それこれあって、激動の2021年のスタートはこれまでの総括とも思えるし、終わりの始まり、という気分にもなるし、残された人生の見直しと軌道修正、本当の人生のスタート、と我が身を奮い立たせれば、なるほど。。そうなのかなとも頷ける。
S君の最大の強みは、『どのような艱難辛苦といえども最後は大笑いするのだから、何をくよくよ心配している?』『思い出してみて!奈落に突き落とされた苦しさも辛さも今は笑い話。必ず浮かび上がる。それを知っているではないか!?』。。そしてこの確固とした強靭さが、時として誤解もされれば ”ドラマクイーン”と呼ばれたこともありました。
ーーどうやら肺炎のステロイド治療も終えたO氏ではあったが、これでまたしても振り出しに戻ったにすぎず、定期的なスキャンも血液検査も欠かせない。どうやら頭の中、脳の腫瘍は完全に縮小しており問題はなさそう。流れとしては、ターゲットセラピーの副作用による肺炎、の後遺症での肺血栓が存在しているので抗凝個剤を経口薬ではなく注射・ショットに切り替える。こちらは ”エノクサパリン” というお煎餅を想起させる美味しそうな名前で、もちろん、本人自らが自分の身体に射つ。1日に一回、80ミリグラム。ということはエリキュイスの8倍の量なんですね。何なのだ。
ショットは一気に体内に流れるので血栓を溶かすには有効らしい。(確か、S君も2月の大腿骨頭置換手術の後、血栓ができやすくなるということで渋々このような効能のショットをひと月続けたよね)これが4月中旬のこと。経過も良く、5月下旬には再び以前のエリキュイスに戻る。
フィジカルセラピーやクリニック通い。その都度、お隣や誰彼に車を動かしてもらう迷惑は避けたい、S君の歩行は覚束ず、そうか、と言ってタクシー代もかさむし第一左足が動かせず、乗り降りにかなりの時間を費やす。大抵は運転手さんは親切に待ってくれるが、そういう日ばかりではない。
これもまた、怪我の功名?というか致し方なく中古車を購入。(S君の本音は嬉しかった。引っ越し以来、大きな買い物は市内バスを使っていたものの、これからはしばらくバス利用も無理だろうし、第一、脚がこんな状態だから一切の荷物は持てない)
マニュアルで16年前のホンダ、車種や値段や条件や色(渋いゴールドのタンカラー)までが思っていた通り!!早速、”本タン・ハヌマン・プリンス”と命名。天気も良い、O氏はぼちぼち調子が戻り、近隣のパークやタウンにドライブすることが増えた。
肝臓さーん、大丈夫ですかー? 4月下旬にはかなり大きな腫瘍がO氏の肝臓に所見。しばらく副作用続きのためO氏はそちらの治療に追われていて、基本的なガン治療は間が空いてしまっている。それゆえか、身体の弱い部分めがけて再びガン細胞が活発化してきたのか。4月下旬にはO氏、ほぼ危篤状態。。。
眠れず動けず食べれず立ち上がれず横になることもできない。ひたすら肝臓部位の痛みに耐えている。
検査の結果、今度はおそらくはO氏のガン細胞発生を阻止する条件にかなり合っていると思われるターゲットセラピーを再開、その名は ”ローブレナ”。どうして、たいていの治療薬は可愛らしい名前なんだろう、スーッと頭に入ってくる。もっとも、こちらでの英語・アルファベットではこんな単純なアクセントじゃないとは思う。毎日朝に一回、100mgの錠剤。当然であるがこれもまた、とびきりの劇薬に相当する。これが5月21日のこと。約1年以上経た今現在も継続している分子標的治療薬であります。
S君は杖を用いながら歩行訓練やらフィジカルセラピー通い。一切をO氏には頼れないので食べ物・野菜の買出し以外は全て自分で賄う、ことに靴下を履く、下着を身につける、爪切り、などは文字通り歯を食いしばって特訓。しかしこのように自分にかまけざるを得ない状況は、裏返せば否応なしにS君はS君自身に向き合わねばならず、気にはなってもO氏の介護はできない。そのような時期だけに、O氏にはローブレナが効いて危機を脱出できたのはとてもありがたかった。 ただ、、S君の身体事情から車を入手したっていうことがO氏には負担なのではないか?
O氏本人が治療の身で、連れ合いのS君のフィジカルセラピー通いを往復の運転でサポート。その頃にはS君は少しずつ外に出て、歩行訓練開始。O氏は、杖をつきヨタヨタ歩くS君を介助しないわけには行かない、 〜〜〜続く