O氏の治療歴, そして今これから。その31

さてさて。12月1日は CTscanで、O氏のガンさんたちの様子を視る。前回からの6週間はいつの間にか飛んでいった。そして12月5日、スキャンによる検査の結果と、いつものように血液検査。

バンザーイ!!変わらずに、ガンさんたちは増えもせず、幾分小さくなったり消滅したりで安定しているとのこと。O氏もS君も、ガンさんたちがポーっと居座って、でも変な考えを起こさずのんびりくつろぎたいならいても良いよ、と受け入れてもいる。。肝臓部位の腫瘍はかなり縮んでいるらしい。これは有難い。血液検査ではまだ肝臓の ALP数値は高いけど他の肝臓数値は安定していて、これは肝臓そのものが回復しつつあるという嬉しいナンバーなんですね。なので、慌てず騒がずO氏の腹水が徐々に減ってゆけば良いね、って。肝機能が回復するに比例して、腹腔に流れて溜まっているリキッドも効率よく体外に排出されてゆくのだものね。

故に、前回と同様、主治医の決定でキモセラピーは回避、続く8週間はこれまでと同じくターゲットセラピー(ローブレナ)とむくみ防止薬(フロセマイド)だけを取る。抗血液凝固薬は主治医に尋ねなければならない、O氏自身の考えでは、必要ないんじゃないかなって思っているし。ただし未だ回復段階なので分子標的薬・ローブレナの減量は先送りになるかなあ。

キープゴーイング。O氏もS君も16時間ファスティング(晩御飯の後、16時間経ってから、プチ断食っていうのかな、次のご飯を食べる)を取り入れているので胃腸はかなり良いかしら。笑いと散歩とのんびり湯船と安眠。忘れちゃいけない、スクワット。あ、美味しいご飯作りもね。(美味しいかどうかはわからないけど、まあ良いか)コンスタントに痛くなる、S君の人造大腿骨入れ替えの傷も、楽しいことを取り入れだしたら『もう、頬つえはつかない』。以前いただいたハンプオイルで傷をマッサージ。やがて2年近いけど堂々と真っ赤な縫合ラインが左腰骨で自己主張してるわけなんですよ。

8週間後はすでにブルックリンのはずだよね!乗り遅れないようにって、長距離バスの時刻にドキドキする日々ももうあとちょっとですね。 全て応援して見守ってくださっている皆々様のおかげ+病院システムのおかげ+ 自然治癒力のおかげ+全て全てのお陰。こうした、”因” と”縁” は、実はS君は深く考えることもしてこなかったのだろう。あらゆる不思議をここまで追求しだしたのも、元を正せばO氏のガンさんがこの3年8ヶ月前にタネを蒔いてくれたのだし、それによって驚くほどの学びをさせていただいている。感謝感謝。

〜〜〜続く

やっぱり女子会は楽しい:Girls’ association is fun

1999年に G.J を介して仲良くなって以来、ヒョイっと会っては笑い合う。私たちそれぞれに、泣きたいことがあろうと忙しすぎて頭がストップしようと、全ては些細なことなのかもしれない、ま、いいか、という肯定的な力強い感覚がやってくる。フラつきかけた自分軸がピシッと戻る。Tちゃん & Yちゃんの音楽に、舞踊に、アートに、仕事に人生に 乾杯!

Since becoming friends through G.J in 1999, we’ve met occasionally and laughed. For each of us, whether wanting to cry or the minds stop because too busy, still, our laughing brings a positive and powerful sense that everything might be alright. After good laughing, faith in myself returns naturally, also strongly. Cheers to T-chan & Y-chan’s music, dance, art, work and life!

借りているガーデンの片付け, あれこれ:Cleaning up the rented garden bed, etc

急に冷えてきて、私たちの借りているガーデンベッドの最後の植物たちも、凍ったり立ち枯れてしまって先日お掃除に出かけた。ここ ニューバーグ・コミュニティガーデン (← クリック) はこの数年使わせていただき、メンバーの皆さんからたくさん学ぶことができた。感謝のみ。

植物を育てるその基本は、私たちの食や住環境を考えることなしに始まらないのじゃないかな。ガーデン開催中は子供達もたくさん訪れており、それそのものが生きた教育につながるのだろうと思う。来年はおそらくブルックリンでのガーデニングになるかな?広いロットも借りられると良いなあ。

あと数日で、オリンの久々の病院検査です。あっという間の6週間も過ぎ、淡々と過ごしてきた。それがしみじみありがたい。

It suddenly got cold and the last plants in our rented garden bed were frozen and withered, so the other day we went out to clean them up. We have been using The Newburgh Community Garden (←click) for the past few years and have learned a lot from the members. Lots of Thanks.

