SHINKO TAGUCHI Ume Extract : 田口 伸子 展 ウメエキス                 

長年のお友達である田口伸子さんの個展が7月10日から開催される。彼女ご自身の呼吸と歩みでキャリアを重ねている様子が新作からも伝わってくる。なんとも微笑ましいタイトルではあるが、彼女の世界観を凝縮させたコンセプトでもある。

My longtime friend Shinko Taguchi will hold a solo exhibition from July 10th.
Her new work conveys how she builds her career with her own breathing and her steps.
It’s a heartwarming title, but it’s also a concept that condenses her view of the world.

6月下旬を写真日記風にしてみた:I made the end of June like a photo diary.

with Satoko-chan

5月10日の朝、真っ先に行動したこと:The first thing I did on the morning of May 10th

あたしのささやかなダイニングテーブルの真向かいから、ちょいと斜め上にオリンは位置している。いわば、彼はいつも私を見下ろしているのね、このところ、彼自身がなんとかしてー!と頼んでいるような気がしていた。ちょうど、彼がニコニコして食事中の写真があったので、こちらに変えた。ただそれだけ。

Directly across from my small dining table, Orin is located slightly diagonally above. Well, he always looks down on me. Recently I felt like he was asking something (should fix for him). Just because there was a picture of him smiling and eating, I changed it to this one. That’s all.

Bill Hutson’s memorial gathering. Also relate to a meaning of “to remember” : ビル・ハトソン、追悼のお茶会。付随して『記憶すること』の意味

何年振りかでG.Jからの電話。アートビジネス・パートナーのR.Aと連絡がつかず代理でちょっと同行してほしい、と。まあ高齢ゆえ遠出は確かに人の手を借りねばならないだろう。G.J の住むニュージャージーに向かう電車 ”ワールドトレードセンター駅” の様変わり!

2001・911は人の記憶に残っているのか、真相と共に思い出に風化してゆくのか。お茶会に向かう車は、ハドソン川と並行するリバーサイド・パークを横目に走る。緑、緑、新緑の緑一色。

After a long while, G.J suddenly called me and asked me to attend his old friend’s memorial. You know my position to G.J is just a pinch-hitter instead of R.A(lol). Such amazingly so much changed to WTC path train station area!!

Will 2001/911 remain in people’s remembrance, or will it fade into memories along with the truth? Later uber brought us to the upper Manhattan, Hudson River side area. New green, green, green, quite fresh leaves are appeared by their own natural instinct.

Bill Hutson <—– click

故人を記憶する。この、主体を持つ能動的な行為を自らに課す。人の頭の中の、海馬と呼ばれる細胞(小部屋)は驚くほどの記録や記憶のフォルダーが整然と混在している。

先日,『身近な故人を記憶する。同様に、事故や事件や戦争などであたかも消滅したかのような誰からも認められることもなく死んでいった人々(と、その歴史)を記憶すること』思い出、との相違、の深い意味を美会子さんから伺った。この深い意味と考察は日を改めて書きます。

Keep remembrance the deceased. It imposes on itself this active act of having a subject. Inside the human brain, cells (small chambers) called the hippocampus are an orderly mixture of folders of amazing records and memories.

The other day, Mieko said “I try to remember the deceased close to me. Similarly, remembering people (and their histories) who died without being acknowledged by anyone, as if they had disappeared in accidents, incidents, wars, etc.” Mieko and I talked about the deep meaning of memories and remembrances. This deep meaning (also their differences) and consideration will be written another day.

引っ越しの顛末:『ゴドーを待ちながら』を思い出した。

この、長引く引っ越し騒動で一体、私は何を学んでいるのか?再度、この国の成り立ち、その原点に戻らねばならない。大抵の場合、低所得者や移民達 vs 悪どい大家とのいざこざが絶えず、ニューヨーク市はいわば移民や部屋の借り主を守るための移民法(や、テナント法)を作った。弱い立場の人々を保護するためである。

