よくある話だけど、オリンにまつわる4つの予知夢、今は私の大好きなエレガントな蜘蛛になってキッチンに居る : As is often the case, four prophetic dreams involving Orin. He is now seems to have turned into a spider and appeared before my eyes in the kitchen.

1、ずいぶん高めのプラットホームのような場所にオリンと居る。何かおしゃべりしてたかな?ひょいと振り返ると彼がいない。大慌てで周りを探し、思わず目を下にやると、なんと!この高みから(恐らくは)転げ落ちたのか、はるか下方、背を丸め動かないオリンを発見した!(驚くのだが、この夢はとても鮮明ではあるけれど、彼が肺がんステージ4の宣告を受けるより何年も前のことであり、目覚めてから一瞬不吉な思いをしたのは事実)

2、二人で真っ暗な道?を歩いている、どこからともなく霧が四方八方から発生し、二人ともどうして良いかわからない、すると、光を放つ古めかしいランタンのようものを掲げた老人が霧の中から現れて、私たちに道しるべをしてくれた。(ユングの説く、老賢者そのもの)とても安心したのを覚えている。(治療中ではあったが、まだ彼が元気だった頃の夢)

3、どっさりの人々が皆、バス?に乗って居る。多分、何かに向かう途中。程なく乗り物は止まり(サービスエリアっぽい)それぞれが外に出たり伸びをしたり。さて再びバス?が出発するのだが、どうしたことかオリンは私たちのバスに乗ろうとしない、私が早く早くと大声をかけても、聞こえているのかいないのか、自分は残る、皆と一緒にゆかないというような?或いは、彼自身どうして良いのかわからない、が、乗る気持ちは無い、といった意思表示をしている。私は、バスから飛び降りて彼を引っ張りたいのだが、どうにもバス・乗り物から降りられず非常に困惑して目が覚めた。(夢の中の彼は、本当に淡々としており、同時に、何で僕はここにいるの?どうしようかなあ〜、といった表情を見せてもいたかな。もちろん、落ち付いていたし周囲をキョロキョロ見てもいた。一言で言えば、彼自身がどの方向にゆくべきか思案していたかのような??)

4、ヒョイっと見ると、前方に、ニコニコ微笑んでいるオリンがいた。いつものお気に入り?の赤いトレーナーを着て明るい表情だった。本当に彼らしく爽やかで、いかにも本物のオリン!と思い、夢の中でもとっても嬉しかった。(これが彼の生前に現れた最後の夢)

ところで、色々な人から”蝶々” の話を聞く。殊に亡くなった方が蝶になって飛び交った、どこからともなく蝶々が舞ってきた、などなど。わたしも”蝶”に関しての実に素晴らしい夢を幼少期に見ており、それは次回記そうと思う。わたしで言えば、彼が旅立って以来、蜘蛛とカラス、樹木や草花、それにあらゆる鳥たちがいつもわたしの周囲にありとても和む。

〜〜、先日、外出から戻って何とは無しにキッチンのコーナーに目が移った。食器を洗うブラシ立ての後ろに、なんと!どう考えても以前、オリンが他界して間も無く見たのと同じ素晴らしくエレガントな蜘蛛(多分、どこにでもいる何ら変哲のないハウス・スパイダーなんだけど)が、ちゃっかりくつろいでいる(微笑)。オリンだ、オリンだ!ありがとね。(その後、この子は私の部屋に向かうちょっとしたコーナーの天井に移動しており、スルスルっと私の足元に降りてきた!!!そっとしてあげたかったのでまだゴタゴタしている玄関際の部屋に連れて行きました。)

わたしはなぜか生まれて以来、蛇と蜘蛛とカラスがとても身近で大好きでならない。ただ一言、可愛いのだ。もちろん、あらゆる生き物を尊敬し大好きなのではあるけど、わたし自身の優先順位に拠れば、どうしたって彼らが先になる。人、或いはミソロジーではシンボリックな意味で彼らを善悪で語るし、加えてロジカルな意味では、巣を張る蜘蛛は女の子なんですが、まあ、それはそれ。

All Earth Travelers or/and NYC Trippers. March 19th is Orin’s birthday, equinoctial week, and his Memorial. He was 66 years old. : 皆、地球の旅人 または ニューヨークの旅行者、3月19日はオリンの誕生日、お彼岸生まれ、そして彼のメモリアルでした。享年66。

” Dear everyone, thank you very much for coming to my husband Orin Buck Memorial today. Both Orin and I have been blessed with many warm friendships, and I am especially grateful to everyone who has encouraged and helped me since Orin passed away.