The basics of growing plants cannot begin without considering our food and living environment. Many children visit during the garden hours, and are getting a good education. Maybe next year we will be gardening in Brooklyn? It would be nice to be able to rent a large lot.

In a few days, Orin will have his first hospital checkup in a while. Six weeks passed in the blink of an eye, and we spent these days peacefully. I am deeply grateful for that.

父の事と般若心経:My father and the Heart Sutra

11月23日は私の父親の生誕日である。この父親が私にとって、どうにも曲者としか言いようもなく、受容し難い現実のほとんどは父親に由来するものだった。子供時代はこうした理不尽さを何とか解明しようと思ったものの、幼い子供には理路整然とした現実の把握は難しい。10代から座禅に通ったりもしてきた。

私には般若心経とジャズは切り離せない。世渡り下手な父は、自転車店という自営業に活路を見出し、店の空いている間はラジオからジャズが流れ、早朝は決まって神棚に水を備え手を合わせ般若心経を唱えていた。アナーキーであった故か戦争体験を語りはしなかった代わりに、火野葦平、を読まされたりしたなあ。(ちなみに火野氏は、医療活動に尽力した中村哲氏の伯父にあたる)

このところ、私なりの心の整頓が進んでおり『父とはなんだったのか?』を模索したところで、何かしら明るく許せそうかしら、ほぼ手放しているんだけどね、という気持ちが募る。

ともあれ、父親のことは書き切っておかねばならない。多分、すぐに。

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 仏説 摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時(かんじーざいぼーさー ぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー)照見五蘊皆空 度一切苦厄(しょうけんごーおんかいくう どいっさいくーやく) 舎利子 色不異空 空不異色(しゃーりーし しきふーいーくう くうふーいーしき) 色即是空 空即是色(しきそくぜーくう くうそくぜーしき) 受想行識 亦復如是(じゅそうぎょうしき やくぶーにょーぜー) 舎利子 是諸法空相(しゃーりーし ぜーしょーほうくうそう) 不生不滅 不垢不浄 不増不減(ふーしょうふーめつ ふーくーふーじょう ふーぞうーふーげん) 是故空中 無色 無受想行識(ぜーこーくうちゅう むーしき むーじゅーそうぎょうしき) 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法(むーげんにーびーぜっしんにー むーしきしょうこうみーそくほう) 無眼界乃至無意識界(むーげんかいないしーむーいーしきかい) 無無明 亦無無明尽(むーむーみょう やくむーむーみょうじん) 乃至無老死 亦無老死尽(ないしーむーろうしー やくむーろうしーじん) 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故むーくーしゅうめつどう むーちーやくむーとく いーむーしょとくこー) 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故ぼーだいさったー えーはんにゃはーらーみーたーこー) 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖(しんむーけいげ むーけいげーこー むーうーくーふー) 遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃(おんりーいっさいてんどうむーそう くーぎょうねーはん) 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提(さんぜーしょぶつ えーはんにゃはーらーみーたーこー とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい) 故知 般若波羅蜜多 (こーちー はんにゃはーらーみーたー) 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒(ぜーだいじんしゅー ぜーだいみょうしゅー ぜーむーじょうしゅー ぜーむーとうどうしゅー) 能除一切苦 真実不虚(のうじょいっさいくー しんじつふーこー) 故説般若波羅蜜多咒 即説咒曰(こーせつはんにゃはーらーみーたーしゅー そくせつしゅーわっ) 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶ぎゃーていぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわかー)

般若心経(はんにゃしんぎょう)