少しずつ時代も変わり、アパートやハウスの借り主(店子)もサバイバルゲームを開始した。同時に、悪どい大家と弱者の店子、というパターンも崩れてきている。弱者のはずの借り主が、部屋やフロアを分割してルームメイトを募るケースも激増し、(これはケースバイケースで、大家が了承すれば問題はさほど生じない)借り主はルームメイトを入れることで自分自身の家賃を浮かせる、または差し引き少額は手に残る、というメリットがある。同様にルームメイト側も、高いレントそのものを払わずとも、キッチンやバス、トイレットは共同で使用するにせよ、自分の空間・ベッドサイズの部屋、をある程度の賃貸料金で確保できるわけなので、どちらにとってもメリットがある。

それでもなお、借り主にとって、毎月のレント・家賃の支払い・場所代は頭痛い。大抵が、家賃のために家賃を払うという(当たり前と思われる?!)義務に支配され、自らの時間を金で換算せねばならない。

ニューヨークの庶民はこんなふうに、いわば、、助け合っている。俯瞰した視座からは、もちろん、持つ者と持たざる者、資本主義やら政治や経済機構のおぞましい階層が見えているけれど。 

話は戻るが、大家であれ、借り主がルームメイトを探すであれ、入居者のバックチェックは重要事案。お金はいくら銀行にあるのか?クレジットカード歴はクリーンか?仕事先や毎月の収入は?加えて、ここに移る前に住んでいたアパートなりなんなりの大家からのコメント、刑事訴訟歴、諸々。

しかしながら、オレオレ詐欺やマルチ商法が今もイーメイルや電話で後を絶たないように、このバックチェックも、確実ではなさそうだ。コロっと騙される。ただ、これも一般的なステレオタイプ思考回路に過ぎず、私たちは心眼を持って、心を開いて、物事の現象の本質をきっちり見極める必要がある。

私自身が今に至るも基本はサバイバー(と、サイボーグ)婆や。安穏とした優雅な日常を送っているわけでないとはいえ、ボチボチやってきている。強制立ち退きは何処でもゴロゴロ起きている、けれど、まさかそれが私たちの引っ越しを妨げている理由だなんて、今回の遅延(と背景)は、全くのところ滑稽すぎるし漫画すぎる。コロナゆえに仕方ない、のじゃなかった。コロナは、この占拠者の甘いお菓子のトッピングに過ぎない。この男は100%のプロフェッショナルなテナント(プロの店子)だったのだから。(既に、”引っ越しの顛末” 前回に書いた)とはいえ、、このようなサバイバーの存在もわからない訳じゃないよね。

私もオリンも、引っ越し先の裁判の結果を待ち、占拠者の強制立ち退きを待ち続けていた。しかしながら、オリンはとうの昔に頭の中を切り替えたものか、片ずけた絵の具やらペーパーやらカンバスを再び広げ、もう、何枚もドローイングを終えている。私は、というと、、、ブツブツ言いながら、箱に入れたミシンや裁縫箱を広げたり出したり閉まったり。シャットダウンしたコンピューターを再び起こしたり。

待っている以上、意識的に無意識的に、”待つ”という状況への期待感、不信感、希望や焦りやら何やら沸き起こり、当然落ち着かない。すると、数日前にこのように思い至った。

”ゴドーを待ちながら” 1954年、フランス人サミュエル・ベケットの戯曲。何かしらの不条理感。私は、私に集中することを忘れてしまっていたんですね。オリンを見習って、私がやるべき事を取り戻さなくては!

引っ越しの顛末:一歩進んで二歩下がる

はい、この大見出しで想像つきましたよね? 1月27日、オリンの手術でニューヨークに出た、その足で、月末に越すフロアの内側を確認に行ったわけ、百聞は一見にしかず。住人が占拠していたのでこれまでは中に入れなかった。

私たちの新しい大家さんのお宅に向かうと、怒涛やらポリスカーやら何やら耳に飛び込んでくる。なんてこっちゃ? 夜逃げしたはずの住人がポリスを二人連れて戻ってきており、”自分はここを引っ越しちゃいない、なぜならこれは強制執行による立ち退きなんかじゃないし、まだマーシャルも来てないんだから。それなのに大家が勝手に入ってしかも俺のものを外に出した、ので俺はこの大家を訴えてやる、大家にペナルティが行くんだから俺はずっと住む権利がある” と。

