O氏の治療は、2023年2月21日をもって終了。2月25日、O氏は平安な次元に帰ってゆきました。

引っ越しからの4日目、2月21日、スケジュールではキモセラピー。しかし、O氏の黄疸、腹水の増加、激しい消耗などを目の当たりにS君は心が動転している。

結論をサッサと書いてしまおう。さらにうなぎ上りの肝臓値が全てを決定付けた。はい、もう何ら治療する意味は無く、ターゲットセラピーも、むくみの防止薬も、血栓予防薬ももう必要ないです。一切クスリは摂らないように。ホスピスを薦めます。腹腔内の癌は続々育っています。でも、間も無く全てが終盤に至ります。

つまりは、彼らガンさん達そのものも自滅してゆくのに、何をそんなに急いで巣喰いたかったのか? 生存競争?? 笑わせるんじゃないよ、おい!!!!

すでにO氏の衰弱は露わになってきて、ウオーカーで何とか身体を支えての歩み。あれほどスタスタ競歩で肺や呼吸を強化していた頃とはまるで別人の変わり様。ひっそり目を閉じてウーバーで病院に向かう。二人ともそれぞれにわかっていることを、何でまた、体に鞭打って出かけるんだ!

何度でも書かねばならない。先週の13日、O氏は訳わからない不透明とも思える手術を受けさせられた!なんの解決にもならないけれど、でも、一つだけ方法がある。心臓めがけてチューブを入れよう、そして効き目は無いけれど、なんたらキモセラピーをやりましょう。もう、怒り心頭、しかしO氏がお願いします、と従ってしまうのだ!そして翌日の14日、O氏はフラフラで出かけ、バカなキモを身体に入れてしまった。(前回に致命的なダメージを受けたことは書いてある)

しかもです、生きているのが奇跡のようなO氏を待っていました!とばかり、21日に、どでかい穴をお腹に開けられた。これからは自分で腹水を抜くように、だって!!水筒よろしく、ちゃっかり蓋状のものが、血のにじむガーゼの下で喘いでいる。おかしすぎる、おかしすぎる。一体、誰がS君のかけがえのない人を、医療という大義名分でこね回したんだ!!

もう、処置なし。S君はしっかりと聞いた、『先週の話では、O氏はかなり難しい状況になっており、数カ月以内には、、、とのお話でしたよね。先生、私たちはいかなる言葉も先週以来受け入れていますのではっきりおっしゃってください。私の夫の余命はいかほどですか?』

『今日でもおかしくない。長くて、1週間以内ですね』

それからの数日、O氏は率先して人々に自分の長くないこと、仕事も引き受けておりながら途中でストップせざるを得ない謝罪、ひたすら途方もない倦怠感と眠くてたまらない状態がO氏をベッドに貼り付ける。せっかくの引っ越しも、S君はワーワー泣きまくり、空虚感と喪失感が突然踊り出す。O氏などはベッドの上を転がっているのみで、シャワーを浴びることもできず、キッチンで水一杯をグラスに満たすこともできず、高タンパクドリンクを飲む以外、食欲というものが見えない。それさえも吐いてしまうのだけど。ついに引っ越せたんだよ!元気を取り戻そうねー。ウオーカーでも車椅子になっても、どこまでもケアするからさ、海辺も連れてゆくからさ。

最後の余命宣告って言うトリッキーな網にトラップされてしまったのか、抵抗するでもなく、力なく口をパクパクさせて浮かんでいるお魚さん。。秒単位で全てが、決定されてしまったゴールに向かっている。S君は膨大な機材やら何やらを片付けねばならないのだけど、箱を開けては閉じる、の繰り返し。

だって、部屋が少し整った頃は、だあれもいないのよ。すでに冷たい空気だけが充満し始めて来た心の内側をどうやって満たして、どうやって温めるの?でもわかってる。S君で満たしてゆくしかないんだよね? 愛を培う、愛を育てる。

で、22日(水)O氏はのたうち回る息苦しさ、呼吸の困難さ、巻きつかれたような身動きの取れないダルさと痛みの不安から、ホスピスに行きたいと訴え始めた。23日(木)ありがたきお友達に助けられ、救急車でホスピスに向かう、、も、これ以上搬送していると途中で臨終を迎えてしまうとの救命士の判断で、二人の引っ越し先から最短距離の救急病院で降ろされた。

それからの51時間、O氏は取り敢えず点滴、酸素吸入、それに痛み止めを定期的に注入された。S君はギリギリまでありがたいお友達ご夫妻に助けられ、受け答えを間違えたら取り返しのつかなくなる際どい質問に答え、何箇所もサインを書かされた。一切の延命措置は不必要、これは二人共、ずいぶん昔に決めていたことであって何がどう揺れ動こうが決めた事は不文律。