Avalokitesvara Bodhisattva when practicing deeply the Prajna Paramita perceives that all five skandhas are empty and is saved from all suffering and distress. Shariputra, form does not differ from emptiness, emptiness does not differ from form. That which is form is emptiness, that which is emptiness form. The same is true of feelings, perceptions, impulses, consciousness. Shariputra, all dharmas are marked with emptiness; they do not appear or disappear, are not tainted or pure, do not increase or decrease. Therefore, in emptiness no form, no feelings, perceptions, impulses, consciousness. No eyes, no ears, no nose, no tongue, no body, no mind; no color, no sound, no smell, no taste, no touch, no object of mind; no realm of eyes and so forth until no realm of mind consciousness. No ignorance and also no extinction of it, and so forth until no old age and death and also no extinction of them. No suffering, no origination, no stopping, no path, no cognition, also no attainment with nothing to attain. The Bodhisattva depends on Prajna Paramita and the mind is no hindrance; without any hindrance no fears exist. Far apart from every perverted view one dwells in Nirvana. In the three worlds all Buddhas depend on Prajna Paramita and attain Anuttara Samyak Sambodhi. Therefore know that Prajna Paramita is the great transcendent mantra, is the great bright mantra, is the utmost mantra, is the supreme mantra which is able to relieve all suffering and is true, not false. So proclaim the Prajna Paramita mantra, proclaim the mantra which says: gate gate paragate parasamgate bodhi svaha. Chanting the Heart Sutra by Thich Nhat Hanh <– click

影山留都 散詩集 ”コトノハヅル” から二篇。

六月の雨に

六月の雨に どんな傘を差そうか 静かな雨なら 一食の傘で 暗い空なら 水玉や花模様 天気雨の時は 真珠をのせた里芋の葉の傘もいい 大粒の雨には 番傘もよかった

一番強力なのは 核の傘さ 冗談めかして言う声がする

六月の雨に それを差すの? 非核の傘や 反核の傘 平和の傘だって あるじゃない 軽い口調で応えてみる

小さかったり 穴あきだったり 透明で見えない傘もあるけれど 蕗の葉の下からコロポックルがのぞいたり オウムの顔の柄が しゃべりかけてきたら 初めて自分の傘を持った子供のように スキップしたくなるかもしれない

嵐の時は傘をすぼめたほうが 歩きやすい 核の傘をたためば 六月の雨に たくさんの傘の あじさい模様 雲が切れるのを待てば 地球の差している 二重の虹の 傘が見える

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身支度

身支度 やっぱり 間違ったんじゃない? 水の作業に行くのに ミリタリー・ルックで気取るなんて

水色のストライプじゃ単純すぎる 水玉模様じゃ子供っぽいって

それならば 伝統的なファッションさまざま 波に千鳥の粋な染め いなせな漁師の渋い縮み 井桁模様の藍の絣か いっそ 流水落花の綾錦

水はこの星そのもの 蜃気楼にうつる山々と 砂漠の底を穿ち流れる川とに 祈りの無いまま 迷彩服で出かけてゆくと 流れは涸れ 水は淀んで あとはたちまち 瓦礫と泥沼

『やってみるしかない』ユダヤ遺産博物館でのボリス・ルリエ展 : “Nothing to do but to try” Boris Lurie Exhibition at Museum of Jewish Heritage

オリンが長く関わっているボリス・ルリエ財団 (← クリック)での展覧会が ユダヤ遺産博物館(← クリック)であった。初恋の女性も、実母も姉妹もホロコーストで失くし、使い勝手の良い男という理由で、ボリスと実父は終戦までの年月をキャンプで働かされた。自由を得てニューヨークに渡る。日々襲ってくる筆舌し難い辛酸をなめた過酷な体験、それらを覚えている限り 描ききってやる、表現してやる、との固い決意がボリスを終生のアート活動に向かわせた。

博物館は、”ホロコースト;憎しみができること” と ”ホロコーストから生還した人々の顔;写真展” の三つのセクションに分かれており、涙無しには全てを見きれなかった。すべて、この地球上のものは繋がっているのに、どうしてこんなに易々と殺戮できるのだろう。(核の脅威も生物兵器も勿論)

帰りに、スミソニアン国立アメリカインディアン博物館 (← クリック)にも立ち寄ることができた。もともとこの大陸に居た先住者達の歴史を見ることができる。ボリス・ルリエ展もこちらの展観も実に重く深く考えさせられる。

The exhibition from Boris Lurie Art Foundation (← click) where Orin has been involved for a long time, was held at The Museum of Jewish Heritage (← click). Boris lost his childhood lover, mother and sisters in the Holocaust, however he and his father were selected by nazis to work in camps until the end of the war because they had good skills for work. Boris, then got free and moved to New York. Since then, his life was extremely hard and bitter, these harsh experiences that attacked him every day were too difficult to put into words.『As long as I can remember them, I will draw them out, express them! 』This determination pushed Boris towards his lifelong artistic career and activities.