早い話、20日あたりの深夜、この住人は家具を運び出し、どうなったのか大型犬2匹も、いつの間にやら共に暮らしていた女性も何もかも消失。しかもですね、この男が勝手に変えた鍵が大きく開いた扉の先においてあり、誰が見ても夜逃げ。

突然、それも選りに選って私とオリンが下見に来た夜のほぼ同時刻に舞い戻ったのですね。”俺は、ここを出る、とは言ってない。大家が勝手に思っただけ。マーシャルが来る前に俺をこんな風に閉め出したんだから、大家が全面的に悪い”。

、、恐ろしいことだけれど、この男はいわゆるエビクション(自らが立ち退き状況を作りつつ、居座り続けるという)の、プロフェッショナル・テナント ということが判明したんです。

簡単に説明すれば、プロの借り主・店子と言いますか、少しずつ家賃を滞納しつつ(でもその一部は現金で払う)同時に、大家さんに苦情を伝え始める;水が漏れている、窓が開かない、床がギシギシする、なんであれ。少しずつ、大家さんに非があるかのようにもってゆく。

同様に驚くほど法律というのか、大家側が不利になるための手口を熟知しており、面白いようにそれらを使い出す。最終的に立ち退き勧告が出た場合、わざと夜逃げに見せかけ、鍵を見せびらかすように目立つ場所に置き、部屋を空っぽにして、もちろんドアも大きく開けて。頭を痛め切っていた大家さんの不意をつく。『あ!ついに出てくれた!』と。。。この男の罠にハマったって言う、あれね。まんまと引っかけられた!!!!???

ほぼ10ヶ月のレント未払い + 天井を壊して、大家が俺を壊れた部屋に入れたから怪我した、弁償しろ+ 仕事もして新車も買っている + いつの間にか大型犬2匹、しかも近所で何度も噛み付いてその都度警察沙汰、故に近所中の嫌われ者+ いつの間にか同棲している女性とのいざこざで定期的な警察沙汰、、、

コロナの悪しき影響で、裁判所は非常に滞っている、そのために9月には下りる判決が延期に次ぐ延期。昨年の12月31日、(までは住んでも良い)と最終決定されたものの裁判所がマーシャル(強制立ち退きの執行人)のオーダーを出さない限り、住人はその場所を占拠できる。。でも、過半数のひとは、マーシャルにつまみ出されるまでに引っ越すか出て行くか、自らシェルターに保護願いを出すか、知り合いに助けを求めるか、何かしらの手を打つんだけど。それより何より、通常の流れではマーシャルは期日に合わせてやって来る。どんなに遅くなっても、この1月上旬にはキリがついていたはず。

なので、もう、どのように想像しても、この住人はこうやってこれまでもプロフェッショナルな悪知恵で巧みに渡り歩いてきたんだと思ってしまう。そして、彼なりに今回、大変居心地の良い大家、もしくは場所さらにはコロナという状況、という願ったり叶ったりの幸運に巡り合ったのだろう。。。

また、いわゆる『かまってちゃん』。自分が注目されることに激しい喜びを感じており、悪しきことを繰り返す中でいよいよ注目される、警察にも有名人、それらを快感とする。。。そして、警察の厄介になるたびに大声で泣きわめき、いかに自分が惨めで悪い人間か、わかってる、でもどうしようもないんだ、仕事も学も何もない移民なんだ、と同情を引くハリウッドスター顔負けの演技(だそうな)。

なんだろう、バンパイヤ? またはエナジーサッカー? 気をつけてねー。この占拠者は、こうやって揉め事を作って注目されて、皆の怒りを楽しみに待っている。これらの、こちら側の途方も無い怒りのエネルギーをどんどん吸い取って力を得ている、という流れが見えた。関わるべきじゃ無い。何故、私もオリンもこの状況に甘んじてしまっていたのか? パチッと目が覚めた、むしろ覚醒したっていうのかなあ。

まずは深呼吸、沈思黙考、”ニューヨークに移る・戻る” という状況を再度、問い尋ねなくては。私自身に。場所じゃ無いのは確かなんだね。究極的には、自分=住みか=場所 になるのだろうが。

笑う門には福きたる。ま、コメディなんっすよ、Cクラスのコメディ。なので天に委ねます。この流れで私は何を学んでいるのかな?

