”若紫”. 神舘美会子 / みたち みえこ

みえこさんと初めてお会いしたのは、確か2012年でしたか。

遡る2011年3月11日、福島の三つ巴(地震・津波・原子力発電所の崩壊)の大災害は記憶に生々しい。被曝や汚染回避のため故郷を離れざるをえなかったたくさんの人々、津波による環境の壊滅的ダメージ、改めてその危険性を知るがゆえに原子力発電所の廃絶を求める声が高まり、2011年以降 ニューヨークのいたるところで沸き起こるデモや集会、その中でみえこさんと出会った。

みえこさんは美術大学卒業後 早くに海を渡り、ニューヨークに落ち着かれて後 テキスタルデザイナーとして第一線で活躍。ご子息の誕生後は、異国で生まれた子供達への語学・情操教育をサポートする私立学校を設立されたり、文字通り 八面六臂の大活躍。

前後するが、知人を通して、彼女の出版した ”Odyssey 遥かなる憧憬 ” という本の話を聞いてもいたし、わたしが訪問介護をしていたご家庭がどうもみえこさんの関係者らしかった、等々、接点がいくつもあったにもかかわらず、わたしがよく顔を出していたダウンタウンの老舗ギャラリー、128画廊でお会いしたことがそれまで一度も無かったのが いささか不思議でもあった。

のちに、この時期は彼女がまさに彼女自身の抱えてきた、そして内奥の忘却の部屋に封印してきた怒りや苦しみを いかに理性と感性で理解し分析し受容し、ついには解放してゆくか、ゆえに ”許し” を実現したか。その年月と被っていたことがわかった。

『 ”ある日突然、狂気の発作が襲って” きてから精神の回復に至る約10年間、素晴らしいサイコセラピストに支えられてきました、その間はほぼあらゆる活動からも アート制作からも 人々との交流からも遠のかざるを得なかった、それどころではなかったんです。間断なく脳内に出現する途方もないイメージに引っ張られまい、と これらのイメージをひたすら言葉に変換してきました。10年に及ぶセラピーの間、毎日、異世界の旅を日記として書いていました。書き続けた55冊に及ぶ大学ノート、ここには私の神話(異世界の旅)が詰まっています。それは私個人の神話です。そして、この体験を通じて、すべての人はそれぞれ固有の神話を持っているということに気付かされました。』

と、お話くださった彼女の、ご自身を取り戻すべく彼女の神話と原型に向かった長い旅の集大成として ”Odyssey 遥かなる憧憬” は出版された。 (この、彼女のギリギリの精神の淵での試みは、のちにユング派の推奨するアクティブイマジネーションの方法そのもので、あとがきを書かれた医学博士;老松克博先生は大変驚かれたそうだ。)

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みえこさんの第一印象は、”虫愛づる姫君” もじって ”言の葉愛づる若紫姫” がぴったりする。型にはまらない、やんちゃな童女が草むらを駆け回って、はらはら降ってくる言の葉・ことのは を追いかけている。いや、そうではなくて、どうも言の葉が彼女の周りに来たがるのかしら。創造の引き合う力。重力と引力とインスピレーション。何故か源氏物語が現前し、黄昏の室内に火を灯すことも忘れて彼女はそれら言の葉を優雅に紡いでいる。

以前、彼女に 『みえこさんは文筆家だし、絵描きであり、彫刻家であり、アクティビストでもあるよね。もし一つだけ肩書きにせねばならないとして、どれが一番貴女にとってふさわしい呼称なのでしょうね?』と尋ねたところ、『私は文章や詩を呼吸するように扱ってきた、社会や世界の不平等、反戦思想は10代に培われた。生活のためデザインもやってきた。けれど私はアーティスト。描いたり創造しているのが好きなのよ』との即答は明るい。天晴れ みえこ! ここにあり。 わたしの心は大喝采。

大人のための童話 “「Magic Toy」 第1話;マリーの冒険” 、一人の日本人男性の国際結婚を伏線に、全編を覆うニューヨーク社会への問題提起 ”プエルトリコの空はいつも青い” などもいずれこのブログにて紹介したいと思っています。

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