24日(金)これまでも、O氏の闘病はいわば彼の中のトップシークレット。誰にも言わないで、と何回念を押されたことか。故に、当然とはいえ、ことに彼が長年関係している仕事先の方々は、おそらくはのちに驚かれたのではないだろうか、、O氏は大抵の場合、ポーカーフェイスで『オーケー、では、これこれですね、今すぐやりましょう。』などと受け答えていたと見える。全て、これからはS君の責任問題なんだ。いかに説明し、いかに(彼に代わって)謝罪するか。

で、23日のエマージェンシールームからS君は可能な限り、テキストメッセージをスタート。あ〜、あの人、この人、全てのお友達、全てのお世話になっていた・いる人々!時間がない。O氏はすでに病室に移動されたものの、常時酸素マスクに手をやり引き剥がそうとする。文字通り!そうなんだよ、まさに文字通り目が離せない。ラップトップでやらなきゃあなんて時間がない。反射的にベッドから上半身を起こし(もちろん、O氏の両腕は彼自身を支えられず、細かに震えながらどたん!とベッドに倒れるので)言葉のようなものを発し出す。『Oさあああん、おとーさああん、爺やーーー、私だよ、そばにいるよ』カスミかかり瞳孔が開きだしたO氏の眼球は何を感知しているのか。

『爺や』と呼べば『婆や』と答える。そんなふうに二人で楽しくやってきたのに、もう振り返っちゃダメだ。あたしの爺やはもうここに居ない。癌細胞の奴らが、O氏のフリをしてS君を可能な限り困らせている。泣いちゃ駄目だよ、O氏の魂が躊躇してしまってるじゃないか。逝かせてあげなきゃあ。O氏の魂はゆきたいのにS君が困らせている。そこで思いついた言葉『Oちゃん、もう少しとどまって。テキサスからアリゾナから妹たちが来るんだから。あと少し、お願い!』

24日になった。たくさんのお友達や人々からのお悔やみ、病室に駆けつけてくださった皆さん、病院のポリシーで、一般お見舞い客は、一人5分。(これはたくさん来てくれたのでこのようになってしまった)然も、その都度、一人一人が交代で病室に入る。(これは二人部屋なのでもうひとかたに迷惑のかからぬように、との病院側の意向)ホスピスではないのできっかり夜8時には帰っていただく。

ホスピスでなかったのが幸いしたと思う。それぞれ一人一人が、O氏と対面で二人だけの時間を共有できたのできっと、それぞれがそれぞれの思いをO氏に伝えられた。もう、O氏は目も見えず意識もなく言葉かけへの反応も失せてしまって入るけど、何人かのお友達から、O氏の奇跡のような反応を見たよと聞いた。えー?!そうだったの!? 何十回何百回、S君はO氏の耳に口を当てあらゆる思い、感謝の言葉を尽きることなく与えたか。『あんた、ずるいよ!私が先に逝きたかったんだよ。だって、あんたの膨大なやり残しの整頓なんて無理なんだから。』『お化けでもなんでもいいけど怖がらせないでよ』『ありがとね、ありがとね』『言葉じゃないけど、あんたわかってるよね、私が本当に!愛して愛情を捧げた唯一の人なんだからね』

もっと、たくさん。日本語と英語で。おそらくO氏は困ったかなあ、Sチャンが何言ってるのかわかんないよ、でも僕の唯一の人だよっていう声が直に入ってくる。生前、毎日言ってくれたよね、僕の人生の唯一の愛、って。

25日、妹たちが早朝駆けつけた。良かったー、間に合ったね。人の臨終に起きる兆候をステレオタイプのようにS君たちに見せて午後の5時過ぎO氏は旅立った。

   *ここからの行は、ノン・ジャパニーズの方々にフォーマルに知らせたものです。

From 2019 March until now, Just 4 years have left since he got Lung cancer stage 4. During these years to us were as if riding on the swing in the playground. come and go, up and down.

At the same time these 4 years for us were as if our true honeymoon. Mainly, no one around us and no location were able to easily access in Arizona, then, moved to Upstate, says the town of Newburgh, however as you know that Covid-19 immediately spread out and people had to keep distance from others

Again, we had to stay inside the city of Newburgh, it made us every day and every month lived just the two of us. We had been talking more and more about “life & death” “music about any genre” “science ” “art” “infinity” “natural healing” and so on.  

To make a long story short, Orin’s situation suddenly changed in late January. His Dr. gave us “a life expectancy sentence in a few months” it was 13 February. Especially after we finished moving to Brooklyn/NYC, (it was 18 Feb) 21 Feb was his final check up with his Dr. and N.P.  His Dr. noticed that  his remain days are in a week so hurry to go the Hospice, however his body condition was getting worse, 

Well, his emergency situation couldn’t reach the Hospice but an ambulance brought him to our closest Hospital. It was 23 February. I immediately started to let our friends know this fact and beautifully many came to visit him in 24 February, (very sorry because of no more time remain, I couldn’t write to all of our friends)

however the Hospital policy says that just each time only one person can enter his room. It was a good workout for each friend. 