引っ越しの顛末:最初の一歩

皆、聞き飽きてしまっているのを承知で、今回の引っ越しの顛末を書き留めておきたい。昨年、2022年の7月下旬(ニューバーグの)大家さんから突然、このビルディングを売りに出すから、と言われ、でも次の買い手(私たちには新しくなる大家さん)はきっと良い人だと思うから貴方達はこのまま住み続ければ良い、と言われた。

ニューバーグに引っ越して直ぐにコロナ騒ぎがスタート。ビーコン駅までのフェリーは運休、ニューバーグ市内からニューヨークまでの大変便利な中距離バスはほぼ運休。昨年からどうやら順調に動き出してはいるものの、バスはこれまでの半分くらいの運行ゆえ、バスの時刻に追われてのとんぼ返り。

なので、これもタイミング、と私たちはその場で引っ越しを決意。ま、病院も仕事もそれぞれの付き合いや趣味や活動のほとんどがニューヨーク市内でもあるし、毎回のバスや電車の運賃・出費を考えれば引っ越すべきだろうな。

ありがたいことに、お友達のお友達がタウンハウスのオーナーで、ちょうどそこの住人(テナント)が出るから、とお話をいただき『渡りに船』。なんてラッキー!有り難や、有り難や。ところが、状況的に今そのテナントの立ち退き判決を待っている、なので恐らくは8月中にはーー、とのことだった、のですが、裁判所はコロナの渦中にあり、因って判決日の延期に次ぐ延期。どうやら、エビクションの日付けが決まったのが9月下旬、それから3ヶ月後の昨年末、12月31日が住人・テナントの立ち退き日になった。

この国は、御多分に洩れず裁判大国ゆえに(?)例えば家や不動産や立ち退きにまつわる裁判だけでも気の遠くなるケースに溢れている。加えて、住人側と大家さん側、ふたつの異なる法律はそれぞれをいかに有利に導くかの決まりがぎっしりある。早い話、テナントが1年近く家賃を払わず、故意に物を壊したり勝手に鍵を変えたり認めていないペットを飼う、警察沙汰の事件を起こした、など、(私たちが移るべきフロアに、今も居座る住人くんなのです)何があっても、大家さんは個人的にその住人と交渉したり追い出せない。

全てを公式にファイルにして裁判所に申請し、そしてそこから裁判が始まる。。このケースは誰の目にも住人の非が認められているとは言え、正式な手続きを経なければ何も進められない、そこにこのコロナの影響で、といういわば負の連鎖が居座る住人くんに幸いしてきたのだろう。

先に書いたけど、裁判ではすでにそのような判決が出ているにも関わらず、住人がそのままそこにいられるのは、実は次のステップがあるためなんです。。2022年12月31日以降は住めないよ、との判決も、もし、その日までに住人が出てゆかない場合、強制執行という処置に向かう。最高裁判所で定められたマーシャル(強制立ち退き執行の権限を持つ)が直接その住人の家なり部屋なりに向かい、有無を言わせずその本人、並びにその住人の付属品全て一括して外に放り出す!

ところがまたしても、、、、、すでにコロナの影響で延期になってきているため、裁判所が、マーシャルに一任する公のオーダーペーパーがまだ発行されていないのか?ロイヤーの元に届いていないため、一体いつになるの?って。裁判所のオーダー無しにはマーシャルといえど動けない。故に強制執行の延期。。。

ここで一つの大きな疑問; よしよし、分かった。でも、5ヶ月以上待っている間になぜオリンも早苗も他を検討しなかったの? いやいや、もちろん探しまくりましたよー、が、もうアップステイトも近郊もいいやって。街中に戻りたい、私にもオリンにとっても第二の故郷なんです。それと、、、オリンの機材は半端じゃないし、どうしても処分しきれないものも多い。でもそれゆえに、オリンは縦横無尽に仕事がさらに可能になるわけですし。これまでもそうだったが、今回もとても良い方が新しい大家さんになる。クッキングやガーデニングやあれこれ共通することもあり、何よりも、私のお友達の長年のお友達、という家族的な安心感もある。これは、特別なご縁であると思っている。