O氏の治療歴, そして今これから。その21

間に一週間を置いて、7月12日から26日までの毎週あと3回のタクソル・キモセラピーになる。お休み期間中にO氏にはさほど変わったことはなかった、けれどお腹の膨らみ、空腹時の吐き気、下痢、一度回復した蜂窩織炎(ほうかしきえん) の小さな炎症が始まったことと急速にO氏の頭部、耳の後ろ、それに額と頬、ま、いわば全体にぷつぷつが出現。なんであれ、身体内部に潜んでいるよりは身体外部に出てくれる方がS君にはありがたい。即、診療看護師に連絡。診療看護師 =主治医と同等の知識や体験を持ち、とっさの判断や処置を的確に遂行する。

12日の結論;血小板減少が甚だしいので七回目のキモはストップ〜延期。理由は、タクソルの副作用。なので来週までの1週間は再び、分子標的薬と抗凝固剤とむくみ治療薬の三つ巴。

20年以上とてもお世話になったS君のお友達 Kさんの病院に、Kさんの介護さんと共に付き添いで出かけた。O氏のキモ治療が終わるのは大抵遅い夕方になるので、時間的にも都合良いかな、と。ところがこの日のキモはキャンセルで、いつものチェックアップだけだったのね。で、O氏は大事をとって早く帰ってしまった。治療がメイン、加えての猛暑で、O氏自身がニューヨーク市内でやりたいこととか人と会うこと、など今もってちょっとも果たせていない。

何年もS君の中でのわだかまりがある、それは ”免疫” のこと。O氏には約1年順調だったイミュノセラピーが突如豹変。肺がグレーゾーンに覆われ、1、免疫治療の重篤な副作用 2、コロナに罹患しての肺の病変。。 このいずれかが疑われて結局は免疫治療による自己免疫疾患、とわかった。(このことはすでに書いているので割愛)そして、この12日にタクソル・キモ(抗がん剤)の副作用(つまりは薬剤性血小板減少症)が判明。その経緯を調べていると、この ”血小板減少症” は昨年以来のコロナワクチンの副作用でも似たような症例が多数出ていることがわかった。。こちらは、血小板減少症を伴う血栓症と呼ばれている。

S君の頭の中では コロナ疾患症状=ガン免疫治療の副作用 → コロナワクチン(免疫ワクチン)=化学免疫治療 → ワクチン副作用=化学治療副作用 と、何やら重なってしまう。この共通するファクターは ”免疫” が、そのキーワードというのかな、。

〜〜〜 続く

美術館はやっぱり面白い! こととか:After all, Museum is lots of fun! and so on.

オリンと私はもっとニューヨーク市内に行くべきだよね。さらに美術館が遠のいてしまう。久しぶりにビーコンの美術館に出かけて、何時間も館内で過ごした。あー、やっぱりアートは面白い。

Orin and I should go to New York City more often. Otherwise, all museums are far away from us. Finally, we went to the Dia Beacon (Museum) and spent hours inside. Ah, art is so much fun after all.

オリンの友人、ダニー。彼は, ミュージアム・オブ・ザ・インタレストシングス という出張骨董品博物館を開催している。先日、アルバニーで古いフィルムの上映をするから、と立ち寄ってくれた。いわゆる由緒正しき宝飾的なアンティーク類というよりは、本当にレトロで懐かしい玩具、機械工業品、日常生活品が占めており、彼がこれまでに収集した膨大な”面白いものたち”を眺めるだけで時空が巻き戻される。

Orin’s friend, Denny. He runs a traveling antique museum called “the Museum of Interesting Things”. The other day he stopped by on his way to show an old film in Albany. Rather than the so-called jewelry antiques, his museum is dominated by really retro and nostalgic toys, machine industry products, old films, and everyday items. Space-time is rewound just by looking at the huge amount of “interesting things” he has collected so far.