Everyone had enough good times and said goodbye to him in person. Orin had lost consciousness and eyesight already but I strongly believe that his spirit was absolutely healed by friend’s love and blessings.
Orin Buck, my eternal loved one, returned to BIG Oneness calmly and peacefully. It was 25 February, 2023. very sincerely, Sanae M. Buck

R.I.P 合掌

*I’ll write some more post including photos in my blog*

O氏の治療歴, そして今、 その36

13日の大静脈カテーテル留置、O氏の左腕静脈にはめ込まれ心臓に向かって固定挿入されたこのカテーテルは、つまるところ2月14日からスタートするキモセラピーのため、主治医の止むことなき挑戦と言いましょうか。最後の手段といいますか、データを得るための最終実験なのか? 

13日は、二人ともそれぞれに動転してしまい、ホスピスに向かう(であろう)最終緩和ケアを考慮してください、とも言われたので、14日からスタートの新しいタイプのキモセラピー(ナベルバインまたはヴィモレルバインと呼ぶ)、どこまで効果が見られるのかは未知数ではあるけれど、でも主治医はO氏の同意を得て即スタートという流れであった。名医中の名医といわれるO氏の主治医でもあるし、めまぐるしく様相の変化するO氏の症状に対応し、NP共々その真剣さが感じ取れる。

ナベルバイン、もうちょっと気の利いた名前はなかったのかしら? レストランの片隅に放置されているワインにこのような名前があったような? 

これは、いわゆる一般的なキモセラピーで、13日、O氏の状態で急遽中止したタクソルキモのような、身体への衝撃的強さは持っていないらしい。S君はこの数日でパッキングを終えるため14日はとてもじゃないが一緒に病院にはゆけない。でも、、これまでの大きな引っ越しもなんだかんだで、S君の仕事だったのね(勿論、皆さんに助けていただいたけど)。今回はほぼ引っ越しを諦めていたので、こまこましたものが山積みになっている。S君自身で箱に投げ入れる方が手っ取り早いのだよね。

昨晩からの人参ジュースが良き前兆なのか?O氏のテキストではキモはなんとか終了して色々な検査(?)もクリアしたとのこと。やっと少しは食欲も出てきたのでキモセラピーの合間の昼食に食べて欲しいな、と、サンドイッチ(トマト、サーモン、ウオータークレス、アボカド、半熟卵)を作ってあげた。美味しかった、って。ただ、ビリルビンの数値はさらに上がっており、O氏の可愛い目玉は黄色に変化し、ピンクでしっとりしていた皮膚はすでに黄緑色になっている。

占拠者がすんなり退出したこと、O氏の余命宣告、昨晩、怪しげな機械音で目が覚め、その出どころを探したら目覚し時計だった。バッテリーを入れ替えたんだけど、そうだ、その前にTVモニターのコントローラーがストップ、やはりバッテリーの入れ替え時だった。今日、14日に水漏れが発生。どうも、S君たちの2階のフロア(床下)と1階のテナントさんの天井(裏)の間に設置しているパイプ?に難ありらしくて、早急に2階の床を剥がして点検、水漏れの部分を直さなきゃと言われた。天井裏に水が回ってしまうと取り返しがつかなくなるのは重々承知なんですが。。。あと数日の引っ越しまでのパッキング、引っ越し当日に床は剥がされドアから出れない?!重なり過ぎもいいところ。過渡期でしょうか。全てシンクロしてますな、、。

今日は早、15日の水曜日。頼りになる娘や息子が3〜4人はいる、とイメージしながら、『ママ、ゆっくりしてて良いのよ、あたしら・僕らで十分パッキングやるからさ』『そう?ありがとねー。ママ助かるわ、パパは動けないからね。』こんなふうに想像しながら一人、せっせとパッキングに向かう。

現実は、O氏、またまたおびただしい量の嘔吐。引っ越しまであと数日、どうかO氏が細々でいいからO氏でいて欲しい。

〜〜〜続く、  

O氏の治療, そして今、新たに始まる。その35

2023年、2月13日(月)この日は先週に匹敵する長い1日になった。それも早朝からなのでした。

S君は毎週の日曜日、12時間の介助の仕事をスタートしており、終了時はすでにニューバーグへ戻るバスや電車が無い、それで、夜はそのまま有り難くお泊まりしている。大抵は、翌朝の介護さんの来る9時頃までそのまま仕事先で過ごしていたが、先週からO氏の緊急治療が月曜日になった為、早めに失礼、その足で病院に向かう。

