我がフラットブッシュ通り:My Flatbush Avenue

友人の F.C が ミッドタウン・イーストマンハッタンのシニアセンターでアート・ヒストリーのクラスを持っており、興味深いので時々参加している。シニアセンターなんだけれど、モロ現役のアーティストさん方が集い、内容の濃い学びになっている。来週の講義はニューヨーク市内の歴史的建築物の話も含むので、そういえば、フラットブッシュ通りも結構、面白い建物があるよな、と思い立ち、家から歩ける距離の通り沿いで、気になっているいくつかの建造物を撮りに出かけた。こんなもんじゃない、ゾロゾロ出て来るのですよ。フラットブッシュの景観をビデオにしたいって思ううちに8月もサヨナラー!

F.C, a friend of me & Orin, has an art history class at the Senior Center in Midtown East Manhattan, so I attend it from time to time. It’s a senior center, but active artists gather, each one has their own interesting experiences of art. Next week’s lecture will include a talk about historic buildings in New York City, so I thought that I would introduce some unique buildings on Flatbush Avenue. I went out to take pictures of some of the buildings in the area. They’re not only like this, more and more jumping into your eyes! I really wanted to make a video of the scenery of Flatbush, however I should say goodbye to August! Time flies.

”フラットブッシュ、アフリカ人の墓地”。 にも出かけることができた。規模はマンハッタンの墓地とは比べられないが、ブルックリンが、あるいはフラットブッシュが当時、一大農園地帯として栄華を極めたその背景の、奴隷として連れて来られ働かされた人々の、異国での終の住処、、忘却の彼方に消し潰されそうなこの史実を、地元のグループがしっかり管理し支援している。

“Flatbush, African burial ground”. (<–click ) I was able to go visit. The scale cannot be compared with Manhattan’s African burial ground. But the fact is as same as heavy with any burial ground. Once upon a time, it is the background of Kings county/Flatbush prosperity as a large plantation area at that time, where people brought and forced to work as slaves, then without returned to their mother country they passed away in foreign place. A local group firmly manages and supports this historical fact that is about to be erased into oblivion.

Union Square Greenmarket : ユニオン・スクエア のグリーンマーケット

1976年、数名の農家が農作物の販売をユニオンスクエアパークでスタート。今や、世界に誇る『グリーンマーケット』 <–(クリック)として、観光のメッカにもなってきている。あたしなどは相変わらず『ファーマーズ・マーケット』と認識していたんだけど、そんなのは昔語り。昨年の夏は、あたしとオリンはまだニューバーグに居て、セッセと借りていたガーデンロットに通い、トマトやナスタシウムやケールやブロッコリやカラーグリーンを世話したっけね。。目の前に積まれているヒビ割れてたり、黄や緑や朱の段だら模様で不揃いの、そうです!これがトマトなのよ!

In 1976, a few farmers started selling their agricultural products in Union Square Park. Today, it has become a mecca for tourism as a world-class “green market”. (<–click) I used to recognize it as a “farmer’s market” as usual, but that’s an old story. Last summer, Orin and I were still in the city of Newburgh, going to the garden lot we were renting, tending tomatoes, nasturtiums, kale, broccoli and coloured greens. Well, there are cracks piled up in front of me, and yellow, green, and vermilion tiered patterns and unevenness, that’s right! This is a tomato!

オリン、楽しかったね〜、また次に会ったらガーデニングも再開しようね。あたしは随分と昔に、(東京は国立市のとあるカフェで)見知らぬおばさんに声を掛けられ、『あなたはいずれ大規模なプランテーションのオーナーになります』って予言されたことをふと思い出した。まあ、さておき、ある程度の森林を入手して、樹木葬のプランナーなどができたら良いな。

Hey, Orin!!,,, that was fun~ Let’s resume gardening when we meet again. I suddenly remembered that a long time ago (at a cafe in Kunitachi City, Tokyo), a strange lady approached me and predicted, ” You will one day become the owner of a large plantation.” . Well, it doesn’t’ matter to me, but, it would be nice if I could obtain a certain amount of forest and become a planner for tree funerals.

