O氏の治療歴, そして今これから。その10

始めは、ギターやベースを弾いている時、O氏は左手首、それからほどなく右手首の強い痛みと浮腫みに気がついた。本来が楽天的な性格ゆえ、『久しぶりに弾きだしたから手首が疲労しちゃったんだろう』などと本人はポーッとしており、緩めのサポーターのような布を手首に巻いてニコニコしている。

コンピューターワークで当然とはいえ両手指を駆使するわけで、こちらはあまりストップできないため、O氏の手首の痛みも浮腫みもなかなか回復しない。それどころか日に日に両足首からくるぶし、やがては両ひざから下、ことに左足のむくみは半端なく指で押しても全く戻らない。同時に両足の甲もむくみがひどく、左足の裏(土踏まずはちゃんとアーチ型に見てとれる)の激痛も始まり、今ではS君のウオーカーや杖を使う羽目になった!もう、両アキレス腱の位置すらどこだかわからない、等々いかに大変な浮腫か想像できるよね。

たまたま二人がスニーカーを買いにニューバーグのショッピングセンターに出かけた時も、O氏は腫れ上がり切った浮腫のためこれまでのサイズが入らない。結局はふた回り大きなサイズのシューズを決めたのだけど、もちろん、それまでにもS君はこのO氏のありえない状況を徹底的にインターネットで調べをつけたり、診療看護師宛にメイルを送ろうとするのだけれど、その都度O氏に止められる。なんだかんだO氏なりのアイディア、理屈、経験上、『昔、合わない革靴で同じ部分を痛めてその時も完治に時間がかかった、だから今さらって云うか痛いのは困るけど。でも大したことはない』 と。『足裏の激痛は、日々早足歩きの特訓(これで肺活量や筋肉を強化するらしい、O氏なりのアイディア)による弊害なので心配ない』。

そんなわけないですよ。S君の拙い素人リサーチでも ”これこれのむくみはーーーによる弊害・副作用、ゆえにいち早くドクターに知らせること” と明記されているではないですか!? O氏は血液検査などでは定期的に主治医または診療看護師に会うのだが、一応は副作用らしき状態を見せつつ『でも、大丈夫なんです』と自ら打ち消してしまう。

このように刻々と発症してきている浮腫みは、2021年の10月頃にはスタートしていましたね。同時に O氏の足裏の激痛は ”足底筋膜炎”という症状が一番似ているけれど、もう、わからなくなってくる。相談できる有り難い人々には恵まれているが、この時もリフレキソロジストのお友達には随分と助けていただいた。

〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その9

夏いっぱいは可も無く不可も無く淡々と治療が運ばれていった。ここで一悶着が起きた。

つい数ヶ月前は危篤状態のO氏であった、その事実を踏まえるとコロナのワクチンを打って良いものかどうか、ローブレナ、のおかげで一息をついて未だ本調子ではない身体状況で、副反応がきついと言われているワクチン。この成分がO氏に及ぼす影響を考えるとS君は気が気でない。お年寄りや持病持ちの人こそ率先して打つべき、という見解には、果たしてO氏のような死に損ないのガン患者にはどうなのか?という単純なS君の疑問。

ー〜ーー、全て割愛。

S君自身は未熟児として生まれて以来の特異体質で自己免疫疾患。これまでのあらゆるワクチンを回避してきた歴史から、今回も打つことはできない。ドクターにその旨、オフィシャルレターを書いていただいてある。

O氏は2021年の8月と9月、モデ**のワクチンを打った。それはさておき、今に至るまで二人ともにコロナには罹患していない。風邪もひかない。いや、待てよ? S君は、2019年の秋やっとの思いでイーストコーストに舞い戻り、O氏を支えつつ部屋探しだの何だの疲労困憊の中、恐らくはとびきり攻撃力のある新種の風邪(フルー?)にかかったのか高熱と空咳、一度昔に肺炎をやっているのでその部位もキリキリ痛む。まだ、コロナの出現する前でもあったのだけれど個人的にマフラーをぐるぐる巻きにして喉の保温、それに日本製のマスクで喉の保湿。生姜や味噌汁でなんとか乗り越えた。