Unidentified Aerial Phenomena seen from the Hudson Line, 14 June/2022 : ハドソン線から見た未確認空中現象

2022年6月14日、郊外の住まいに戻る時の夕日が綺麗で、オリンがセルフォンで窓ガラス越しに撮り、私も普通のカメラで少しだけ撮った動画を後に編集した時、”何か” が電車(とハドソン川上空)と同じ速度で飛んでいることに気がついた。最北端のマンハッタンあたりから、消えたり現れたりを繰り返し、最終的に上空で消えました(というのか、見えなくなった)。その部分だけを拾って、その ”何か” をスローモーションにして再びビデオ編集しました。 こちらです。

On June 14, 2022, when we returned to our suburban home, the sunset was beautiful, and Orin took a video through the window glass with his cell phone. I also took some video with a normal camera. Later, when editing, I noticed that something was flying at the same speed as the train (and over the Hudson River). It repeatedly disappeared and appeared until the northernmost point of Manhattan, and finally it disappeared in the sky (I mean, I couldn’t see it anymore). I picked up only that part and made that “something” into slow motion and edited the video again. Here it is.

再び未確認空中現象:Unidentified Aerial Phenomenon again

この6月14日、ニューヨークから帰る電車の窓外は、ひたすら紅い日没の光景が見事だった。オリンがセルフォンでマンハッタンの最北端を越えたあたりまで撮っていたのを最近編集した。音楽はもちろんサヤとビビエン。本当にどうもありがとう、お二人の音楽活動に乾杯!

ファイルにして見直す途中, なんだか白いまあるいものが電車と同じ速度で中空を飛んでいる(?!)のに気がついた。ビデオで8分20秒過ぎから9分15秒まで、この物質?が見え隠れしつつ飛んでいるのがご覧いただけるかしら。

大きく引き伸ばしてみると光が時々二つに分かれたり戻ったり。いつだったか、ニューヨークのイーストビレッジで見たものと同じ形象。この時は、当時の私たちの住む最寄駅、”セネカ” まで付いてきてふわっと上昇してそれっきりになった。

黄昏のニューヨーク・ハドソン線 (ビデオはこちらをクリック)

On 14 June, 2022, we were going back to Newburgh by Metro North Hudson Line. Such so amazing beautiful sunset just started so Orin took scenery through the window by his cellular. After that, I made short video of the trip with PALM FICTION’s music. Thank you so much for SAYA and VIVIEN!

Surprisingly I found that an unknown something appears in the middle of the sky. Neither star nor plane. You can see it around 08:26 until 09:15. You can see a round light is flying while appearing and hiding.

When I enlarge it from freeze frames, the light sometimes splits and returns. Once I saw the same phenomenon when I was in the East Village in New York. At that time, it followed me to the Seneca subway station when we lived near there, and it climbed up softly and disappeared.

Hudson Line Sunset

ギター店も花火もトカゲも:Guitar stores, fireworks, lizards and so on

最初の角で後輪タイアのパンク。それこれで遠出はまたの機会に延期。ポーキプシーに近い町ラッピンガーの ギター店 にて、レスポールに似せたデザインのエレキを受け取りに出かけた。店は ギターのビンテージ店 につながっていて年代物のギターがズラッと掲げてある。ハドソン川一帯は ピート・シガー のゆかりの地, ギターを中心のミュージッシャンたちのイベントはいつも盛んである。

Rear tire went flat at the first corner. So the outing is postponed to another day. At a guitar shop Lotz of Guitars in Wappingers Falls, a town near Poughkeepsie, we went to pick up Orin’s De Armond electric guitar (a design similar to Les Paul). The store is connected to AxeShop where there are a lot of vintage guitars. The Hudson River area is related to Pete Seeger , events for musicians, mainly guitars, are always thriving.

ビスビーでは、岩山の真向かいの小学校庭だかで花火を見たな、、それ以来の3年ぶりの花火。今年はニューバーグ。一日繰り上げでハドソン河畔でのお祝い花火。(気持ちとしては独記念日 は好きで無い)

In Bisbee, we saw fireworks in the elementary school garden directly opposite the rocky mountain … this is the first time in 3 years since then. This year is in Newburgh. Celebration of fireworks on the banks of the Hudson River one day ahead. (however I have mixed feelings about Independence Day

コミュニティガーデンの帰り、珍しいトカゲを見つけた。誰かのペットなのだろうか、えらく人懐っこくてニコニコ笑っていた。

On the way back from the community garden, we found a rare lizard. I wondered if it was someone’s pet, and they were very friendly and smiled at me.