朝の7時過ぎにO氏と病院ロビーで待ち合わせ。そうです、腹腔穿刺の4回目。先月27日は腹水を9リットル抜き、17日間を経た今日は8.5リットル抜いた。腹腔内に水が溜まる速度と、悪性腫瘍がはびこる速度は比例しており、故に肝臓専門医の指摘に沿って、腹水は限りなく抜き続けねばならない。何故なら、栄養たっぷりの腹水で満たされた腹腔にはびこりだしたガンさんたちは、いわばお菓子の家を食べまくるヘンゼルとグレーテル。もちろん、グリム童話の彼らのことではありませんよ。

腹腔内をぐるり一周、食い意地の張るお調子者のガンさんたちは食べ物タプタプに囲まれた安全地帯にいるのだから、面白くて、嬉しくて仕方ない。キモセラピーなんて屁の河童。なので、フェイントをかける。栄養タップンの腹水を即抜いて、タクソルを回してあげるわ。

手術もキモセラピーも、治療の内容でその都度場所が変わる。途中、ヨーグルトや栄養ジュース、チーズラップとサーモンを買った後、次なる病院に向かう。血液検査、その解析。

ところがですね。。。血液検査の結果、肝臓部の数値が末期の様相を超えており、パクリタクセル(あの、化学治療のタクソルね)は中止。主治医曰く、最強のキモセラピーを今から行うことは即ち、”死” を意味すると。肝臓値から判明することは全く希望が見られない。あまりにも弱りきってしまいO氏に施せる治療は何もない。肝臓の全面降伏。そうですね、余命宣告でした。

それと、、、O氏は不可解な手術を受けた。S君的には要領を得なかったし、故に質問ということを控えたのであるが、要するになんら治療法がないにも関わらず、O氏の心臓めがけて大静脈カテーテルというのが左腕から入れられた。何かの検査?いよいよのための痛み止めの注入?次回、しっかり聞かねばならない。

S君の不屈の強さはどこへ行った? O氏のメンタルの方がよほど強い。淡々と状況を受け入れ、S君がこのまま年金を受け取れることやら廃車のこと、ギターのこと、機材のことなどこれらを誰々に託す、など決定が素早過ぎる。ちょっと待ってよ、キャンセルだとか、口座閉鎖だとか、ソシアルメディアをストップするとか支払いの振込だとか、なんだかんだO氏に任せっきりでもあったので、ピーナッツ脳のS君はボーッとしてしまう。

、、、改めて書くけれど、ブルックリンへの引っ越しも突然やってきた。占拠者が立ち退き執行の前に、本当に出て行ってくれた、しかも大家のY氏に、占拠者らしいけどまあ人間らしいテキストを送っている。『俺はもう出てゆきます。鍵も返します。もう、ここには来ません』と。O氏にもS君にも友人たちが近く、主治医にも近く、万が一ホスピスに移っても、何が起きてもニューヨーク市内に移るのは悲願でもあった。O氏は自宅でゆっくり日々を過ごしたいって。好きなようにアートをやってちょうだいね。

病院内はもちろん、路上でも帰りのバスの車中でも、ほぼ終日泣き切ったら、急に笑いが生じるS君。 泣こうが笑おうが、くるくる回る地球に重力で縛られていることに変わりは無いのだよ。なあんだ!こんなシステムに甘んじるから煩悩が生じるんだ。何を弱気になっていたんだろう。戦う前に、もう負けている。今が凄いチャンスなんですよ、処置なしっていうことは、こちらでいかなる治療もダイエットも自由なんです。西洋治療一辺倒のO氏に今、シフトが起きたのですよ。まずはすり下ろしたニンジンジュースを作る。

S君はすでに全面降伏している。完璧に全てを宇宙神と心の中に内在する神に委ねている。このような学びを与えてくださってありがとうございます。それだけ。 

〜〜〜〜〜 続く、

O氏の治療歴, そして今これから。その34

分子標的治療薬のローブレナに耐性が発現したので、それまでの1年7ヶ月はありがとねー、さよならー。で、再びアレセンサよ、こんにちわ。O氏共々よろしくお願いします、という推移に伴って、S君はコンピューターとにらめっこ。この治療薬に関しての作用も副作用も、あらゆるリサーチが嫌になってしまい、(前にも調べていたしなあ)気分を変えて、日本語の闘病ブロッガーさんの中からアレセンサ治療をされている方のブログをいくつか見つけた。

ありがたい。全く!有り難い。これらの生身の肉声とも言える治療中の皆さんの一文字一文字が、数時間かけたリサーチより文献より、的確に、このアレセンサとは何か、アレセンサ治療によってどうなってきているか、を伝えてくれる。