とにもかくにもO氏においては他所からの咳・くしゃみ、何であれ受け取ってしまうと命取りになりかねない、ので非常に気を使って来た。最低必要事項としての手洗い、うがい、マスクは欠かせなかったが、最近はワクチンを打った打たないに関わらず、コロナでは?という症状(またはコロナにかかった)を訴える人々が多い。皆一様にこの数年来の騒ぎでピリピリしているし、心身ともに疲労困憊もしている。

数年来の間断ない治療、弱っている身体の免疫力の低下、これまでの治療による身体組織の疲弊、劇薬相当のターゲットセラピー(事実、取り扱いは毒物とすること、などの注意が明記されている)、ここに新たにコロナワクチンという人工培養物が注入されるわけでもあり、果たしてO氏の弱り切った免疫システムは次々のニューフェイスにどのようなリアクションを示すのか、。。。 アクセプトできるんだろうか?

O氏の2度目のワクチン接種は9月18日だった、その二日前の9月16日の定期検査では肺も脳もそれぞれのガンは落ち着いており問題無し、ただし肝臓の数値が上がっていて何かの兆候かも、と。

このような状態でワクチンを打っても大丈夫か?とS君が尋ねたところ、フィジシャン曰く、”問題ないです” との事だった。

〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その8

それこれあって、激動の2021年のスタートはこれまでの総括とも思えるし、終わりの始まり、という気分にもなるし、残された人生の見直しと軌道修正、本当の人生のスタート、と我が身を奮い立たせれば、なるほど。。そうなのかなとも頷ける。

S君の最大の強みは、『どのような艱難辛苦といえども最後は大笑いするのだから、何をくよくよ心配している?』『思い出してみて!奈落に突き落とされた苦しさも辛さも今は笑い話。必ず浮かび上がる。それを知っているではないか!?』。。そしてこの確固とした強靭さが、時として誤解もされれば ”ドラマクイーン”と呼ばれたこともありました。

ーーどうやら肺炎のステロイド治療も終えたO氏ではあったが、これでまたしても振り出しに戻ったにすぎず、定期的なスキャンも血液検査も欠かせない。どうやら頭の中、脳の腫瘍は完全に縮小しており問題はなさそう。流れとしては、ターゲットセラピーの副作用による肺炎、の後遺症での肺血栓が存在しているので抗凝個剤を経口薬ではなく注射・ショットに切り替える。こちらは ”エノクサパリン” というお煎餅を想起させる美味しそうな名前で、もちろん、本人自らが自分の身体に射つ。1日に一回、80ミリグラム。ということはエリキュイスの8倍の量なんですね。何なのだ。

ショットは一気に体内に流れるので血栓を溶かすには有効らしい。(確か、S君も2月の大腿骨頭置換手術の後、血栓ができやすくなるということで渋々このような効能のショットをひと月続けたよね)これが4月中旬のこと。経過も良く、5月下旬には再び以前のエリキュイスに戻る。

フィジカルセラピーやクリニック通い。その都度、お隣や誰彼に車を動かしてもらう迷惑は避けたい、S君の歩行は覚束ず、そうか、と言ってタクシー代もかさむし第一左足が動かせず、乗り降りにかなりの時間を費やす。大抵は運転手さんは親切に待ってくれるが、そういう日ばかりではない。

これもまた、怪我の功名?というか致し方なく中古車を購入。(S君の本音は嬉しかった。引っ越し以来、大きな買い物は市内バスを使っていたものの、これからはしばらくバス利用も無理だろうし、第一、脚がこんな状態だから一切の荷物は持てない)

マニュアルで16年前のホンダ、車種や値段や条件や色(渋いゴールドのタンカラー)までが思っていた通り!!早速、”本タン・ハヌマン・プリンス”と命名。天気も良い、O氏はぼちぼち調子が戻り、近隣のパークやタウンにドライブすることが増えた。

肝臓さーん、大丈夫ですかー? 4月下旬にはかなり大きな腫瘍がO氏の肝臓に所見。しばらく副作用続きのためO氏はそちらの治療に追われていて、基本的なガン治療は間が空いてしまっている。それゆえか、身体の弱い部分めがけて再びガン細胞が活発化してきたのか。4月下旬にはO氏、ほぼ危篤状態。。。