kami-sibai “A Tale of Mimi & Lou-Lou” : 紙芝居 ”ミミとルルの物語”

2003年1月10日と11日、ニューヨークのHERE Art Centerで開催されたGreat Small Works主催「第6回おもちゃ劇場フェスティバル」に紙芝居パフォーマンスで参加のため、この物語を作成した。 紙芝居は、一枚一枚の絵を見せながら話を語る大道芸です。登場人物のミミとルルがどんなふうに砂漠の国を救ったか楽しみですね。舞台では、私が一枚一枚の絵を日本語で語り、次にアヤ・カナイさんが英語で通訳をしてくださった。実にありがたいサポートでした!

絵は、色を塗った紙を切り抜いてコラージュ風に作った。お話に登場するミミとルル、彼らの名前はお友達の猫さんの名前をそのままお借りしたんです。猫さんを通じてお話がやってきた、という気がしている。

19年が経ち、やっと当時の紙芝居を動画に作り直すことができた。 ナレーションを担当してくださった岩田智子さんとオリン・バック、オリンは録音も手がけてくれました。お二人に感謝します。

This is the story of Mimi and Lou-Lou, and how they helped their desert planet. I created this story for my Kami-Shibai performance on 10 & 11 January, 2003, the “Sixth Toy Theater Festival” produced by Great Small Works at the HERE Art Center, New York NY. Kami-Shibai is a street entertainment from using illustrated paper scrolls to tell a story. At that time on the stage, I read the story in Japanese, and then Ms. Aya Kanai provided simultaneous interpretation in English for me. It was a great support to me!

These pictures were made into a collage style by cutting out colored paper. Mimi and Lulu in the story, for their names I borrowed the name of my friend’s cat. Somehow I feel that the story came through the cat named “Lou-Lou & Mimi”.

After 19 years passed, finally I remade my old story into a video. Special thanks to Ms. Tomoko Iwata & Orin Buck for narration, also Orin helped me with audio recording, too.

英語版ビデオ: English version video 日本語版ビデオ: Japanese version video

O氏の治療歴, そして今これから。その20

『根拠のない自信は大切』思わず拍手。この一節は、S君のお気に入りの闘病ブロッガーさんからの抜粋であります。グダグダ理由は良いから、まずは単純に自分を敬い自信を取り戻す。ことに、治療の過程で単純に、”治ってきている” と信じていよう。

ずいぶんと昔のこと、S君は、アンバランゴダ(スリランカ) に飛んだ。それはその地でとみに有名な、悪魔祓いの仮面舞踏を習うため。もっともポッと出の旅人に始めから伝授してくれる師は見つからない、その代わり地元の少年・少女の練習風景を日々眺めに出かけた。病気は、病魔という魔物がその人間に取り付くことで生じる、と信じられていた。そこで、それら体内に巣食う病魔を退散させるための仮面劇・悪魔祓いの踊りが発達したということらしい。

では、確実に病魔を怖がらせ、退散させるものはなにか 〜〜〜 ”笑い” なんですね。悪魔祓い(病魔払い)、このコンセプトに感動した血気盛んなS君はスリランカに飛んだんですね。

〜〜〜 さて、病院も一週間はお休み。O氏も一息入れられそうかな。しばらくは分子標的薬と抗凝固剤、浮腫みの落ち着くまでのウオーターピル、の3本立てで楽しくやりましょう。診療看護師曰く、治療による効果とその副作用のいたちごっこでいかにS君が日々憂慮しているかはよおくわかっています、とのこと。

O氏からも、”いかにS君がストレスを背負い込んでいるか、そしてそれはS君がO氏を深く愛するがゆえに、二人の間の距離感が密着してしまい、文字通り、毎分毎秒の一喜一憂状態。本当にごめんね、どうもありがとう” と泣きながら言われた。

