていらないし、ひとりで遠くへいきたいのだ』 『生きる速度が問題なのだ。人生の絶対量は、はじめから決まっているという気がする。細く長くか太く短くか、いずれにしても使いきってしまえば死ぬよりほかにない。どのくらいのはやさで生きるか?』 『よわい人間は、やさしくなれない 』 『厚顔無恥な幸福は大きらいだ』 〜〜〜 鈴木いづみ語録から抜粋

俺は今どれだけ音を出せるか、どれだけスピードを出せるかって、もうそれ以外のことを考えていないんだよ。もうあらゆるものよりも早くなるということ。別に駆けっこする訳じゃないんだけど、そういう意味でのスピードじゃないんだけどさ、とにかく超スピードになるってこと。音を追い越しちゃうってこと。 ~~~~~~

~~~~~~ 音がビューッってベッド(注・阿部さんが演奏する唯一の場でもある池袋のジャズ喫茶)だったらベッドから飛び出しちゃってさ、ギューッと地球から飛び出て、どっか宇宙の果ての果てのもう宇宙がないって所までさ、その先までブッ飛んでくっていうようなそういうスピード。あと俺が出したいのは音じゃなくて、「静けさ」っていうんでもないけど、少なくとも音は出したくなくて。音出ているうちはまだまだ駄目だと思うんだよ。なるようにしたいっていうより聞こえなくなんきゃいけないと思うし、聞こえているうちはまだまだ遅い訳だよ。 JazzTokyo から引用