25 February, 2025 : 2025年2月25日

オリンちゃんが他界して、この日で丸々2年経ちました。やっと!ここまで来れたという感慨深い想いに身を置いています。中心核を飛び越えた奈落の底の底、、もう今となっては明るい諦め、そして妄想に追随しないって誓ってからの、あらゆるご加護、そしてサポートをひとまとめに受け取ったのでしょうか? ありがた過ぎます。

アタシの義理の妹達、ティナとグレタの、兄オリンへの深い愛を感じた。素敵なメッセージどうもありがとう。そして、B、J、Yちゃん, Mさんの優しさに泣けてくるよ。

It’s been exactly two years since Orin-chan passed away. At last! I find myself overwhelmed with emotion at having come this far. I jumped into the depths of the abyss… then, slowly I’ve given up any hope and then since I swore not to follow delusions, but only acceptance. Perhaps I’ve received all the blessings and support I could ever ask for? I’m so grateful.

I really felt the deep love that my sisters-in-law, Tina and Greta, have for their brother Orin. Thank you so much for your wonderful messages. And the kindness of B, J, Y-chan, and M-san brings me to tears.

ハーレムに引っ越しました、悲願だったの。ガーデニングやカリンバ、書き物や活動全てに100%を投じて行ける ”spring board” ですね。そして、数年先は飛んでってるよ。この流れに感謝。ひたすら全てへの感謝。

I moved to Harlem, which was my desire. It’s my “spring board” where I can give 100% to gardening, kalimba, writing, and all my activities. And I’ll have flown ahead in a few years. I’m grateful for this flow. I’m just grateful for everything.

オリンの初期の絵画と2周忌記念撮影。無題だけど、アタシは『第3の目』って呼んでいる。実は、この写真は引越し前に撮ったの。:An early painting of Orin and a photo taken on the second anniversary of his death. It’s untitled, but I call it “The Third Eye.” Actually, I took this photo before I moved.

ハーレムに落ち着いたオリンちゃん。今後ともよろしく〜。:Orin has settled into the harlem. I look forward to working with you in the future.

引越し狂騒曲、今はハーレム星人:Moving Rhapsody, Now I’m a Harlem Alien

大雪注意予報発令で引越し日がどんどん前倒しになって、2月19日(水)冷凍庫並みの寒さの中を無事に終了。心配をおかけした皆さん、情報をくださった皆さん、お手伝いを申し出てくださった皆さん、心からありがとうございました。あー、果報者ですな、アタシは。(しかも、ほぼ、オリンちゃんのものだけ引越し。あとは全て、3つの本箱、台所製品、家具や本、ベッドも何から何まで全てブルックリンに置いていったという経緯。)パッキング最終日は大笑い。『物はいらない』これ、アタシの実感よ。感謝とともに手放す快感に勝るものなし!

With heavy snowfall warnings being issued, the moving date was brought forward one after another, and we finally finished safely on Wednesday, February 19th, in freezer-like cold. I would like to express my sincere gratitude to everyone who was concerned, who gave me information, and who offered to help. Ah, I am truly blessed. (And what’s more, I only moved Orin-chan’s things. I left everything else, including three bookcases, kitchen appliances, furniture, books, and even my bed, in Brooklyn.) I laughed out loud on the last day of packing. “I don’t need anything” is how I felt. Nothing beats the pleasure of letting go with gratitude!

奇跡のチームワーク! ありがとうございました, Tちゃん+Mちゃん+Bさん!:Miraculous teamwork! Thank you very much, T-chan, M-chan, and B-san!

あらら、断捨離がさらに進む。(日本語です)

2025年、2月25日はアタシにとってオリンちゃんの丸々2周忌(3回忌)になる。最愛のパートナーとの死別、そしてその乗り越え方は一人一人似ているようで、確実に異なる。その時に痛切に思った事、それはアタシはアタシ自身の悲嘆プロセスを書かねばならない。もしかして、同じ悲痛を体験されるであろう人々に少しでも役立つことがあればって。並行して、後回しにしていたオリンちゃんの医療記録、これは病院からのあらゆるペーパーワークやらそれに付随するレシートやら薬の説明、血液検査結果などなど4箱ぎっしりのファイルにきっちり目を通して、処分してしまおう!でも、、どうしようか、あと少し保管しておくか、どうしたもんだろうって自問していたの。

ものはありがたい、でも、この使わせて頂いているアタシの身体があればそれでよし。アタシの世界の特別の部屋にはオリンちゃんが君臨しており、同様にこれまでの(おそらくは)あらゆる全てが公平に、時には不公平にアタシのフィルターにかけられて記録・記憶されているんだから、それ以上の何を望むの?ものは、三次元界で生きていく上での、ちょっとしたエクステンションに過ぎないのではないだろうか。手放してゆくのだね、人や生き物についても。。(でも、すべてはエネルギーでつながっているのだから、手放すというのじゃなくて、形象を変えて全ての現象は常に存在しているっていうかな、執着しない。)

『自然治癒力、自然治癒力』って壊れたプレイヤーみたいにアタシは念仏を唱え続けた。なんて無駄なことしていたんだろう。。無条件で支え愛してあげていたんだろうか。。でも二人で最後まで手を繋いでニューバーグの街やハドソン河畔を散歩した、コメディトークで大笑いしたよね。。オリンちゃん!貴方は頑張った!どんなに苦しかったと思うのに、平らな心で弱音を吐かなかった!この人は高い魂の領域にいたのだよ、そして、あまりにも三次元界のカラクリと重たいシステムと、人生の共時性と赦しと受容のあり方をアタシに見せて、”さて、あとはさなえ自身の学びだよ”って、一足(ふた足?)早く去っちゃったんです。ちょっとー、あんた調子良過ぎ!じゃない?  2025年1月25日、オリンちゃんの23回目の月命日に記す。

最近の創作詩:recent creative poem (topic/ I got my eye on you) 29 January, 2025

     あなた、またはキダチアロエ / クランツアロエ

ユキコからあなたをもらったのね、20年も前のことよ。あなたの先祖は日本にいて、ユキコが彼女のお母さんの庭からこちらに持って来たって聞いてます。 それからあなたはすくすく育ちましたね。Oとアタシがあげたあなたの赤ちゃんをどれだけのお友達にお裾分けしたことか? それから、アリゾナ州ビスビー → ニューヨーク州ニューバーグ → 再びニューヨークシティと、あなたはアタシたちと一緒に弱音もはかず、どこまでも移動し続けたね。

そして今、Oもユキコも亡くなってしまった。。

成長を止めたあなたは、ようやくゆっくりと回復しつつある、ここは日光がほとんど当たらない地下室にも関わらず。 それ以来、アタシはあなたを見守っているよ。がんばろうね、一緒に引っ越しだね!

        You, or kidachi aloe/krantz aloe
Twenty years ago, I got you from Yukiko. Your ancestors were in Japan, in Yukiko’s mom’s garden.After then you were so growing. How many friends had taken your babies that O and I gave? Then, Bisbee/AZ to Newburgh/ NY to NYC again, you never gave up to move with us.. Now, O, then Yukiko have both passed.

Finally you are slowly recovering, even though this is a basement with almost no sunlight shooting. Since then I have been keeping my eyes on you. Let’s do our moving! Let’s make our next stage!