鈴木いづみと阿部薫、数年に一度は気になる存在。

阿部薫、伝説の天才的フリージャズ演奏家。彼の内宇宙をキリキリ絞り込んでゆく情念の竜巻、その火を噴く熱情は生命を焼き焦がし、螺旋階段を転がり落ちながら尚 身体への尊厳を踏みにじり、薬物の過剰摂取による夭折。享年29。

音速を超えるスピードを目指し 極限界へ捨て身の挑戦、この追随を許さぬ演奏スタイルは同時に酒と薬に激しく支配され 彼の破滅的感性に妻であったいづみは同調し、ほぼ同化してきた数年の結婚生活。互いが互いの精神を刺し違えてゆく年月は限りなく重い。

阿部薫、と呼ばれる生き様、エクステンションとしての彼のアルトサックス、彼の化身そのものでもある壮絶な音霊は パンクでありアンダーグラウンドや前衛の女王であり続けてきた妻・鈴木いづみの根源すら緩やかに引きちぎって来たのかも知れない。離婚、しかして二人は再び生活を共にする。

ほどなく薫のオーバードースによる事故死発覚。彼の亡き後 いづみは心の深淵の陰るスピードを直視せず、共依存という出口の探せぬ関係性、吹きすさぶ渦中ですでにズタズタの心的ケアも投げやり、同化すべく何もかもを失い、彼女そのものに食い込んでいる乾いた記憶、人生観を頼みに 晩年はその心情を小説に昇華した。

いづみは女優・モデルであったと同時に幾多の文学新人賞の候補に上がった奇天烈な小説家でもある。薫亡き後 8年という長年月その二人の関係を再構築するかのように薫の亡霊だけを網膜に映し 日々、彼の亡霊と共に過ごし、困窮する生活の果てに一人娘の傍で縊死を決行。享年36。

ご息女の鈴木あづさは、第一線で活躍する報道記者であり小説家でもある。 近年は 母親;鈴木いづみの生前の撰集に尽力している。そしてここに私は 一人の菩薩、沈黙の救済をひし、と感じてしまう。

『わたしのまえにだれも立つな』『わたしは男でもないし女でもないし、性なんていらないし、ひとりで遠くへいきたいのだ』 『生きる速度が問題なのだ。人生の絶対量は、はじめから決まっているという気がする。細く長くか太く短くか、いずれにしても使いきってしまえば死ぬよりほかにない。どのくらいのはやさで生きるか?』 『よわい人間は、やさしくなれない 』 『厚顔無恥な幸福は大きらいだ』 〜〜〜 鈴木いづみ語録から抜粋

俺は今どれだけ音を出せるか、どれだけスピードを出せるかって、もうそれ以外のことを考えていないんだよ。もうあらゆるものよりも早くなるということ。別に駆けっこする訳じゃないんだけど、そういう意味でのスピードじゃないんだけどさ、とにかく超スピードになるってこと。音を追い越しちゃうってこと。 ~~~~~~

~~~~~~ 音がビューッってベッド(注・阿部さんが演奏する唯一の場でもある池袋のジャズ喫茶)だったらベッドから飛び出しちゃってさ、ギューッと地球から飛び出て、どっか宇宙の果ての果てのもう宇宙がないって所までさ、その先までブッ飛んでくっていうようなそういうスピード。あと俺が出したいのは音じゃなくて、「静けさ」っていうんでもないけど、少なくとも音は出したくなくて。音出ているうちはまだまだ駄目だと思うんだよ。なるようにしたいっていうより聞こえなくなんきゃいけないと思うし、聞こえているうちはまだまだ遅い訳だよ。 JazzTokyo から引用