この、長引く引っ越し騒動で一体、私は何を学んでいるのか?再度、この国の成り立ち、その原点に戻らねばならない。大抵の場合、低所得者や移民達 vs 悪どい大家とのいざこざが絶えず、ニューヨーク市はいわば移民や部屋の借り主を守るための移民法(や、テナント法)を作った。弱い立場の人々を保護するためである。
少しずつ時代も変わり、アパートやハウスの借り主(店子)もサバイバルゲームを開始した。同時に、悪どい大家と弱者の店子、というパターンも崩れてきている。弱者のはずの借り主が、部屋やフロアを分割してルームメイトを募るケースも激増し、(これはケースバイケースで、大家が了承すれば問題はさほど生じない)借り主はルームメイトを入れることで自分自身の家賃を浮かせる、または差し引き少額は手に残る、というメリットがある。同様にルームメイト側も、高いレントそのものを払わずとも、キッチンやバス、トイレットは共同で使用するにせよ、自分の空間・ベッドサイズの部屋、をある程度の賃貸料金で確保できるわけなので、どちらにとってもメリットがある。
それでもなお、借り主にとって、毎月のレント・家賃の支払い・場所代は頭痛い。大抵が、家賃のために家賃を払うという(当たり前と思われる?!)義務に支配され、自らの時間を金で換算せねばならない。
ニューヨークの庶民はこんなふうに、いわば、、助け合っている。俯瞰した視座からは、もちろん、持つ者と持たざる者、資本主義やら政治や経済機構のおぞましい階層が見えているけれど。
話は戻るが、大家であれ、借り主がルームメイトを探すであれ、入居者のバックチェックは重要事案。お金はいくら銀行にあるのか?クレジットカード歴はクリーンか?仕事先や毎月の収入は?加えて、ここに移る前に住んでいたアパートなりなんなりの大家からのコメント、刑事訴訟歴、諸々。
しかしながら、オレオレ詐欺やマルチ商法が今もイーメイルや電話で後を絶たないように、このバックチェックも、確実ではなさそうだ。コロっと騙される。ただ、これも一般的なステレオタイプ思考回路に過ぎず、私たちは心眼を持って、心を開いて、物事の現象の本質をきっちり見極める必要がある。
私自身が今に至るも基本はサバイバー(と、サイボーグ)婆や。安穏とした優雅な日常を送っているわけでないとはいえ、ボチボチやってきている。強制立ち退きは何処でもゴロゴロ起きている、けれど、まさかそれが私たちの引っ越しを妨げている理由だなんて、今回の遅延(と背景)は、全くのところ滑稽すぎるし漫画すぎる。コロナゆえに仕方ない、のじゃなかった。コロナは、この占拠者の甘いお菓子のトッピングに過ぎない。この男は100%のプロフェッショナルなテナント(プロの店子)だったのだから。(既に、”引っ越しの顛末” 前回に書いた)とはいえ、、このようなサバイバーの存在もわからない訳じゃないよね。
私もオリンも、引っ越し先の裁判の結果を待ち、占拠者の強制立ち退きを待ち続けていた。しかしながら、オリンはとうの昔に頭の中を切り替えたものか、片ずけた絵の具やらペーパーやらカンバスを再び広げ、もう、何枚もドローイングを終えている。私は、というと、、、ブツブツ言いながら、箱に入れたミシンや裁縫箱を広げたり出したり閉まったり。シャットダウンしたコンピューターを再び起こしたり。
待っている以上、意識的に無意識的に、”待つ”という状況への期待感、不信感、希望や焦りやら何やら沸き起こり、当然落ち着かない。すると、数日前にこのように思い至った。
”ゴドーを待ちながら” 1954年、フランス人サミュエル・ベケットの戯曲。何かしらの不条理感。私は、私に集中することを忘れてしまっていたんですね。オリンを見習って、私がやるべき事を取り戻さなくては!