いつだったか、こちらのヒーラー、Ms. F. V. に、『あなたの過去生は一度、ダイナミックヒーラーだった。そしてその危険なヒーリングの名残がある』と言われたことがある。今更のようにS君はその言葉を思い出す。つまり、相手の不具合な状態を全て肩代わりして自らの身体に移行させ、我が身を持って相手を完治させる。。。いや、それはないでしょう、だって、S君は自己免疫疾患もあれば左足の不具合もあるんです。でも、、、これらの事故が他者でなくて自分に起こって良かった、と真実思っている。そしてこのような介助人生活をO氏が与えてくれたのもありがとう。介助を通してS君は限界に挑む。介助の楽しさと介助の豊かさ、さらにまたアイディアが沸き起こる。

〜〜〜続く

貨物列車:Freight train

私のお気に入りは、ここ ニューバーグの図書館。ハドソン川に面して大きくクリアなガラスの窓が、差し渡し真横に伸び、快適な椅子に座ってラップトップを広げる。老眼なのに、対岸の電車;メトロノース・ハドソン線がビーコン駅を通過したり停車するのも見えるし、ビーコンの美術館 も見える。

ハドソン川のこちら側、眼下には規則的に行き来する貨物列車が走る。ほとんど気にも留めないけれど夜中や明け方、家の隣を走ってるの?と錯覚するくらい警笛が耳に飛び込み、唐突に何か形状し難い胸苦しさ、郷愁といった感覚に襲われる。

鉄道、列車、夜汽車、は古今東西、唄にも詩にも文学にも映像にも定番だし、そこに始発駅・終着駅(生・死)といった象徴的概念も加わって、通過駅、乗り換え駅、各駅やら急行、特急も、それを選ぶそれぞれの生きざまの速度なのかなあ。今更ながら私の越し方で、駅と駅の間を走り抜けた人生、それらがいよいよ愛おしくなってきている。

銀河鉄道の夜/Milky Way Railroad 夜が明けたら/浅川マキ・Maki Asakawa Hear My Train A Comin’

Here Newburgh Free Library is one of my favorite places. A large, clear glass window facing the Hudson River stretches right in front of me, sitting in a comfortable chair and unfolding my laptop. Even though my old eyes, across the river I can see the Metro-North Railroad Hudson line passing and stopping at Beacon Station, also Dia Beacon (Art Foundation) too.

This side of the Hudson River, under my eyes freight trains come and go regularly. I hardly notice it, but in the middle of the night and at dawn, the distant horn jumps into my ear, I wonder what is the train running next to my house? Suddenly something difficult to explain with emotion shaking my soul and nostalgic feeling.

Railroads, trains, and night trains are classics in songs, poetry, literature, and movie/images with the addition of symbolic concepts such as the first station and the last station (life / death), passing stations, transfer stations, local trains, express trains, bullet train—I wonder if it is the speed of each life that people choose. Even now, in my way, a life that ran between stations (the highlights), the parts between stations are now a bit more important and getting acceptance and love.

O氏の治療歴, そして今これから。その19

心を図太く保つにはちょいと荷が重い、という心境のS君でありますな。。感情と一緒に縄跳びしちゃってるのか知らん? ぴょんぴょん行ったり来たり。

O氏のタクソル・化学治療キモセラピーは6月28日を持って6回目終了、一週間のお休みののち、後3回受けねばならない。7月も終わってしまうだろうな。減薬〜休薬〜 は限りなく遠い、ので視点を変えて、すでに休薬・断薬をしている現在、というイメージ、その地点から、あたかも過去を振り返るような形式で書いても面白いかも? あるいはそのように潜在意識を明快に納得させるとか。

6月29日、O氏は再びフロセマイド(浮腫み緩和剤)を取り始める。分子標的治療薬ローブレナをコンスタントに取る以上、浮腫みが反作用でやってくる。元々の肺がんからの血栓予防の抗凝固剤エリキュイスはそのまま、加えてまだまだキモ薬タクソルは注入されるし、再び、例の、タクソルの副作用を緩和させて白血球をサポートせねばならない自動ショット・ぺグフィルグラスティムがO氏の左上腕にひっついていて、29日の夕方には驚く正確さでショットがなされる。ほんと、舌を巻くとはこのことね。

O氏の身体内は長年の放射線や化学治療による緩慢な変化で、ほんとうのO氏はどこに存在しているのか、実はO氏の実態というものは、この3次元に投影されている波動なんだし故に同じ状態で止まっているわけではない。S君の勝手な思い込みや、それだけじゃない、S君の記憶の歪みやら解釈やらが時々刻々のO氏を ”S君の創造しているO氏” に決めつけ縛り付けているだけのような気もする。

O氏の頭の中は依然として霧に覆われミステリアスなのだけれど、仲良くおしゃべりもできるし、スローなだけでS君よりははるかに上質な想念を持っているし、余程ポジティブ思考だ。”不毛、不治”といった概念の茶番に右往左往しているのはやはり、、、小さな小さなS君なんだろう。か?