眠れず動けず食べれず立ち上がれず横になることもできない。ひたすら肝臓部位の痛みに耐えている。

検査の結果、今度はおそらくはO氏のガン細胞発生を阻止する条件にかなり合っていると思われるターゲットセラピーを再開、その名は ”ローブレナ”。どうして、たいていの治療薬は可愛らしい名前なんだろう、スーッと頭に入ってくる。もっとも、こちらでの英語・アルファベットではこんな単純なアクセントじゃないとは思う。毎日朝に一回、100mgの錠剤。当然であるがこれもまた、とびきりの劇薬に相当する。これが5月21日のこと。約1年以上経た今現在も継続している分子標的治療薬であります。

S君は杖を用いながら歩行訓練やらフィジカルセラピー通い。一切をO氏には頼れないので食べ物・野菜の買出し以外は全て自分で賄う、ことに靴下を履く、下着を身につける、爪切り、などは文字通り歯を食いしばって特訓。しかしこのように自分にかまけざるを得ない状況は、裏返せば否応なしにS君はS君自身に向き合わねばならず、気にはなってもO氏の介護はできない。そのような時期だけに、O氏にはローブレナが効いて危機を脱出できたのはとてもありがたかった。 ただ、、S君の身体事情から車を入手したっていうことがO氏には負担なのではないか?

O氏本人が治療の身で、連れ合いのS君のフィジカルセラピー通いを往復の運転でサポート。その頃にはS君は少しずつ外に出て、歩行訓練開始。O氏は、杖をつきヨタヨタ歩くS君を介助しないわけには行かない、 〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その7

2021年2月7日。極寒も吹雪もそれまでは異常、と捉えられていた気象変化も今は通常現象になってしまったが、続いた大雪の止んだ或る夕方、S君は暗くなる前に、と、いつものように裏庭の一角のコンポストコーナーに、野菜くずやら失敗したザワークラウトを埋めに行った。当然、コートも着なければ財布もセルラーも鍵も持たない。多分、一瞬の魔の刻??

寒い夕方で、履き変えた長靴の底の凸凹にハマった雪が凍って、恐らくは底全面が平らにツルツルになっていたかもしれない。同様に、日中に表面だけ溶けた雪が再び凍ってこれもツルツルのアイスバーンのようになっていた(と思う)。裏庭から建物に向かおうとしたその刹那、思いっきり滑ってしまい、前回の手首骨折と同様に、頭だけは守らなきゃあという本能が働き、ひっくり返る瞬く間が、S君的には数十秒の感覚。

腰?の砕ける嫌な感じと言って良いのかな、それでもS君は、『大丈夫、骨折する訳がない。多分打撲、、もしかしてヒビ?』と、あらぬ希望的観測、そんなふうに思い込みたかったらしい。それから1時間、声も出せなければ動きも取れず、情けなく雪氷の上に転がったままじっとしていた。目の前の一階の住人が気がついてくれれば、と願ったり、二階のO氏が部屋に戻らぬS君を不審に思って、窓越しに庭をチェックしてくれれば、とも願ったが、もう日暮れて真っ暗な庭の白い雪がボーッと広がっているばかり。

渾身の力、と言いますか、上半身を立てて進行方向を後ろ向きのまま、両腕でズルズルと体を引きずりなんとか建物内部に入り込めた、が、激痛で声も出ないし加えて二階までの階段をどう登ればいいのやら。

結論から言えば、その後、緊急入院と手術により、S君は1年前には右手首、今また左大腿骨、とサイボーグ化してきている。骨粗しょう症でないことがわかったのはホッとした。参った! これではO氏を介護するどころか、反対にS君がO氏に介助を頼まねばならない。 〜〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その6

2020年11月、キモセラピーも、ましてやイミュノセラピー・免疫治療もO氏にはご法度、となるからには残された選択はさらに狭まってくる。致し方ない、、すでにO氏の身体状況は弱ってきているし、そのような状況で全身の細胞を善悪いずれもやっつけてしまうキモなどは、とてもでないが受けてはいけない。