From 2007 to February 2023, life with Orin is as if riding a roller coaster that never stops. It can be said that it is full of ups and downs, we had fought many times. But each time we deepen our understanding, let’s be a team for the rest of our lives, we’ll be together until we die, we made tight commit. Orin always said “You know just you and me, right?”.

Now, after getting off the roller coaster because it suddenly stopped, I can take a bird’s-eye view of how we have traveled these years. Orin tolerated me endlessly. He accepted me unconditionally. We loved each one’ spirit Yes, each moment by moment.

Also I think Orin has served people amazingly in his lifetime. When people are in trouble, he wants to help them. His last words were, ” I wanted to work for people more! “

It was also our desire to return to New York City where music and art mates were waiting for us. Now, Orin, who had left his body and became the pure energy itself, must be happy and playing around freely. When I think about the stress he has been battling with his disease for the last four years, I’m filled with the feeling that I want him to be happy and free forever. (I know he is in the eternal dimension, far from the out of time, space and direction)

Since Orin passed away, something strange happens every day. His personality was also some playful parts, so I’m sure everyone will feel something.

My remarkable memories for example, Orin’s bass when I first met him, headphones that he always used be, his favorite jacket that came from his mother, a drawing of a crow that he knew I love, a sweatshirt that he designed in Michigan period, and a big pants because of his ascites. He immediately picked up suspenders that he always used habitually. I wanted to share these things with you.

Today is also Orin’s birthday. And just start “Higan”. In Japan, we call “Higan” is a Buddhist word and means the world of enlightenment. It is believed that the spirit of dead people can cross the river from the other world to this world. So I’m deeply moved.

Thank you very much. Sincerely yours, 19 March, 2023 Sanae M. Buck “

Orin Buck memorial by Toni Sahara <—– click

遺灰を受け取った時、”ニューヨークに死す”というフレーズが浮かんだ。巡りめぐって、オリンはあたしとともに戻ってきた:When I received the ashes, the phrase “die in New York” came to my mind. Going round and round, Orin came back here with me

家族以上に親身になってくださるC.Cさんの車で、3月11日、スタッテン島にオリンの遺灰を受け取りに出かけた。前夜は随分と雨が降っていたが、翌朝は曇って冷んやりしているものの雪注意予報も何処へやらありがたき出発。         

出がけのドライブウエイで、お隣の屋根の上に大きなカラスが止まっており、私に向かってカーカーずーっとしゃべっている。ので、あたしもお返事する。はっと気付いた!あたしは、殊にカラスと蜘蛛と蛇がどうしたことか生まれて以来大好き。おととい、寝ぼけてトイレにゆこうと壁に何気なく目をやると、なんとも可愛らしい(多分、冬眠中を起こされたような)ちょいと大きなクモが壁を伝い歩きしていたのね。これって、多分だけれど、オリンがいち早くあたしとコミュニケーション取りたくて、このように見せているんではないかしら?

そうだ、先日、クイーンズに用事があって早く地下鉄に乗ったのに、電気系統の不都合か何かしら発生。で皆一斉に下され、一旦来た方向、つまりはマンハッタンに戻って何何番線に乗り換えてください、とのアナウンス。それを私は何度か行ったり来たりミス往復してしまい(お目当の駅に向かって行くも、地下鉄や私鉄そのものがスケジュールを変えていたり)高架線に変わったクイーンズはロングアイランドシティの町並みを何度も見る羽目に。ちょっと待てよ?

私がオリンと知り合った頃、彼はまさにこのロングアイランドシティにオフィスがあり、眼下の光景は様変わりしているものの懐かしくもあった。いや、やっぱり変だ。どうも、、、オリンが私にウオークインして、私の眼球を使ってこの光景を見てるんではないかしら、という不思議な気持ちになった。

オリンが、直感を与えてくれるミューズに早変わりしちゃったのか?皆に持ってってもらおう、さもなくば捨ててしまおうと決めていたゴチャゴチャの箱の中に、彼の愛用カメラが隠れていたり、わけわからなくなっていたとても重たい三脚類に混ざって、ラップスティール(楽器)をヒョイと見つけたり、ギブアップしていたラジオをひょんな思いつきでリカバー。(つまり、いかに接続させるか、のような)ちゃっかり冷蔵庫の上に置いて見た途端、そうだ!生前のオリンに、『私、台所にラジオを置きたい。なんかノスタルジックで良くない?古いメロディやボーカル、ビッグバンドジャズ聴きながら美味しいもの作りたいんだ』などといったよね。ほら!あたし一人で設営できたじゃない?