The museum currently has three exhibitions, including “Nothing to do but to try” Boris Lorie, “Survivors: Faces of Life after the Holocaust by Martin Schoeller” and “The HOLOCAUST; what hate can do”. I couldn’t see them all without tears. Everything on this earth is connected, so how can it be so easy to slaughter? (Nuclear threats and/or biological weapons, of course)

On the way back, Orin and I were able to stop by the Smithsonian National Museum of the American Indian (← click). You can see the history of the original inhabitants of this continent. Both the Boris Lurie exhibition and this exhibition are really heavy and make me think deeply.

”コトノハヅル/言の羽鶴”:”Kotonohazuru”

この秋に、東京のお友達(詩人)が出版した彼女の詩集のタイトルである。彼女はサプライズで私に送ってくださったのだけど、うっかり、私の4年前の住所(ニューヨーク市クイーンズ区)で郵送してしまったらしい。住所そのものは正しいので届く可能性は大きいけれど、もし、どなたかが受け取ったなら当然私はそこに住んでおらず、受取人不明で戻されたろう。

幾つか奇跡のように幸いすることがあって、当時の大家さんが、放り込まれていたこの詩集を見つけてくださった!ちょうど家の修理で誰もおらず、配達された方がそのまま置いてくれていたらしい。偶然とも言えるし、よくあることかもしれない。同時に友人は、届かなかったのは残念だ、と既に再びこちらに郵送した、との連絡!なので今月中には彼女の詩集が次々届くようになるのね。

このところ心労が重なっていたので、思わずのとっても嬉しい出来事でした。

This is the title of poetry book published by a friend (poet) in Tokyo on this fall. She sent it to me as a surprise, but apparently she accidentally sent it to my old address four years ago (Queens, Ridgewood). The address itself is correct, so there is a high chance that it will arrive, but if someone received it, of course I don’t live there and it would have been returned as the recipient unknown.

Fortunately, like a miracle, the landlord at the time found this collection of poems?? package?? that had been thrown away! It seems that no one was there because the house was being repaired, and the person who delivered it left it as it was. It could be a coincidence, or it could be a common occurrence. At the same time, my friend informed me that she was sorry that it did not arrive, and so she sent it to me again!

I’ve been feeling a lot of anxiety lately, so it was a very happy event.

彼女は素敵な素描も同封してくださった。She also enclosed nice drawings too.

左上から右に、二段目三段目の右下に向かう;サクラ、サンザシ、ノブドウ、フジバカマ、ホトトギス、ホタルブクロ、カワラナデシコ、ワレモコウ、ユキワリソウ.

From the top, going left to right: cherry blossoms, hawthorn, wild grapes, thoroughwort, toad-lily, spotted bellflower, fringed pink, burnet, and liverwort.

気を良くして次は乳酸発酵キャベツを : I’m feeling better so the next will be a sauerkraut,

発酵キャベツは実はトラウマものだったわけです。忘れもしない2021年の2月上旬、心を込めた手つくり発酵キャベツが大失敗!仕方なくコンポストに。翌日の日中に捨てれば良いものを、どうしても今日中に、って暗くなる前に庭に出た。雪をどけて臭うキャベツさんをコンポストに。そしてひっくり返ったのでした。**救急搬送と大腿骨頭置換手術。

やがて1年9ヶ月。玄米乳酸菌の大成功に気を良くして、再び発酵キャベツ作りに挑戦。ま、楽しい人生と美味しい食材でミトコンドリアを増やして行こうっと。

Fermented cabbage was actually traumatic to me. In early February 2021, which I will never forget, my heartfelt hand-made fermented cabbage failed! Reluctantly composted. I went out to the garden before it got dark, saying that I should throw away things during the daytime the next day. (very strange feeling “must do now! hurry!) Remove the snow and compost the smelly cabbage. And I flipped over. **Emergency transport and femoral head replacement surgery.

One year and nine months has left. Encouraged by the great success of brown rice lactic acid bacteria, I tried to make fermented cabbage again. Well, let’s increase mitochondria with a fun life and delicious ingredients.

刻みキャベツとその2%の重量の塩でよおく手揉み。黒胡椒をひとつまみまぜ入れてみた。重石(ウエイト)をして部屋の片隅に放置。今回はジップロックを使用。数日で発酵の泡が出始めたら食べ頃。こんな簡単なのにどうして前回は失敗したのかな?空気が入ってしまったか?