新しい治療法!とみに脚光を浴びているターゲットセラピー。それまでも聞いてはいたものの、実際のところ具体的にはその意味するところを解っていなかったS君は、大至急調べをつける。”分子標的治療(薬)”、(身体内の特定のがん細胞・がん遺伝子から作られるタンパク質などを標的として、がんの増殖を阻止したり、ガンの成長を制御する治療法)この方法だと、普通の正常な細胞はそっくりそのままの状態でいられるので、身体への負担が限りなく減少される。

そこで処方されたのが ”アレセンサ”。なんだか可愛らしい子供のような名前だけれど、強力な抗がん剤。まずはこのターゲットセラピーが始まる。150mgの錠剤を朝晩二つずつ2回に分けて飲む。ということはどうにもかなりの量になってしまう(毎日150x(2+2)=600ミリグラム)。ところが服用初日の11月26日から日も浅いうち、O氏の身体にどう見ても副作用としか形容できない障害が発生;呼吸困難、咳、全身のかゆみや極度の疲れ、何よりも毎晩、シーツから寝巻きから何から何まで取り替えねばならない大量の寝汗!絞るほど!! 何故なのか、O氏は普通であれば即、知らせるべき副作用の発症を主治医と診療看護師にひた隠す。一刻も早く伝えるべきなのに、S君が連絡しようものなら怒るんだね。『自分は癌なのだから副作用が出てもしょうがない、これしか治療法がないのだから止める訳にはいかない』と妙に悟ったようなことを言うのだけれど。

でも、これこれの副作用が現れたら即刻中止、かかりつけの医師に連絡すること!と大きく注意書きされているんです。

待った無し。ひどい副作用をS君が訴えたことも誘引か、その場でスキャンを取りその結果、(又しても)”非感染性肺炎”が発覚。案の定、主治医の一言でアレセンサの服用はストップ。ステロイド治療を2021年の1月いっぱい続行。これが新年の1月5日のこと。

〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その5

2020年の夏からの抗生物質治療のおかげか、副作用である肺の陰りも消失。転移していたガンも、脳細胞のものは縮小し、骨の転移も縮小している。厄介なのは肝臓さん。スキャンの結果9月にはかなり大きい腫瘍が二つ肝臓に見られた。

どうなっちゃうんだろう、S君は気が気でない。放射線治療しか方法はないらしい、しかも肝臓に照射、しかも合計で36グレイ という途方も無い量を?! 都合6回に分けて行われたのだけれども、腫瘍部だけに照射するため、あらかじめ細心の検査、照射部位へのマークをお腹につける、(タットウ・入墨と呼ばれ、小さな黒点マークは永久に残る)正確な位置確認などなど。それでもS君は、放射線治療医にしつこく安全性を尋ねまくった。答えは、体外つまりは皮膚を通して肝臓への照射になるので、その放射線の通り道は、当然とはいえ被曝状態になる、と。故に、、人によっては皮膚ガンというものも発症する可能性もある、と。

そうだ、アリゾナでは、O氏は脳腫瘍(肺がんの転移)にやはり放射線治療が施されており、あの時もリハーサルというのか、綿密な検査と位置確認、放射線がきっちり腫瘍部だけに向かうよう、防御脳マスク(頭部固定用シェル)?を被ったりしていたよね。。

当初からのCTも含めると、すでにおびただしい相当量の放射線を浴びてしまっているO氏。治療ってなんなのだ?なぜにO氏は従順なんだろう、すがりついているようには見えないけれど、と言って、安心して信頼しきってこれらの治療や検査に甘んじているようにも見えない。O氏は必死だった。ただただ必死だった。最新治療も結局は対症療法じゃないかしら。といって、放っておけば命取り(?!)

食べ物も、サプリメントにしても、分析してゆけば最終的に分子記号的に解釈できる構造になっているわけで、それらの身体への選び方や取り入れ方、何を摂取し何を取捨してゆくか、どうしたら身体内のバランスを図り、副作用を抑え回復できるのか。 副作用が発生しないためには、副作用を形成する本家本元を絶つ、のじゃないかしら。

〜〜〜 続く

O氏の治療歴, そして今これから。その4

ニューバーグ に移って二人が嬉しかったのは、地形がハドソン川に向かってなだらかなスロープになっており、歩き回れる規模の街だったこと。木々、植物も豊富に生えている。さすがビスビーの時のように人里離れていることもなく、二人の落ち着き先のストリートはアフロアメリカン・ジャマイカン・メキシカン・ドミニカンの陽気な波動に満ちている。うるさいこともあるけど、袖触れ合うも他生の縁。いや、縁どころか、S君の過去生でご縁のあった方かも知れないではないか?!

