プリンス、健在なり:Prince is alive and well

ブルックリンの南端、海に向かう方がよほど近い場所に住んでいるので、マンハッタンに仕事で出るには、ともあれ早起き必須。どうかすると地下鉄を何度も乗り換え。しかも大抵は何かしらの故障や路線改修工事に巻き込まれる率が高く、行くも帰るも2時間ずつは見ている。で、早朝の日曜日、仕事先に向かうイースト・ハウストン通りで、懐かしのプリンスに遭遇! 我が最愛のオリンが、『ほら、早苗くん!見てごらん、プリンスがいるよ。僕もそうだよ、いつも居るんだよ』と言葉をかけてくれた気がする。あたしの心にすこーし余裕を持たせてくれたのかなあ。

I live in the south of Brooklyn, closer to the ocean, so I have to get up early to get to Manhattan for work. On the way, I always have to changed subways many times. What’s more, the rate of being involved in some kind of breakdown or route repair work is as always occuring , so I should put a mind how much hours need to take? Yes, a couple of hours in normal. Well, early in the Sunday morning, on East Houston Street, I ran into Prince!

My beloved Orin said telepathically, “Look, Sanae-kun! Look, there’s Prince. I’m the same, I’ll always be there next you.” I wonder if his spirit gave me a little peace of mind/leeway.

さて、オリンの月命日でもある二十五日、外出先でまたプリンスに出会った!こちらは見るからに楽しい手描きのプリンス。聞けば、この女性の友人(画家)が描いたとか。写真を撮らせてもらいました。

Well, on the 25th, which is also Orin’s death anniversary of the month, I met Prince again on the road! This is a fun hand-painted prince as you can see. I heard that this woman’s artist friend drew it. I was allowed to take a picture. Very nice feeling!

”多文化都市ニューヨークを生きる”    共著:神舘美会子 & リョウ和田(和田良三)

『第一章 プエルトリコの空はいつも青い  第二章 貧困と麻薬   第三章 ジャクソンハイツの長屋  第四章 異文化の中で奮闘する  第五章 二〇二〇年三月』

この本は、美会子さんがテキスタイルデザイナーとして働いていた、テキスタイル会社の同僚だったリョウ和田さんが1970年から今日まで、ニューヨークのヒスパニックコミュニティーで国際結婚を通して、多民族国家アメリカを肌身で知った体験を、同じく国際結婚をしている美会子さんが、和田さんの体験エピソードの原文を元に、インタビューを重ね、主人公(リョウ和田さん)がアメリカについて学んでいくというスタイルにして、美会子さんのアメリカ理解を加えて彼女が執筆したものです。
1969年、当時20代だった主人公はヨーロッパへ。そして1年後にはニューヨークへやってきます。滞在を数ヶ月過ぎた頃、数日の旅行で行ったプエルトリコでプエルトリカンの女性と出会い、いわゆる出来ちゃった結婚をすることに。そして彼女とニューヨーク、ヒスパニック・コミュニティーで3人の子供を持つ家庭を築き、アメリカ主流の白人文化とも日本とも違う異文化の葛藤の中で暮らすことになったというメインストーリーに加えて、今日のアメリカ社会の問題などが語られます。

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私はある時期、スパニッシュ・ハーレムで仕事をしていた。この地域はどっさりのプエルトリカンが住んでいる。プエルト・リコの人々はまず明るい。そして騒々しい。ことに プエルトリカン・ディ <—(クリック)に出くわしてしまったら最大限の笑顔でいよう。「あたしゃアジア人だけど、アンタ達のカルチャー大好きよ。」馴染みがあろうとなかろうと、最大限の共感を見せてあげよう。あたかも家族のように。本能的に彼ら・彼女らは相手の表情を読み取る。と言って動物本能ではなくて、『あんた、あたしを好き?嫌い?』といった、とても人間的な意味で。

美会子さんから『出版記念に、』と彼女の本を受取った時、多分これまで理解していたはずのプエルト・リコ、というカテゴリーが覆されるんじゃないか、と思った。以前、推敲前に読ませていただく機会はあったものの、この読み応えある一冊の書物を前に、私の知っているプエルト・リコがくすんでしまうんじゃないかしら、と、思いもした。

ーー 例えば深夜、家路を急ぐ地下鉄終着駅の人通りも疎らな繁華街のショーウインドウ越しに、思わず二度見してしまう蠱惑的で美味しそうで極彩色の、でもきっと甘すぎるかケミカル味か、妙に記憶してしまうラティーノのケーキ屋さん。そうだよ、このケーキ屋さんは買ったことがないだけで私にはお馴染みなんだ。通るたびにチラ見する。でも、夜も更けてくると何だか様子が違う、知っていたはずの記憶がケーキの表面にゴテゴテ塗りまくられた青や赤、黄色や白に塗り替えられ、初めて対面したかのように幾分か緊張してしまう。まさにこんな感じ。

ページは進む。決してストップしない。明日まで待つのが嫌だから、一足飛びに次の章をめくる。おやおや、、やっぱり最初から順番に読み進めるのね、そうじゃ無いと、さらに美味しいケーキ攻めになる。ケーキという形象の人生の生き様。

そうか。プエルト・リコという甘さでトッピングされてはいるけれど、絶妙な ”夫婦愛” そして ”家族愛” そして ”人類愛” そして全編を貫いている受容と赦し。文化や歴史の背景、その異なり・隔たりを加味しても、二人して時々刻々をともかくも歩んできた軌跡。、、、私はここまで、他界した我が夫を、夫との暮らしを受容していただろうか。記憶は動く。後悔なしに、きっといつか答えはやってくるだろう。

神舘美会子/Mieko Mitachi ウエッブサイト <–(クリック)

美会子さんの手は、文筆・アート・料理、と止まることを知らない。Kさん宅にて。

ひたすら有難うございます、皆さん!の日々。4月14日はオリンの49日でした:The days of Thank you very much for Everyone! 14 April was the 49th days of Orin.