号泣と慟哭が発作的にやってくる。私の魂はもうオリンの帰還、3次元じゃないところ、重力の関与せぬ次元、と同時にホログラフィカルな階層に行ってしまったのをわかっているのに、私の頭の中の記憶と日常回路が激しく反応しているんだね。居る・居ない、という相反する現象そのものが私たち3次元界の決まりなのね。物質を伴った生き物がいた・居なくなった、というカラクリに翻弄されるのね。

でも、一緒に居たから学べたし、居なくなったから、それに気付けたのよね。

目前に迫るメモリアルの準備、写真を選ぶことすら明日に伸ばしてしまう。たくさんのありがたきお友達が前日それに当日のお手伝いをしてくださる。あたしは、とてもじゃないがポーカーフェイスを貫けないのはわかっている、から後ろに引っ込んで飲み物担当の婆やをやろうっと。これならメソメソしてもさほど迷惑ではなかろう?

遺灰を1/5 ほどの小分けにして、こちらをメモリアルに持ってゆく。父親譲りの古いドイツ製の大ジョッキに入れてゆく。だってそれが爺やの希望なんだよ。オリンは過度に規則に忠実な部分と、引き継がれる伝統や形式を避ける部分、この二つをきっちり線引きしていた。ので、メモリアルは楽しく自由に来ていただき、笑いと音楽で締めくくりましょうっと。ところで、毎日オリンに『そちら側の様子をおしらせくださいよ』とテレパシーを送っているのだけど具体的な返答を得ていない。『あたしの母にも会ってね、誰それもね、プリンスもだよ。そうだ!あんたのお母さんに会えた?』きっと、苦笑しているのやら身体が無いので電磁波的反応で返しているのやら?毎朝毎晩、般若心経を唱えております。

引っ越した日のことは書いておきたい。

〜〜, 2023年、2月18日。ニューバーグにはちょうど3年と3ヶ月住んだ。お手伝いくださったFさん、ムーバーのお二方、ニューバーグの大家のAさんと弟のJ さん、不動産業を営むAさんの妹夫妻のEさんとMさん。ブルックリンでの積み下ろしは同じく二人のムーバーさん、手伝ってくれたRさんとその友人のCさん、大家のYさん。我が家の中古車には、オリンのギターとベース、電子ピアノ、プラント、重要書類のバッグ、これらをぎっしり詰め込んで一路、ニューヨークに戻って参りました。ゴムの木トミーや大きくなったアボカド、それこれはニューバーグに置いてきた。半地下に移るので、日の当たる場所に留まってもらう方が彼らには幸いするものね。

オリンは衰弱している身体の置きどころもなく、ムーバーさんたちが運び出す様子を備え付けのキッチンテーブルと、置いてゆく椅子にもたれ黙って見守っている。失礼だけど、ムーバーさんの要領が悪い、、しびれを切らして私も動く。どうも、このムーバーさんの親方が、アシスタントで選んだ人を間違えたものか、結局は親方一人でやり終えたようなもの、、、話が違う、こんなに荷物があるなんて!しかも重いものばっかりじゃ無いか、俺の連れてきた助っ人は仕事できないし、などなど文句の言われっぱなし。

親方の言い値プラス色をつけてお支払い完了。私もオリンも今回はお手上げだったので本当に助かりました。夕暮れ迫る頃、どうやらそれぞれにスタート。力もなく痩せ衰え、朦朧としているオリンは3時間かけ車を走らせる。。どうしても自分でやりたいって聞かない。

すっかり暗くなったハイウエイを挟んで、スカイスクレーパーの夜景がビカビカ光線になって目に刺さってきた。少しも嬉しく無い。全く嬉しくない。なんなのだろう、なんで私たちはこのような辛い時期に引っ越ししてるんだろう、数年前まではトラックで大陸横断を寝ずにやったね。

死ぬときは、アリゾナの灼熱の太陽の真下にボディを転がしてね、あ、ちょっとだけ土は掘ってよ、そしてその中に放してちょうだい。わずか4年半前のことなのに、息を飲む光景そしてひれ伏すより他ない神々しい大自然。オリンと私の真実の大地。それを共有した共通の体験、おそらく、、、来世で巡り合った時、二人が同時に大峡谷の話を始めるんじゃないかってちょっと心がときめく。