O氏の治療そのものは、主治医も診療看護師もニューヨーク大学病院も何もかもがスムーズで、束の間の平安。。。なんたることか、2019年の暮れ、こちらでの大きなホリディシーズンを前にS君は買い物の途中で滑る。下り坂道の真ん中で突然S君はひっくり返る。坂道が凍っていたのは十分わかっていたつもり、まさか滑るなんて!しかも咄嗟に頭をかばったため右手首がストッパーになり、ねじくれての骨折ですよー。救急外来で処置していただいたものの、クリスマスやら新年を前の大きなホリディシーズンゆえに、手術まで1週間待たされた。

O氏もS君も、それぞれの治療やら何やらで仲良くニューヨークに行ったり来たり。幸い、長距離バスが走っており難なく往復できていた。それは一連のコロナパンデミック前のこと。

2020年の春。コロナの深刻な流行で長距離バスは運休の運び。車を手放している二人には少々頭が痛い。その頃にはS君の右手首はかなり動かせるようになっていたし、フィジカルセラピーも終了して、大家さんの庭作りを手伝ったり植物を植えたり世話したり、忙しく充実していた。

O氏もバス運休のため、すでにこちらニューバーグの腫瘍医・オンコロジストに変えてもらっており、継続してキモとイミュノセラピーを受けていた、が、定期的なスキャンとMRIの結果、肺が白く変色していた(グレイゾーン!)。その頃には、少しはバスも復活しており急遽、本来のニューヨーク大学病院 に直行!!主治医と診療看護師の懸念は、1、コロナ肺 (コロナに罹患したための肺の炎症) 2、免疫セラピーの重篤な副作用で肺が炎症を起こしている、

ことに、癌患者が弱っている免疫力を薬に依って高めるため、このような療法が施されるのであるけれども、免疫力が高まりすぎて本人の細胞や各臓器を攻撃してしまう、いわゆる自己免疫疾患になってしまったらしい。

慎重な検査の結果、O氏の肺は、免疫治療の副作用で肺炎を引き起こしているそうで、故に今後一切のイミュノセラピー(キトルーダ)もキモセラピー(アリムタ)もストップ。真っ先に肺炎の治療、ということで抗生物質投与になった。また、肺に血栓が発生していたので、即、抗血栓剤 も服用することになった、抗血栓剤 には二つの異なった種類が用途別にある。O氏に処方された薬は抗凝固薬の ”エリキュイス” (毎日朝晩1錠ずつなので5mg x 2=10ミリグラム)、今に至るもずっと服薬している。これらはすべて2020年6月半ばのこと。

〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。その3

引っ越しまでも、間隔を置き、キモとイミュノセラピーを受けるためコンスタントにツーソーンに車を走らせる。もう、何もかもが180度変わってしまった。例えば、”自分は、いついつに禁煙した” ”いついつに断酒した” などとよく聞くし、それはその個人の人生のハイライトでもあると思う。O氏にとってもS君にしても ”自分はいついつに癌の告知を受けた(それから何年たった)”という、数字上の隠されたメッセージがいささか重い。

初めのキモ治療の日程が決まるまで、痩せ衰えてゆくO氏は紙切れのようにヒラヒラと動き、しかもベッドと同じ水平さにまで薄っぺらな身体になったものだから、S君はいつもO氏を見失う、見回してすぐに、”なあんだ、ベッドに横たわってるね” と気がつくが、同時に涙が溢れでる。どうしよう、、引っ越ししかないなあ。

ビスビーではガーデニング仲間やエコロジスト、音楽関係など楽しい人々に出会えておもしろかったし、やっと1年経ったところで、さあて根っこを生やそうかね、との準備段階での再びの引っ越し。けれど、まずはフォーカス。肺がん治療に焦点を合わさなきゃ。その様な理由で2018から2019年に2回の大きな引っ越し移動を行った。野良仕事で使う大きな機械や工具、農具は全て置いてきた。(ああ!今になって必要なんですが!!)

