引っ越した日のことは書いておきたい。

〜〜, 2023年、2月18日。ニューバーグにはちょうど3年と3ヶ月住んだ。お手伝いくださったFさん、ムーバーのお二方、ニューバーグの大家のAさんと弟のJ さん、不動産業を営むAさんの妹夫妻のEさんとMさん。ブルックリンでの積み下ろしは同じく二人のムーバーさん、手伝ってくれたRさんとその友人のCさん、大家のYさん。我が家の中古車には、オリンのギターとベース、電子ピアノ、プラント、重要書類のバッグ、これらをぎっしり詰め込んで一路、ニューヨークに戻って参りました。ゴムの木トミーや大きくなったアボカド、それこれはニューバーグに置いてきた。半地下に移るので、日の当たる場所に留まってもらう方が彼らには幸いするものね。

オリンは衰弱している身体の置きどころもなく、ムーバーさんたちが運び出す様子を備え付けのキッチンテーブルと、置いてゆく椅子にもたれ黙って見守っている。失礼だけど、ムーバーさんの要領が悪い、、しびれを切らして私も動く。どうも、このムーバーさんの親方が、アシスタントで選んだ人を間違えたものか、結局は親方一人でやり終えたようなもの、、、話が違う、こんなに荷物があるなんて!しかも重いものばっかりじゃ無いか、俺の連れてきた助っ人は仕事できないし、などなど文句の言われっぱなし。

親方の言い値プラス色をつけてお支払い完了。私もオリンも今回はお手上げだったので本当に助かりました。夕暮れ迫る頃、どうやらそれぞれにスタート。力もなく痩せ衰え、朦朧としているオリンは3時間かけ車を走らせる。。どうしても自分でやりたいって聞かない。

すっかり暗くなったハイウエイを挟んで、スカイスクレーパーの夜景がビカビカ光線になって目に刺さってきた。少しも嬉しく無い。全く嬉しくない。なんなのだろう、なんで私たちはこのような辛い時期に引っ越ししてるんだろう、数年前まではトラックで大陸横断を寝ずにやったね。

死ぬときは、アリゾナの灼熱の太陽の真下にボディを転がしてね、あ、ちょっとだけ土は掘ってよ、そしてその中に放してちょうだい。わずか4年半前のことなのに、息を飲む光景そしてひれ伏すより他ない神々しい大自然。オリンと私の真実の大地。それを共有した共通の体験、おそらく、、、来世で巡り合った時、二人が同時に大峡谷の話を始めるんじゃないかってちょっと心がときめく。

〜〜、引っ越したものの、数日経ってもオリンは動けない、ひたすら目を瞑って横たわっている。食欲はゼロ、、卵を散らした味噌汁は美味しいって食べてくれたけど、少量のヨーグルトも残してしまう。マッシュポテト作って、とのリクエストで作ったものの一口がやっと。それでも、病院に戻って点滴で栄養注射を、という応急処置やホスピスにゆこうというのは考えられないらしい。

ふと視線を感じベッドを置いた部屋を見ると、オリンが上半身を起こし私を凝視している。敢えて知らんぷりしてもう一度振り返ると、やはり同じように凝視している。『なあに、おっさん?(おっさん、とか爺や、とかその時の気分で使い分ける。)』オリンは少し微笑んで静かに横たわった。

台所のものが山ほどある。これらだけは少し整頓して、と思ったが、先の見えない新居は虚しい。ほぼ、箱に入れたまま。機材類もコンピューターもこれまではオリンはいち早く取り出してはオーガナイズしていたっけ。コンピューターの完璧な組み立てにほぼ1週間かかる”オタク””超スペシャリスト”。

故に、この彼の静謐な荘厳なマシーンとも思えるコンピューターを復元しようったって最初から無理。ほぼ全てを網羅した貴重な写真やビデオ、書き物も仕事上の請求書も彼自身の音楽ファイルもアートファイルも、迷宮入りのまま私がそれらの詰まった新旧のコンピューターデスクを保管せざるを得ない。持ってきた機材のほとんどは、こちらの友人や知り合いに託すようになるだろう。アリゾナの倉庫に入れたままの大変な量の本やガーデン関係やアート関係の行方も気になっている。オリンの長年の仕事先の人々にも連絡すべきだろう。

のちに、オリンは早苗をニューヨークにきっちり引っ越させたかったんだよ。それがオリンの最後の愛情だったんだよ、と皆に言われた。事実、A.H 氏がこのようにおっしゃった。『最後に僕がオリンと喋った時、彼はすでに自分の命が長くない、と知っていた。でも逝く前にどうしても早苗をブルックリンに引越しさせたい。皆の居るニューヨークに落ち着かせたい。これは僕の最優先事項だ、と。彼は目標を達成した。そしてそれがオリンの本質だった。』