7月下旬を写真日記風にしてみた:I made the end of July like a photo diary

7月25日は、オリンちゃんの月命日。もう5ヶ月になるのね、、オリンちゃんとの死別、その後のあたしの心の軌跡は追って書き続ける予定にしている。今回も、マッサージセラピストの秋山祥子さんに施術をしていただいた。身体は何てありがたいのだろう。身体の細胞一つ一つの神性に感謝。

7月の早くにオリンちゃんの鮮明な夢を見た。ああ、これでこの人は本当に『光』に向かったなって思えた。これで、この人はあたしの世界にずっと一緒にいるんだなって確信した。あたしはまだ泣くもんだから、オリンちゃんからのダイレクトなメッセージに気付かない事もあるんだろうか。最近、あたしのメガネの右フレームが突然割れてレンズが吹っ飛んだのね。そういえば、オリンちゃんは旅立つ頃、やはりメガネの左のレンズが壊れてたよな、なんだか嬉しい。今ここ、今ここに居て全てにありがとう。

随分と懐かしい、一枚の写真。素晴らしいシンガーたち。S宅にて

SHINKO TAGUCHI Ume Extract : 田口 伸子 展 ウメエキス                 

長年のお友達である田口伸子さんの個展が7月10日から開催される。彼女ご自身の呼吸と歩みでキャリアを重ねている様子が新作からも伝わってくる。なんとも微笑ましいタイトルではあるが、彼女の世界観を凝縮させたコンセプトでもある。

My longtime friend Shinko Taguchi will hold a solo exhibition from July 10th.
Her new work conveys how she builds her career with her own breathing and her steps.
It’s a heartwarming title, but it’s also a concept that condenses her view of the world.

6月下旬を写真日記風にしてみた:I made the end of June like a photo diary.

with Satoko-chan

5月10日の朝、真っ先に行動したこと:The first thing I did on the morning of May 10th

あたしのささやかなダイニングテーブルの真向かいから、ちょいと斜め上にオリンは位置している。いわば、彼はいつも私を見下ろしているのね、このところ、彼自身がなんとかしてー!と頼んでいるような気がしていた。ちょうど、彼がニコニコして食事中の写真があったので、こちらに変えた。ただそれだけ。

Directly across from my small dining table, Orin is located slightly diagonally above. Well, he always looks down on me. Recently I felt like he was asking something (should fix for him). Just because there was a picture of him smiling and eating, I changed it to this one. That’s all.

Bill Hutson’s memorial gathering. Also relate to a meaning of “to remember” : ビル・ハトソン、追悼のお茶会。付随して『記憶すること』の意味

何年振りかでG.Jからの電話。アートビジネス・パートナーのR.Aと連絡がつかず代理でちょっと同行してほしい、と。まあ高齢ゆえ遠出は確かに人の手を借りねばならないだろう。G.J の住むニュージャージーに向かう電車 ”ワールドトレードセンター駅” の様変わり!

2001・911は人の記憶に残っているのか、真相と共に思い出に風化してゆくのか。お茶会に向かう車は、ハドソン川と並行するリバーサイド・パークを横目に走る。緑、緑、新緑の緑一色。

After a long while, G.J suddenly called me and asked me to attend his old friend’s memorial. You know my position to G.J is just a pinch-hitter instead of R.A(lol). Such amazingly so much changed to WTC path train station area!!

Will 2001/911 remain in people’s remembrance, or will it fade into memories along with the truth? Later uber brought us to the upper Manhattan, Hudson River side area. New green, green, green, quite fresh leaves are appeared by their own natural instinct.

Bill Hutson <—– click

故人を記憶する。この、主体を持つ能動的な行為を自らに課す。人の頭の中の、海馬と呼ばれる細胞(小部屋)は驚くほどの記録や記憶のフォルダーが整然と混在している。

先日,『身近な故人を記憶する。同様に、事故や事件や戦争などであたかも消滅したかのような誰からも認められることもなく死んでいった人々(と、その歴史)を記憶すること』思い出、との相違、の深い意味を美会子さんから伺った。この深い意味と考察は日を改めて書きます。

Keep remembrance the deceased. It imposes on itself this active act of having a subject. Inside the human brain, cells (small chambers) called the hippocampus are an orderly mixture of folders of amazing records and memories.