2019年、9月18日にニューヨークのラ・ガーディア空港に到着。そして11月19日に郊外のニューバーグに移るまでのふた月は、ひたすら部屋探し、保険加入やそのリサーチ、病院やドクターなどを探す、コンテナの荷物はニュージャージー州のどこかに放って置かれ、二人の引越し先は未だ決まっておらず、そのため他の倉庫に大荷物の移動を余儀なくされたり、なんだかんだと休む暇なし。その間にも治療が円滑にゆくよう、何度かキモセラピーを受けにO氏はニューヨークとアリゾナのとんぼ返り。

皆には真実、大変お世話になった。言葉では言い尽くせないです。皆、本当に本当に助けてくださった。ありがとうございました、そしてありがとうございます。 〜〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。 その2

ビスビーの診療所や妹たちの勧めもあって、O氏はツーソーンのアリゾナ・オンコロジー にかかることにした。もう一つ、アリゾナ大学病院を選ぶ、という手もあったが一刻も無駄にはできない。さて、O氏の主治医は、かつてO氏実母の主治医でもあった!なんという因縁。O氏のガンは肺のみならず、骨にも肝臓にも脳にも転移しており、全くのところ猶予無しの化学治療スタート、これが2019年6月下旬。さらには免疫療法と併用(免疫治療を受けられることでどれだけありがたかったか、皆に羨ましがられた。ところがこちらが1年のちにその重篤な副作用を発生)。キモセラピー薬は ”アリムタ”、イミュノセラピー薬は ”キトルーダ”。

抗がん剤は時代遅れ?

脳への放射線治療もそうだったが、Xレイも血液検査も、スキャンもMRIも、その度に車を走らせねばならない距離にオフィスが点在しているので、O氏も S君も気が気でない。ツーソーンの大通りは半端ない車の洪水。カーブや出口を間違えると、元に正す時間の損失。いつも時間とにらめっこだった。

食い意地の張る S君は、O氏のキモ治療中、同じ治療室内への差し入れのクッキーだのドーナッツをいただくのが楽しみだった。しかも、オーガニックの厳選されたスイーツもあり、お医者様や看護師さんの『困るね、こんな甘いものを治療室に置かれては、、』という顔を横目に、O氏の隣でスナックタイムをしていましたよ。とても開放的なキモセラピー治療室だったのか(?)広い室内では、幾人もの患者さんがその治療中に家族や連れ合い、お友達と椅子を並べおしゃべりしている家庭的な光景。

さて、主要事案だったO氏の実父もすでに安らかに旅立ち、今は治療のためのみにビスビーに居ることが主になってきた。その頃はすでにビスビーでの農園の諦め、、少しは土を改良したかと思う間も無く、次々のインベーシブプランツ/侵入植物 がモンスーンの合間を縫ってニョキニョキと出現。鉢植えの草木はその強い陽光に根っこまで焼かれてしまう。S君は察する;これはひとえに私の思い上がりなんだ、この砂漠の環境はそれで中庸を保っており、むしろ、私らがこの地の侵入者なんだ。こんなにカラカラに見える土の下は何百という植物の種子が層をなしており、数ヶ月に渡るモンスーン期を心待ちにしている。しかも順番を守りつつ、引き抜かれる植物を待ってました、と即その後に次の植物が芽吹き一瞬のうちに成長する。

見方を変えれば、植物の世界も人間の世界も定住したり移住したり侵食したり、と。これまた現象界の雛形(類似)なのかと思う。

ところで、高額の医療費のことや、遠い距離を車で行き来せねば受けられない治療。これで良いのか、他のがん専門医の意見も聞いてみたい、O氏とS君はあれこれ話し合って引っ越しを決意。

デトロイト、ノースキャロライナ、ニューヨーク、ニューヨーク・アップステイト、と候補を絞るうち二人揃って ”アップステイト” のアイディアがストン!と腑に落ちた。文字通り腑に落ちた(笑)。

それまでにも遠方をヒーラーの方が来てくださったり、お友達にも色々とニューヨーク近郊のアパート状況やら食事療法などの相談をスタート。ビスビーはさすがかつてのビートニクやヒッピーで占められてるんじゃない?と思えるほど、皆、身体の不都合や病には一家言持っており自然治療が盛ん。ところでO氏は最初から化学治療を選んでおり、これが今に至るまでの S君との見解の相違でもある。