1月29日からの新治療スタートで、2月6日は1週間目の検診。どこまでO氏は血を抜き取られるんだろう、血液検査とはいえ半端な量じゃない。ところでO氏の両足がつる、というのはむくみ防止の薬の副作用というのがわかった。2倍に増やしたし。ので、カリウム(ポタシウム)をしっかり食物から得ること。化学反応っていうことですね。

それと、、、2月4日に肝臓の専門医からのコメントをいただく。すでにこれまでの腹腔穿刺やスキャンでおぼろげながら判明はしていたが、O氏の腹膜一面にガンさんたちが広がっていると。門脈圧亢進でもなければ肝硬変でもない、と。これまでも、疑わしきということで間断なく検査を受け続け、その都度病名やら原因やらも変化しているので、返ってホッとする。絶え間ない嘔吐も倦怠感も、たっぷんたっぷんの腹水もいよいよ痩せてゆくのも、このようにはびこり始めた彼等が大暴れしていたからなのね。わかった。

その理由が、ローブレナに耐性ができ、もはやこの新薬では戦えない、ので、はびこってしまった、のね。わかった。治療法はほぼ見当たらない。多分、あのキモセラピーを再開か?とにかく、お腹に水を溜めないことが重要だそうで、そのためには定期的に抜く手術をする、(回数が増すごとに危険領域に近ずく)或いは、いつでもどこでも溜まって来たら自分自身で抜くために、お腹に穴を開けたままにしてキャップのようなものをはめる。それを外して水抜きをする、って。もっとも、自分で行うため、全責任を自分で負う。失敗やら感染率が一気に高まる。。。

,,, 私たちの身体は途方も無い数量の細胞で形成されている、それら細胞の電気的反応が神経回路を伝って、脳という司令塔にゆくのだけれど、では脳が一番かということでもなく、全てが関連しあって働いている、ので、『私』とか『貴方』という現象も、突き詰めれば、どこの細胞がそのように認識してあたかも、私=自分=存在、と断言できるのか?という究極の疑問が生じてくる ,,,

般若心経を改めて学び始めてきているS君。本当に少しずつなのだけれど、S君とO氏の関係も変わってきている。O氏が主治医を信じて治療を続行、なので邪魔しない。O氏の細胞の化学反応をS君は注意深く見ることと、限りなく治療に効くと思われる食事・料理担当に徹する。これからはしばらく、流動食を中心にする。

二人とも、もう、驚くほど欲がない。でも、つい先日S君はO氏に尋ねた;これだけは絶対やらねばならぬって何かある?この人にはもう一度会いたい、とか、なんでも良いからやり残しのないように、Oちゃんの希望を聞かせて? O氏曰く『ミシガン時代からの作品、ことに線描ドローイング全てをスキャンしてファイルにして、本にまとめたい』って。オーケー、了解。まだまだ二人三脚でやろうねー。いやいや、ひとり二脚になったとしても。。。

補足ながら、2月6日の血液検査の結果は、驚きの水準を跳び越える肝臓値。AST, ALT, はずっと標準内だったのがぐんと高く、ALPに至っては、一昨年の危篤状態の数値を上回っている。 Albumin とBillilbin はかなり減少している。今回の主治医との話し合いは、緊急にMRI で肝臓とその周囲を調べよう、と。故に、病院を移動、待つこと数時間。

2月7日、画像解析の結果を電話で知らされる。肝臓の腫瘍がこぼれ落ちて(?)腹腔に流れ込んだガンさん達より他、致命的症状は見当たらないらしい。懸念されていたO氏の肝臓そのものは変わらずの腫瘍以外は大丈夫。故に、パクリタキセル療法(キモセラピー)に戻る、と提案された。はい、わかりました。ありがとうございます。

〜〜〜〜 続く

O氏の治療歴, そして今これから。その33

1月27日、O氏の3度目の腹腔穿刺。それと同時に、肝静脈の圧力測定(門脈圧亢進症の検査のため)、右首筋に穴を開け小さなカテーテルを肝臓めがけて入れるわけ。腹水は総量9リットル抜きました。(すなわち9キログラムですやん)やせ細っちゃっているのに体重計は80キロを超えていたし、胴回りは120センチメートルになっていた、本当に辛かっただろうね。帰宅して測れば体重は72キロ、胴回りは106センチほど。お腹と首筋の絆創膏が痛々しい。

手術を終えて、用事で数時間を費やし、そして帰る途中の乗換駅でO氏は突然の激しいこむら返りでひっくり返る!!手術のため、昨晩から絶食、加えて水分制限で臨んだこと、故にO氏の体液バランスが崩れてしまったのか!もっと水分補給すべきだった!とは言っても用事が控えており、水筒の水と苺味のカフィアのみ。。。 駅の階段でS君はマッサージを施す、なんとか落ち着いたものの、次に車中で再び動けなくなり、幸い、3人席のシートが空いておりそこにO氏を横たえての両ふくらはぎのマッサージ。緊張して突っ張った足を緩めること1時間。駅についても歩けないかもしれない、ので、痛みが激しければ救急病院にタクシーで、と考えたけれど、どうやら痛みは遠のいてくれた。ゆっくり運転して無事帰宅。