The other day, Mieko said “I try to remember the deceased close to me. Similarly, remembering people (and their histories) who died without being acknowledged by anyone, as if they had disappeared in accidents, incidents, wars, etc.” Mieko and I talked about the deep meaning of memories and remembrances. This deep meaning (also their differences) and consideration will be written another day.

引っ越しの顛末:『ゴドーを待ちながら』を思い出した。

この、長引く引っ越し騒動で一体、私は何を学んでいるのか?再度、この国の成り立ち、その原点に戻らねばならない。大抵の場合、低所得者や移民達 vs 悪どい大家とのいざこざが絶えず、ニューヨーク市はいわば移民や部屋の借り主を守るための移民法(や、テナント法)を作った。弱い立場の人々を保護するためである。

少しずつ時代も変わり、アパートやハウスの借り主(店子)もサバイバルゲームを開始した。同時に、悪どい大家と弱者の店子、というパターンも崩れてきている。弱者のはずの借り主が、部屋やフロアを分割してルームメイトを募るケースも激増し、(これはケースバイケースで、大家が了承すれば問題はさほど生じない)借り主はルームメイトを入れることで自分自身の家賃を浮かせる、または差し引き少額は手に残る、というメリットがある。同様にルームメイト側も、高いレントそのものを払わずとも、キッチンやバス、トイレットは共同で使用するにせよ、自分の空間・ベッドサイズの部屋、をある程度の賃貸料金で確保できるわけなので、どちらにとってもメリットがある。

それでもなお、借り主にとって、毎月のレント・家賃の支払い・場所代は頭痛い。大抵が、家賃のために家賃を払うという(当たり前と思われる?!)義務に支配され、自らの時間を金で換算せねばならない。

ニューヨークの庶民はこんなふうに、いわば、、助け合っている。俯瞰した視座からは、もちろん、持つ者と持たざる者、資本主義やら政治や経済機構のおぞましい階層が見えているけれど。 

話は戻るが、大家であれ、借り主がルームメイトを探すであれ、入居者のバックチェックは重要事案。お金はいくら銀行にあるのか?クレジットカード歴はクリーンか?仕事先や毎月の収入は?加えて、ここに移る前に住んでいたアパートなりなんなりの大家からのコメント、刑事訴訟歴、諸々。

しかしながら、オレオレ詐欺やマルチ商法が今もイーメイルや電話で後を絶たないように、このバックチェックも、確実ではなさそうだ。コロっと騙される。ただ、これも一般的なステレオタイプ思考回路に過ぎず、私たちは心眼を持って、心を開いて、物事の現象の本質をきっちり見極める必要がある。

私自身が今に至るも基本はサバイバー(と、サイボーグ)婆や。安穏とした優雅な日常を送っているわけでないとはいえ、ボチボチやってきている。強制立ち退きは何処でもゴロゴロ起きている、けれど、まさかそれが私たちの引っ越しを妨げている理由だなんて、今回の遅延(と背景)は、全くのところ滑稽すぎるし漫画すぎる。コロナゆえに仕方ない、のじゃなかった。コロナは、この占拠者の甘いお菓子のトッピングに過ぎない。この男は100%のプロフェッショナルなテナント(プロの店子)だったのだから。(既に、”引っ越しの顛末” 前回に書いた)とはいえ、、このようなサバイバーの存在もわからない訳じゃないよね。

私もオリンも、引っ越し先の裁判の結果を待ち、占拠者の強制立ち退きを待ち続けていた。しかしながら、オリンはとうの昔に頭の中を切り替えたものか、片ずけた絵の具やらペーパーやらカンバスを再び広げ、もう、何枚もドローイングを終えている。私は、というと、、、ブツブツ言いながら、箱に入れたミシンや裁縫箱を広げたり出したり閉まったり。シャットダウンしたコンピューターを再び起こしたり。

待っている以上、意識的に無意識的に、”待つ”という状況への期待感、不信感、希望や焦りやら何やら沸き起こり、当然落ち着かない。すると、数日前にこのように思い至った。

”ゴドーを待ちながら” 1954年、フランス人サミュエル・ベケットの戯曲。何かしらの不条理感。私は、私に集中することを忘れてしまっていたんですね。オリンを見習って、私がやるべき事を取り戻さなくては!