〜〜、引っ越したものの、数日経ってもオリンは動けない、ひたすら目を瞑って横たわっている。食欲はゼロ、、卵を散らした味噌汁は美味しいって食べてくれたけど、少量のヨーグルトも残してしまう。マッシュポテト作って、とのリクエストで作ったものの一口がやっと。それでも、病院に戻って点滴で栄養注射を、という応急処置やホスピスにゆこうというのは考えられないらしい。

ふと視線を感じベッドを置いた部屋を見ると、オリンが上半身を起こし私を凝視している。敢えて知らんぷりしてもう一度振り返ると、やはり同じように凝視している。『なあに、おっさん?(おっさん、とか爺や、とかその時の気分で使い分ける。)』オリンは少し微笑んで静かに横たわった。

台所のものが山ほどある。これらだけは少し整頓して、と思ったが、先の見えない新居は虚しい。ほぼ、箱に入れたまま。機材類もコンピューターもこれまではオリンはいち早く取り出してはオーガナイズしていたっけ。コンピューターの完璧な組み立てにほぼ1週間かかる”オタク””超スペシャリスト”。

故に、この彼の静謐な荘厳なマシーンとも思えるコンピューターを復元しようったって最初から無理。ほぼ全てを網羅した貴重な写真やビデオ、書き物も仕事上の請求書も彼自身の音楽ファイルもアートファイルも、迷宮入りのまま私がそれらの詰まった新旧のコンピューターデスクを保管せざるを得ない。持ってきた機材のほとんどは、こちらの友人や知り合いに託すようになるだろう。アリゾナの倉庫に入れたままの大変な量の本やガーデン関係やアート関係の行方も気になっている。オリンの長年の仕事先の人々にも連絡すべきだろう。

のちに、オリンは早苗をニューヨークにきっちり引っ越させたかったんだよ。それがオリンの最後の愛情だったんだよ、と皆に言われた。事実、A.H 氏がこのようにおっしゃった。『最後に僕がオリンと喋った時、彼はすでに自分の命が長くない、と知っていた。でも逝く前にどうしても早苗をブルックリンに引越しさせたい。皆の居るニューヨークに落ち着かせたい。これは僕の最優先事項だ、と。彼は目標を達成した。そしてそれがオリンの本質だった。』

11th March, 2023.「13th, Anti-Nuke Power Art @ OneTwentyEight : 2023年3月11日、第13回、反原発展を128画廊で開催しました。

On March 11, 2011 our beautiful native country Japan experienced an unprecedented large earthquake, tsunami and nuclear accident. Even now, after twelve years from the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant accident, approximate 34,000 people have not returned yet to their home town. After the nuclear disaster in Fukushima, many people in Japan felt it is our responsibility to make the world aware of the dangers of nuclear power and to lead the world in anti-nuclear power awareness so as not to waste the inconceivable losses we suffered.
 Even after twelve years have passed, it’s still obvious that the situation has not changed at all we can see the government and country are depending on nuclear power. They say that it’s safe for people, but the government, politicians, and related companies are lying. The disaster should have brought us all to an awareness of the safety of nuclear power, but the reality is things are becoming worse and the situation is being hidden from the public. Those with vested interests in nuclear powers plants and the power structure surrounding them point to energy security and the country’s economy. What is evident in the Fukushima disaster is the hoax perpetrated by nuclear related industry, academia and the government in deceiving the people about its safety. The news media has concealed the radioactive damage and the massive release of radioactivity that is becoming increasingly serious. Then the news of them may be erased by the power of politics.
 Many nuclear power plant experts already have issued statements that our primary nuclear power policy was the wrong, since we had enough electricity even without nuclear power, nuclear power is not safe, the cost is highest as compared with other power generation options, and there is extensive damage that eliminates population centers and agricultural land use if an accident happens only once. Many people agreed, but to oppose the nuclear power is still taboo. Even now this subject is considered as taboo in Japan and the U.S. The burden to the later generations including the issue of nuclear waste is not being dealt with responsibly. It is time for all of us to recognize our duty as social beings to protect the life and health of the children we love, and to leave hope for their future.
 The whole world has been manipulated by the rhetoric of “peaceful use of nuclear energy.” Now is the time to pull out from this lie and to use art to bring awareness of the devil of nuclear power.

Anti-Nuke Power Art ©Curated by Keiko Koshimitsu

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photo by Ayakoh Furukawa-leonart