戻ると、3階の大家さんの猫くんが遊んで〜、と、やってくる。あまりにもめまぐるしい1日にS君は猫くんに癒してもらったよ。この夜は、O氏の両足ふくらはぎの こむら返りが間断なく襲って、S君は寝ずのマッサージ。ありがたいことに、こむら返りはこの夜だけだったので、翌日はパッキングもせず爆睡のS君。

1月29日からお薬の変化;ローブレナ(分子標的治療薬・ターゲットセラピー)は有難う、さよならー。その代わりに、再び ”アレセンサ” (キモセラピー、と但し書きがついている。ということはもちろん、これを体内に入れれば、正常な細胞もダメージがくるのよね。血液検査で、すでに免疫力がだだ減りすぎているのに)こちらは150mgを4錠(600mg)これを朝と晩に服用、ということは(150x4)を2度、総量で1200mgも取るのです!!すでに一度、これで死にかけるほどの副作用を負っているのに、、。O氏は、あの時は免疫治療の後遺症であんな風になっちゃったんだから、今は大丈夫なんだ、と強気。主治医の処方なので仕方ない、けど、何か起きる前にS君は主治医と健やかな闘いを挑まねばならない。。

ほらほら!S君!!気持ちをばたつかせない!あるがまま。色即是空 空即是色〜〜〜

両足の浮腫、腹水、に相乗効果ありということで、これまでのフロセミド20mgと、新しく”スピロノラクトン25mg”それぞれを1錠ずつ、朝に1回服用。この薬が、コンパニオン・プランツの関係のように、全て相乗効果を発揮してゆく、のだよ。

〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その32

2023年1月20日は、O氏のCT Scanの検査日。ついで1月24日は、いつものように血液検査と、20日のスキャンの結果と主治医による話し合い。

もちろん、チャットで早めに検査の映像や所見は把握してもいたので、いささか溜め息をついちゃったかな。24日の面談で判明しているのは、ステイブルという状態は今は過去形、肺と肝臓はかなり腫瘍が育っている。意味するところは、O氏のターゲットセラピー・分子標的治療薬(2021年から摂っているあの”ローブレナ”)は確実に耐性がついてしまい、おそらく効果なし、と。故に次の治療法に切り替える段階。当初の処方に戻って、これからは再び、同じくターゲットセラピーの”アレセンサ”。確か、2020年の春先にこれを取ってすぐに重篤な副作用で緊急ストップ、それ故にローブレナに変えた、という経緯はどうなっちゃったんだろう。疑問、謎、クエスション。

いかほどの容量でスタートするのか、数日中にはアレセンサが届く。また、パンパンの腹水は主治医の管轄になく、25日に肝臓専門医の緊急アポを入れた。

ほぼ4年前はアリゾナだったのね。あの頃あまりにもO氏は衰弱してやせ細ってしまって、ベッドに横たわっているのも目に入らなかった、、それくらい薄っぺらだったっていうことなんですが、今はその心配はない。どこに隠れても寝そべっていても、お腹の膨らみは露わに分かるからね。O氏の見た目に、主治医もナースも驚きを隠せなかった、、

まあ、受け入れています。今までもこれからも、O氏とS君の二人三脚の旅なのよね。だから、できる限りの事はする。執着っていうのも感じられないし、何であれ寿命は寿命なんだろうな。そんなふうにS君は考えているので、意外と心は明るい。

今年から、S君は杖を使わない。何が起ころうと二本の足を信頼する。ニューヨーク市内に行く度、心は萎縮して怖かったのでもあったが、今は時々バランスを崩すものの、健常者さながらにスタスタ歩く。無理すると夜には入れ替えた大腿骨部が飛び上がるほど、今も痛い、けど楽しい。何かに頼らず自立しているってこういう感覚?を取り戻しつつある。しっかりとO氏を支えるためにも、S君は自らを鍛えている。

それと、拍子抜けってこういうことかな。改めて書くが、S君O氏の引っ越すフロアに居座っていた(というのか占拠していた)住人が数日前に夜逃げ(突然!)したそうな。。なので、O氏とS君はこれ以上の日々を待たずにお引越し決定。ことに台所のものは一旦パッキングしたのを再び開けたり広げたりして5ヶ月経ったんだけど、本気で全てパッキングしなくては!