私もオリンも果報者に五重丸です。ありがたいです。有り難すぎるので、どうにかなっちゃいそう。何故こうも、皆優しくて親身になって下さって助けてくださるのだろう。ありがとう御座います。本当にどうもありがとうございます。

Both Orin and I are “(Lucky Fellow) x 5 “. Thank you. I’m too grateful, so it feels like I should be able to tranceformation to something else. I wonder why everyone is so kind and helpful to me. Love, Love , and Love. Thank you. Thank you so very much.

Strawberry Fields FOREVER

彼のゆかりの地、セントラルパークとメトロポリタン美術館付近とストロベリーフィールドに少し遺灰を撒いてきました。次は海に行こうっと。

I (and Mica) have scattered some of his ashes in his heartland, Central Park, near the Metropolitan Museum of Art, and Strawberry Fields. Let me go to the sea and scattered a bit more of his ashes next time.

ただ、感服:just admiration

オリンの重くて複雑なコンピューター一式を設置していたスチールの棚の行き先は、本当にラッキーなことに E.BさんとM.M氏のカップルが引き取ってくださった。Eさん、彼女の天性の資質は植物(に限らずだけど)を育てることなのだと思う。わたしの母や、オリンの母、ニューバーグの大家さんもそうだったし、オリンだってそうだったのね。良い状況に向かって本当に嬉しい。

Luckily! the steel shelves that Orin had been using with heavy and complex computer system in many years, went to our good friend E & M’ house. Ms.E, I think her natural talent is to grow plants (and not only for the plants ). So did my mother, Orin’s mother, our previous landlady of Newburgh, and so was Orin. I’m really happy that things are going wonderful direction.

photo by Liz

皆さんに助けて頂き、オリンの機材・画材・楽器はそれぞれに向かった。オリンも安心しただろうな : With everyone’s help, Orin’s equipments, painting materials, and musical instruments went to their respective places. Orin would be relieved.

何となくなのだけど、あたしが後に残ってこれで良かったんじゃないかと思える。理想は同時に一緒に逝きたかったなあ。まだニューバーグにいた頃、ショッピングに出るより他、オリンは運転すらきつくなっていた。その度に吐いていた。。あゝ、あたしの好きなホンタン(ホンダのタンカラーゆえこのように呼んでいた)に乗って、オリンと3人で消滅っていうか、違う次元に向かいたいなあなどとぼんやり思ったりもしたっけ。

オリンが残ったら、その日からお手上げですよね。もう、コンピューターを組み立てようが、何を食べようが、婆やは居ない。。泣くより辛い孤独。。。何か、オリンの一人取り残された様子を見てしまったかのような錯覚。これでよかったんだ。丸投げされた怒りもあるけど、私は全責任を負う。片っ端から物を処分してゆく(欲しい人にはどんどん譲った、使ってもらえるのが物にとっても一番嬉しい)。

これでオリンの分身が減ってゆき、同時に彼の本当の姿が垣間見て取れる。怖いけど、、、この人には元から実体はなかったのかしらね?この人の細胞の隅々まで、電磁気のようなものの周波数が食い込んでいたんではないかしら? 物、もの、そして物たち、、、と言って肌身離さず抱え込んではいたものの執着とは違う、『物・物質に己を記憶させる』彼はきっと物質界とその波動の中間地点、に位置した霊媒体質じゃなかったか? 多才過ぎたよね、音楽、アート、写真、ビデオ、付随してあらゆる機器を縦横無尽に操作する。。彼のウエッブサイトの中で私の好きなページ  <ーーークリック

ホンタンはすでに安全な場所に移し、買い手を待っている。。オリンは今は異なる次元のトラベラー。あたしは、ニューヨークで泣いている。でも一歩外に出て、メインのフラットブッシュ通りを歩くと違う涙に溢れる。あたしの故郷に戻ってきた。アフリカンアメリカンの古いメッカ、笑っちゃうような舞台衣装を自慢げに並べているショーウインドウ。古い商店街が軒を連ね、いささかキザでレトロなミュージックホールだか、かつては映画館(?)かなあ。遠い昔の喧騒がふっとイメージされる。

ハーレムでも無い、ベドフォード・スタイヴサントのように開発の進みすぎる一帯でもない、忘れられてもいない、ただ見えない郷愁に守られているかのように、邪魔者を優しく拒んでいる。古めかしくもお伽の国とは違う、でもそうとしか形容できない古い景勝の建造物。きっと、この通りをビデオに収めなきゃあ。夏は、一人っきりだけど海にもゆこう。

拍車をかけて片付いてゆく部屋。まるまる空く一部屋はお客さん用と瞑想部屋を兼ねるかな。でもいつまでいるかわからない、もっと身軽にして荷物を処分して、静かに自然の中にゆこうかしら。今、結論は出さない、まず自分を取り戻すのが先決。

2月末から3月半ばの整頓されてない状態です : These pictures are in an unorganized state from the end of February to the middle of March.