〜〜〜続く

“たましい” の重量 : The “SOUL” Weight

最近、必要から探し物をすることが重なっている。引越しのたびに私は荷物を減らしてきているので、今は私のものといえば多くもない箱やら袋がほとんどで、あとは引き出しの中に放り込んでいる。そういう思いが強いので見つけるのは容易なはずなのになかなか見つからない。面白いもので、あれこれひっくり返しているうちにとんでもないものを(改めて)見つけたり、ちょっとしたメモに時が止まってしまう。アリゾナを離れた時の荷造りで、いくつかの箱は今だ整理しておらず 確かこの箱、ここに入れていたっけ、と開けて最初に目に留まったのが一冊の本。”マルコムXとは誰か? ” 丸子王児・まろこおうじ(本名はS.I.)

”たましいの重さはちょうど50グラムである。” 、、、このメッセージは 2008年11月に他界した友人 S.I からのもの。

2001年より前だったかな、日本食料品店に張り紙を貼るため、朝一で並ぼうと急いで出かけた。掲示板は限りがあるので何人もそれぞれのアド、張り紙を携えてやってくる。私の前にはすでに一番乗りが居た、それがS.I. だった。彼が持っていたのは或る政治的なドキュメントフィルム上映会のお知らせのプリントで、店が開くまで二人して自己紹介したり、それぞれの張り紙を見せ合ったりした。私のは、といえば知り合いのハウスサブレットの情報だったはず。

その後、彼や彼の仲間を中心の ”世界情勢と歴史、身近な問題を話し合おう” の主旨で スタートしたxx会に参加。それから随分と月日が経ち疎遠になってしまった。時にバッタリ遭遇もしたが、ビートルズの申し子でもある彼はギターを背負って颯爽と闊歩していたっけ。

最後の数年、彼は入退院を繰り返していたが元気ではあった。『どうも、寿司を食べると元気になるから買ってきて』とよく頼まれた。また、オリンたちのカントリーロックグループ・F.O.K/Fist of Kindness のギグに来てくれたり、彼ら二人で音楽論を戦わせていたり。

事情から彼には家族がいない。もう退院は無理と自らも悟ったのか、ある日、彼の友人達からの呼びかけで彼の部屋の整頓をすることになった。机上も本棚も台所も収納庫も何もかもが整然として、なんだか侘び寂びの世界のようでもあった。不在ゆえにベッドバグの処置なのか、大家さんが撒いた白い粉が堆積して、皆、ちょっと顔を見合わせる。別れた家族に残すもの、渡すもの、倉庫にいったん収めて置くもの、送る物、処分するもの、これだけきっちり整頓されているのに一向に片付かない。荷物が続々現れる。S.I. らしいなあ、決して手の内は見せないぞ、と言いつつどこまでも博愛的にひとつひとつの思想やら人生やらを垣間見せてくれているようだ。

やっと先が見えてきて、あとはトラックで運ぶだけになり失礼する。もう、捨てるしかないからなんでも持っていきなよ、と言われたものの、それじゃあ台所一式、とも言えない。マクロビオティク 信奉者で徹底していたゆえか、食器から鍋釜、箸も調味料もピカイチのオーガニック!食養ってなんなんだ!なんで具合悪くしちゃったんだ! 残念でならない。ヒョイっと体重計が目に入る、それをもらって帰った。

ほどなく、ある夕方、仕事帰りにお見舞いにゆこう、と地下鉄に向かっていると、真後ろで S.I. の声がする; いいよ、早苗さん、来なくていいよ。俺、直に死ぬからさ。