、、、肝臓専門医とのアポも書いておかなきゃならない。25日はズームのアポに切り替わってかなり長く面談できた。再び!!腹腔穿刺・お腹に溜まった水を抜く手術。。。それが明日の金曜日。我が家の引っ越しは31日。この5ヶ月強、いろんなものの箱詰めを出したりしまったりの繰り返し。それがここしばらくの流れだったので『変なの〜〜〜〜』という気持ち一色。もう、本当に箱を開いて取り出さなくていいのよね?? まあ、良いでしょう。

〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。途中経過などを。

8週間待たずして、O氏は明後日に病院へ出向き、CT Scanを取ることに。ずっと調子も良く落ち着いてもいたのだけれど、腹水が増えてきて、それは横隔膜が押し上げられることに繋がり、通常の呼吸が難しくなってきた。当然、腹腔内の臓器全てが圧迫されてきているので食も細くなる。嘔吐は、ほぼ毎朝の日課。

昨秋、腹水を抜いたそばから肝臓の生検で、(穴が開けられてしまい!!)大量の輸血で蘇ったばかり。主治医は肺癌専門なので、肝臓や腹水、その症状の由来を探るのは肝臓専門のドクターに委ねられる、が、有り余る患者さんを抱えているそうでとてもじゃないがO氏の番は回ってこない。何度も連絡を入れているのだが。。

本当にありがたいことに、S君の大切な素晴らしいお友達が肝臓の専門医を紹介してくださった。ところで、いかなる検査でもO氏の肝臓と腹水の病名も原因もはっきりせず、どう見たって、これまでの強い薬やキモセラピーや放射線などで肝臓の解毒が間に合わなかったか、肝臓そのものが超過労しきっていたのは間違いない。こんなこと書くのもなんだけれど、S君は集中すると身体の内部事情が見えたりもするので、その見え方と照らし合わせてみる。。。

門脈圧亢進 、、じゃなければ、肝臓の腫瘍の転移。。不具合が『腹水』という形を取っている。 これからはしっかり見極めていかないと。S君が直接できるのはO氏への肝臓のマッサージ。(『免疫力のエネルギー』をイメージして、単に触ってるだけなんですが)O氏のお小水の回数は日に日に減ってきている、というのか、水分制限もしてもらっているので。そうじゃないと飲むほどに腹が膨らむ。色々ありまくりではあるけれど、随分とS君の心は穏やかだよね。恐らくは、毎日の16時間プチ断食の効用かな?般若心経かなあ?

S君食堂はいよいよ手際よく、野菜と豆、シイタケや酢の味もの、ちょいとフルーツやヨーグルト。柔らか目の玄米など。代わり映えのしない献立ではあるけれど、O氏が美味しい美味しいと食べてくれるのが嬉しいね。

〜〜続く、

O氏の治療歴, そして今これから。その31

さてさて。12月1日は CTscanで、O氏のガンさんたちの様子を視る。前回からの6週間はいつの間にか飛んでいった。そして12月5日、スキャンによる検査の結果と、いつものように血液検査。

バンザーイ!!変わらずに、ガンさんたちは増えもせず、幾分小さくなったり消滅したりで安定しているとのこと。O氏もS君も、ガンさんたちがポーっと居座って、でも変な考えを起こさずのんびりくつろぎたいならいても良いよ、と受け入れてもいる。。肝臓部位の腫瘍はかなり縮んでいるらしい。これは有難い。血液検査ではまだ肝臓の ALP数値は高いけど他の肝臓数値は安定していて、これは肝臓そのものが回復しつつあるという嬉しいナンバーなんですね。なので、慌てず騒がずO氏の腹水が徐々に減ってゆけば良いね、って。肝機能が回復するに比例して、腹腔に流れて溜まっているリキッドも効率よく体外に排出されてゆくのだものね。

故に、前回と同様、主治医の決定でキモセラピーは回避、続く8週間はこれまでと同じくターゲットセラピー(ローブレナ)とむくみ防止薬(フロセマイド)だけを取る。抗血液凝固薬は主治医に尋ねなければならない、O氏自身の考えでは、必要ないんじゃないかなって思っているし。ただし未だ回復段階なので分子標的薬・ローブレナの減量は先送りになるかなあ。

キープゴーイング。O氏もS君も16時間ファスティング(晩御飯の後、16時間経ってから、プチ断食っていうのかな、次のご飯を食べる)を取り入れているので胃腸はかなり良いかしら。笑いと散歩とのんびり湯船と安眠。忘れちゃいけない、スクワット。あ、美味しいご飯作りもね。(美味しいかどうかはわからないけど、まあ良いか)コンスタントに痛くなる、S君の人造大腿骨入れ替えの傷も、楽しいことを取り入れだしたら『もう、頬つえはつかない』。以前いただいたハンプオイルで傷をマッサージ。やがて2年近いけど堂々と真っ赤な縫合ラインが左腰骨で自己主張してるわけなんですよ。

