O氏の治療歴, そして今これから。 その2

ビスビーの診療所や妹たちの勧めもあって、O氏はツーソーンのアリゾナ・オンコロジー にかかることにした。もう一つ、アリゾナ大学病院を選ぶ、という手もあったが一刻も無駄にはできない。さて、O氏の主治医は、かつてO氏実母の主治医でもあった!なんという因縁。O氏のガンは肺のみならず、骨にも肝臓にも脳にも転移しており、全くのところ猶予無しの化学治療スタート、これが2019年6月下旬。さらには免疫療法と併用(免疫治療を受けられることでどれだけありがたかったか、皆に羨ましがられた。ところがこちらが1年のちにその重篤な副作用を発生)。キモセラピー薬は ”アリムタ”、イミュノセラピー薬は ”キトルーダ”。

抗がん剤は時代遅れ?

脳への放射線治療もそうだったが、Xレイも血液検査も、スキャンもMRIも、その度に車を走らせねばならない距離にオフィスが点在しているので、O氏も S君も気が気でない。ツーソーンの大通りは半端ない車の洪水。カーブや出口を間違えると、元に正す時間の損失。いつも時間とにらめっこだった。

食い意地の張る S君は、O氏のキモ治療中、同じ治療室内への差し入れのクッキーだのドーナッツをいただくのが楽しみだった。しかも、オーガニックの厳選されたスイーツもあり、お医者様や看護師さんの『困るね、こんな甘いものを治療室に置かれては、、』という顔を横目に、O氏の隣でスナックタイムをしていましたよ。とても開放的なキモセラピー治療室だったのか(?)広い室内では、幾人もの患者さんがその治療中に家族や連れ合い、お友達と椅子を並べおしゃべりしている家庭的な光景。

さて、主要事案だったO氏の実父もすでに安らかに旅立ち、今は治療のためのみにビスビーに居ることが主になってきた。その頃はすでにビスビーでの農園の諦め、、少しは土を改良したかと思う間も無く、次々のインベーシブプランツ/侵入植物 がモンスーンの合間を縫ってニョキニョキと出現。鉢植えの草木はその強い陽光に根っこまで焼かれてしまう。S君は察する;これはひとえに私の思い上がりなんだ、この砂漠の環境はそれで中庸を保っており、むしろ、私らがこの地の侵入者なんだ。こんなにカラカラに見える土の下は何百という植物の種子が層をなしており、数ヶ月に渡るモンスーン期を心待ちにしている。しかも順番を守りつつ、引き抜かれる植物を待ってました、と即その後に次の植物が芽吹き一瞬のうちに成長する。

見方を変えれば、植物の世界も人間の世界も定住したり移住したり侵食したり、と。これまた現象界の雛形(類似)なのかと思う。

ところで、高額の医療費のことや、遠い距離を車で行き来せねば受けられない治療。これで良いのか、他のがん専門医の意見も聞いてみたい、O氏とS君はあれこれ話し合って引っ越しを決意。

デトロイト、ノースキャロライナ、ニューヨーク、ニューヨーク・アップステイト、と候補を絞るうち二人揃って ”アップステイト” のアイディアがストン!と腑に落ちた。文字通り腑に落ちた(笑)。

それまでにも遠方をヒーラーの方が来てくださったり、お友達にも色々とニューヨーク近郊のアパート状況やら食事療法などの相談をスタート。ビスビーはさすがかつてのビートニクやヒッピーで占められてるんじゃない?と思えるほど、皆、身体の不都合や病には一家言持っており自然治療が盛ん。ところでO氏は最初から化学治療を選んでおり、これが今に至るまでの S君との見解の相違でもある。

O氏はビスビーでの知り合いから勧められた本、その中に登場するケトジェニックダイエットに感化された模様。”まず身体を飢餓状態にして、ガン細胞に栄養を与えない”。これは裏返せば細胞全体も飢餓状態になるわけで、とてもじゃないが良い細胞も弱ってしまい、これではガンとの戦いも回復へのサポートもできなくなる。S君は、その点を言うのだけれど O氏は ”馬耳東風・ばじとうふう” 。最終的に、これでは栄養価も偏ってしまうし、第一、痩せすぎて力尽きて、本人自ら撤回。これは2019年いっぱい続いたね。

今は、副作用も半端ないので休んでるけれど、肺がんステージ4の名称をいただいて以来、O氏のヨガ、ダンベル、速歩または数マイルの散歩、などの運動は続行中。 〜〜〜〜続く