ミック・ジャガー、とか、プリンス:Mick Jagger and/or Prince R. Nelson

つい最近、オリンの腹腔穿刺 (腹水を抜く)のため病院に出向いた。簡単とはいえ手術でもあるし、二人ともいささか緊張した、のも つかの間、颯爽と現れた若き看護師、どう見てもミックジャガーの再来。その立ち居振る舞い、所作、顔の表情や喋り方。(私は彼の映画『パフォーマンス』を何回も見たほどで、若い頃の彼はなかなか素敵だったし、かっこよかった) 思いがけずミックが現れたことで(笑)二人の緊張は吹っ飛んでしまったのです。

また、これは少し前のこと。いつものように付き添いでニューヨーク市内に出て、買い物もあって一人地下鉄に乗った。『ブリーカー駅』は時間帯がそうだったのか、なかなかの賑わい。私の目的の駅ではなかったので、なんとなくホームを行き交う人々を車内から眺めていた。え!!!プリンス!!!

若き日のプリンスが目の前に!? 端正でセクシーで野生的な顔。ほっそりした肢体を黒っぽいシャツとパンツで覆い、ギターを背負っている。スニーカーだったのね、ハイヒールを履いていない彼ではあったが まさに何もかもが紛れのないプリンス! 一瞬、目が合いかけたと同時に、この男性は人混みに紛れてしまった。。。

他人の空似。容姿や体型が似るということはすなわち、その身体構造上、恐らくは声のトーンも近いだろうし、もしかすると思考回路も場合によってはその人生も類似するのではないだろうか?

顔かたちが似ていなくとも、例えばいつもプリンスのことを想っていれば、いずれ私もプリンス(のオーラ)に近付くかな。そうだといいなあ〜〜〜。

Just recently, because of Orin has to take IR Paracentesis (abdominal drain ascites), we went to the hospital. It was a simple operation, but both of us were a little nervous. However in a moment, a young nurse appeared, looking gallantly, exactly “The return of Mick Jagger”. His demeanor, gestures, facial expressions and the way he spoke. (I saw Mick’s movie, Performance many times, and he was pretty cool when he was younger.) The unexpected appearance of Mick (laughs) blew our tension away.

Also, this was a while ago. As usual, I accompany Orin to the hospital and went on the subway alone to do some shopping. “Bleecker Station” was quite busy, probably because of the time of day. It wasn’t my station, so I just watched the people coming and going on the platform. OMG! Prince! ! !

The young Prince R. Nelson is right in front of me! ? A neat, sexy and wild face. He wears a dark shirt and black pants covering his slender limbs, and carries a guitar on his back. He was in sneakers, (he wasn’t wearing high heels) but he was the undisputed Prince in everything! For a moment, our eyes almost met, and at the same time, this young man disappeared into the crowd. . .

Imitation of others. The similarity in appearance and body shape means that due to their physical structure, the tone of their voices will probably be similar, perhaps their thought circuits and, in some cases, their lives are similar, too?

Even if I don’t look alike, for example, if I always think of Prince, I’ll eventually become closer to Prince R. Nelson (his aura). I hope so ~~~.

Stamford, NY. etc : スタンフォード、あれこれ

キャッツキルの山間にはウッドストックやスタンフォードなど、いくつか楽しい小さな町がある。お友達がフリーマーケットに参加するということもあって、ニューバーグから車で2時間のスタンフォードに出かけた。

In the mountains of the Catskills, there are some fun little towns. Woodstock, Stanford, etc. Our friends were going to participate in the flea market, so we went to Stanford, which is a two-hour drive from Newburgh.

借りているコミュニティーガーデンには主に水やりに出かけねばならない。ナスターシアムは枯れかけていた。3種類のトマトはこれから、というわけで今日の収穫はこちらです。

We must go out to the Community Garden mainly for watering. Nasturtium is dying. 3 kinds of tomatoes are just growing, so today’s harvest is here.

indeepさんのブログから抜粋 : about Fear,

中村天風 『運命を拓く』 より

恐怖観念、詳しくいえば、病はもちろん、人事世事一切の出来事に対して、物を怖れるという気持ちくらい、価値のない結果を人生にもたらすものはない。

ところが、今までのあなた方は、ちよっとでも体が悪いと、すぐおののき、怖れている。わずかな運命に見舞われても、それが、とてもどえらい運命になってしまうように怖れてしまう。毎日の人生一切の出来事に対して、この恐怖観念で応接しているという場合が多い。

このくらい、人生というものを哀れな状態にするものはない。なぜかというと、恐怖すればするほど、価値のない結果が人生にくるからである。

ベーコンという哲学者がいった言葉に、「人の大いに怖るるところのものは必ず、遂に襲い来るべし」というのがある。これはまさに、このコンペンセーション(報償)の法則を、必然的のものであるという信念から人生を考えている偉大な哲学者の言葉である。

何度も言っているとおり、宇宙霊という生ける大きな生命は、常に我々人間の心で思ったり、考えたりする事柄の中で、特に観念が集中し、深刻な状態の時に、その観念が、その事柄に注がれると、咄嗟にそれを現実の「すがた」に表現しようとする自然作用があるのである。

さあそこで考えてみよう。一生忘れないような深刻な記憶に出来るくらいに、瞬間的でも、観念が集中されたとすると、それが宇宙霊の力を受け入れる「鋳型」が用意されたことになる。

そのとき出来上がっている「鋳型」というものが、良かろうと、悪かろうと、極めて確実な「すがた」が出来上がったことになる。そうすると、その恐怖している事柄が、やがて事実となって現実化してくる。

このように、天風さんは、「恐怖は自分の中で作られるもの」としています。

In this way, Mr. Tempu states that “fear is created within you.”

つまり、実際には不安とか恐怖という「純粋存在」というものはないのですけれど、「その人が不安になるから現実の不安がやってくる。恐怖を感じるから現実の恐怖がやってくる」ということを言っています。

In other words, there is no such thing as “pure existence” such as anxiety or fear, but he says, “Because that person becomes anxious, real anxiety comes. Because he feels fear, real fear comes.”

「事実は単なる事実」であり、「物事は単なる物事」であるわけで、そこに「不安」や「恐怖」という着物を着せているのは、いつでも私たち本人なんですね。 

“Facts are just facts” and “things are just things”, so it is always us who add the feelings of “anxiety” and “fear” to them.

社会が崩壊しようと、国民の半分が失業しようと、あるいは「自分が死ぬとして」も、それらは単に事実であり、そこに不安の着物も恐怖の着物も着させなければ、不安でも恐怖でもないというような。

Whether society collapses, half of the people are unemployed, or “I die”, they are just facts, and if you don’t add the feelings of anxious or afraid, you’re neither anxious nor scared. Like that.

from indeep’s blog; https://indeep.jp/life-after-novel-coronavirus-pandemic/  中村天風・Tempu Nakamura; https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%A4%A9%E9%A2%A8