O氏はビスビーでの知り合いから勧められた本、その中に登場するケトジェニックダイエットに感化された模様。”まず身体を飢餓状態にして、ガン細胞に栄養を与えない”。これは裏返せば細胞全体も飢餓状態になるわけで、とてもじゃないが良い細胞も弱ってしまい、これではガンとの戦いも回復へのサポートもできなくなる。S君は、その点を言うのだけれど O氏は ”馬耳東風・ばじとうふう” 。最終的に、これでは栄養価も偏ってしまうし、第一、痩せすぎて力尽きて、本人自ら撤回。これは2019年いっぱい続いたね。

今は、副作用も半端ないので休んでるけれど、肺がんステージ4の名称をいただいて以来、O氏のヨガ、ダンベル、速歩または数マイルの散歩、などの運動は続行中。 〜〜〜〜続く

O氏の治療歴, そして今これから。 その1

O氏は飄々とミシガンはアン・アーバー からニューヨークにやってきた。快活で親切、サイエンスフィクションと世界の歴史に傾倒し、コンピューターを駆使してのウエッブサイトやらグラフィックデザイン、ビデオを撮ったり録音したり、アートと音楽関係が仕事。かなり変わっているけれどそれはそれ。

O氏の連れ合いS君は、これまた典型的な風変わり。大胆小心、型破りの減らず口、気前は良いし献身的でもあるし、何よりも荒唐無稽な生き様と、様々な超常体験をO氏は気にいっている。それに、驚くほどの語り部、次々と話が止まらない。S君いわく、脳内で見えている情景をライブ配信のごとく、通訳しているらしい。

二人は2007年以来ずっと一緒にニューヨーク市に住み、2018年の6月、O氏実父の最終介護と実妹の土地の管理で、メキシコボーダー、アリゾナはビスビー に移住。

2019年3月中旬、止まらぬ空咳もそうだが、O氏は胸に痛みを覚えた。少し前に雪の後の凍った庭で滑ってもいたので、肋骨にヒビでも入っているんじゃなかろうか!と大慌て。ビスビー唯一のクリニックにて診察。乾燥砂漠地帯とはいえビスビーは高台に位置し、雨季もあれば雪も降る。

同時期、O氏の実父がその93年の生涯の臨終を迎えており、S君と共にビスビーとツーソーン(アリゾナ第二の都会)を矢継ぎ早に往復。実父の安らかな旅立ちの後も、一向に連絡をよこさないクリニックに此方から出向いて結果を聞きにゆくと、さあ大変!一つには彼らは連絡を怠っていた、しかも検査の結果、ビスビーの小病院では処置が難しいのでツーソーンの医療に至急かかるように、との指示。 何これ? もっと早く知らせてほしかったんですけど〜。

ツーソーンに住むO氏の妹夫婦、ラス・ベガス住まいのO氏の末妹。彼らが居ることでO氏もS君も心強い、とはいえ不慣れな土地での治療に加え、ビスビーとツーソーンの片道は車を走らせてたっぷり2時間。あらゆる検査の経過で病名もコロコロ変わり、そのいずれも二人には嬉しくないものばかりだったけど、最終的に『非小細胞肺がん』という名称をいただく。それが、2019年の6月13日のこと。

今はあまりにもあっけらかんと情報が飛び交い、しかもインターネットである程度は調べがつく。病名や病状も堂々と一人歩きしているし、闘病ユーチューバーや闘病ブログも盛んだ。ドクター顔負けのリサーチや解説、それぞれの日々の過ごし方や気付き、楽しみ方をこちらに知らせてくれる。彼/彼女の死生観は痛々しいほど正直であり感銘を受ける。その深刻な状況や時には過酷な堪え難い辛さをこのように公共に解放し、しかも希望を失わない強さ(素晴らしさ)、これらを目の当たりにS君は立ち上がる。そうだ、挑戦なのだ、勝ち負けの戦争じゃない、自分たちは何かすごいことを与えられたんだ。これはチャレンジなのだ!

〜〜〜〜 続く