8週間後はすでにブルックリンのはずだよね!乗り遅れないようにって、長距離バスの時刻にドキドキする日々ももうあとちょっとですね。 全て応援して見守ってくださっている皆々様のおかげ+病院システムのおかげ+ 自然治癒力のおかげ+全て全てのお陰。こうした、”因” と”縁” は、実はS君は深く考えることもしてこなかったのだろう。あらゆる不思議をここまで追求しだしたのも、元を正せばO氏のガンさんがこの3年8ヶ月前にタネを蒔いてくれたのだし、それによって驚くほどの学びをさせていただいている。感謝感謝。

〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その30

10月20日は、O氏のテスト結果と今後の治療についての主治医との面談。S君は自宅から、電話での参加。O氏の頭の中の腫瘍は大丈夫。懸念していた脳内の出血も見られない。O氏の身体全体のガンさんたちは相も変わらずステイブル、安定している。肺の状態も残っちゃいるんだろうがガンさんの成長の兆しなし。

生検で大変な思いをした肝臓くんも腫瘍は見られず、小さめの何かはあるらしいが心配に及ばないらしい。ここしばらく、タクソル・キモセラピーを受けておらず、検査の結果ではまたタクソルを受けるのかなあ、と二人とも思っていたので、次の検査までこれまで通りの分子標的薬と抗血液凝固薬とむくみ改善薬、だけをとっておいてください、と。でも、主治医に尋ねてみたものの減薬の決定はまだ先らしい。

腰回り全体が腹水に覆われていたO氏だったが、すこーしずつ、本当にすこーしずつ、お腹の形が変化してきている。例えて言うならば、まさに臨月の女性の前方に突き出ているお腹、と形容すれば近いかな。O氏の腹水はきっと数キログラムはあるだろう。その重さを引いてみると、O氏はずいぶんしっかり健康的に痩せてきている。肝臓の回復に比例して、もっと腹水は減ってゆくだろうな。次の病院アポは6週間後だって! やったね! 12月までに、O氏は心身の強さ、そして免疫力も取り戻しているとS君は確信。

O氏もS君も、どちらも身体を大切に、そして ”心” の喜ぶものを食べようっと。心に栄養を与えよう、いや、腸活か?

ビデオの編集もさらに面白くなってきたし、楽しいことにフォーカスしていると、嬉しいニュースがよく舞い込むようになってきている。皆、それぞれに嬉しく楽しく。

〜〜〜〜 続く

O氏の治療歴, そして今これから。その29

太陽が沈みかける頃になると、気温はぐんぐん下がってくる。真冬が来たら引っ越しかーー、今回を本当の最後の引越しにしたい。もう、手に負えないので全部を引っ越しのプロに頼む予定。部屋は箱詰めしかかっているものが小山を作っている。やがては一つの山脈になるわね。何時ぞやの引っ越しのまま一度も開けていないものも。時間のある時の箱詰めは気分上々、何となく楽しい。ニューヨーク市内に戻るのも嬉しい。

翌週の10月18日は、O氏のスキャンとMRI。放射能を含むシュガーを飲まされ、身体内部のどこにそのシュガーが付着するかで、生身のがん細胞の行方やら状態を察知するわけ。それと、途方も無い磁石マシーンで脳細胞の腫瘍の様子も見る。前回は大丈夫だったし、定期的な検査は換言すればその都度放射能を浴びている、ことになる。検査とダメージと副作用の負の連鎖、と捉えるか、検査と小康状態と休薬・減薬と祈るか。明るく諦め、淡々と書くだけにしたいS君。

皆、O氏やS君のお友達は素晴らしい、いわば頼りになるお医者さんになってくれるのね。それぞれの体験や経験、知恵も知識もシェアしてくださるし相談にも乗ってくれる。”だから、これこれは良いよ” ”これこれは食べた方が良いよ” ”これこれは回避してストレスも減らして” ”これこれの治療で助かった人がいたよ” ”全ては寿命だよ” ”これこれで楽になったよ” ”生き延びたよ” など数限りなくこれまでもあらゆるありがたい言葉を受け取った。こうした言葉はきっと、目には見えないけど ”愛”のお薬ですね。まずは血流と気の流れに集中。

、、、ただ、、ある女性は、”私は素晴らしい。皆がそう言ってくれる。あらゆる経験と知識がある。私の大切なO氏を救えるのは唯一、私だけ。バカな日本人(S君のこと)にO氏の介護などできるわけない。こんな無能は放っておいて私に任せなさい” という大変、、アレな困った人もいる。ともあれ、全てはS君がこうした現象をどの視座・レベルで把握し、どのような対応をするか、どのみち相手は決して変わらない、のは間違い無いのだからS君自身を変えるべきだ。助かるとか、助けるとか、そうじゃなかろうと、なんであれ、もう大天界に任せてしまおう。

〜〜〜〜〜〜〜 続く