もらってきた体重計を有り難く使っているうち、ある時を境にどう調整しても次に必ず針が0でなくて50グラム表示が動いている。嫌になってゴミに出してしまった、その夜、久しぶりにS.I. が夢に現れた。すごく怒っている。『なんで捨てちゃったの、体重計! 俺、言ったでしょ、忘れちゃった?死んだ後にわかることを教える、ってさ。魂は50グラムあるんだよ。それを教えたかったんだよ』

その50グラムが重力でこの地球に留まっているのか、どの次元に魂はあるのか、単にエネルギーと捉えていいのか。彼自身が50グラムであって、すべての生命体はどうなんだろう? もしもS.I. が今も彼らしい人格を持っているなら、おそらくは答えをくれるんじゃないか、と期待している。

Recently, because of my needs I’ve been looking for things. Every time I move, I’m reducing my luggage, so most of my things now are not many boxes and bags, and the rest are thrown into the drawers. Though I don’t have many things, I can’t find what I need easily. It’s funny, while I’m going through things, I find something outrageous (again), and time stops at a little note. When I left Arizona, I was packing, and some of the boxes seemed to be unorganized, yet I guess I put them inside, and the first book that caught my eye when I opened a box was “Who is Malcolm X?” by Maroko Oji (real name is S.I.).

“The soul weighs just 50 grams.” ,,, This message is from a friend S.I who passed away in the year 2008, November.

Perhaps it was before 2001, I hurried to line up in the morning to put up a flier at a Japanese grocery store. Since the bulletin board has limited space, many people come early with their own ads and fliers. There was already the first person in front of me, that was S.I. He had a print of a political document film screening announcement, where we both introduced ourselves and looked at each other’s posters until the store opened. As for mine, it must have been the information about my acquaintance’s house sublet.

After that, I participated in the xx meetings, which been started by S.I. and his friends with the purpose of “discussing world problem issues”. Then we became estranged after a long time. Occasionally when I met him by chance, like a child of the Beatles, he was walking dashingly with a guitar on his back.

For the last few years he had been in and out of hospital, but he was fine. He often asked me to go Sushi store, “Sushi makes me feels healthy and good when I eat, so please buy them.” He also came to the gig of Orin’s country rock group F.o.K / Fist of Kindness, and they both talked about music theory.

For some reason he has no family. Finally he realized that he couldn’t leave the hospital anymore, one day his friends called me to clear up his room. S.I.’s desk, bookshelf, kitchen, storage, everything was in order, yet it was like a world of wabi-sabi/quiet & silent/loneliness. Probably it was a treatment for a bed bug while S.I. absence, the white powder sprinkled by the landlord accumulated, and everyone looked at each other for a moment. Things to leave for a separated family, things to give, things to put in a warehouse, things to send, things to dispose of, even though they are so neat and tidy, they are not tidied up at all. Luggage appears one after another. It seems to be S.I., he will never show his insight, but he seems to give a glimpse of each thought and life in a philanthropic manner.

At last we can see the end, and just carry them to warehouse by rental truck, so I was leaving. I was told that I should take anything that was left because they must throw things away, but then I can’t say that I want everything in the kitchen. S.I. was also a strong Macrobiotic follower, and definitely he was choosing the tableware, pot kettle, chopsticks and seasonings to be all organic! What is diet! Why did he get sick! I’m so sorry. A weight scale caught in my eyes, so I got it and went home.

Soon, one evening, when I was heading to the subway to visit him, I heard S.I.’s voice right behind me: Okay, Sanae-san, you don’t have to come. I’ll die soon.

The scale I received was good to use always, but no matter how I adjust it after a certain time, the needle is not always 0 and the 50g display is moving. That night, when I was disgusted and put it in the trash, S.I. appeared in my dream. He is very angry. “Why did you throw it away, the scale! Did I say that you forgot? I’ll tell you what you know after I die. The soul weighs 50 grams. I wanted to let you know that. “

Is that 50 grams staying on this earth due to gravity? In which dimension is the soul? Can it be regarded simply as energy? What about all living things, maybe only he himself weighs 50 grams? If S.I.’s soul/spirit still has his own personality, I’m hoping he’ll probably give an answer.