オリンが、”肺がんステージ4” という名称を授けられてから丁度3年になる。彼の病名を詳しく学術的に記すなら、”肺腺ガンALK変異陽性・非小細胞肺がん” と呼ぶ。
宣告を受けた3年前のこの日、それまでは特定できず何度か病名が変わってもいたので、”判明しました!これです!” と、きっちり差し出された清々しさ、と同時にそれまでの年月、喧嘩したり笑ったり旅に出たり助け合いながら二人で過ごしてきた日々が、突然その未来を制限されてしまったような理不尽な気持ちになったのを覚えている。
平均4年の余命、というのが定説だそうで、もし私たちが疑いもせず 淡々と『ああ、そうですか』と受け入れて、ひたすら化学治療に委ね一喜一憂しておれば、多分、私のストレスの度合いは少なかったのではないかな。何が起ころうと全て始めから予想もし、何がどうなろうとほぼ受容して諦められる。
私は当初から、できるだけ化学療法に頼らない自然療法を望んでいたが、オリンは待ったなしでキモセラピーを選び、今に至るまでの気の遠くなるあらゆる検査・化学・放射線治療を受け入れている。この3年で何度か危篤になり、そのほとんどの場合がキモ治療による副作用でもあり、副作用を治療する間は本来のキモ治療をストップせねばならない、するとヒソヒソしていたガンがよっしゃ!とばかり暴れ始める。その繰り返し。実のところ、薬が効いているのか、単に発生を抑えているだけなのか見当もつかない。
この3年間、周囲の人々からあらゆる意見や考えを伺った。友達も知り合いも義妹達も親戚も皆それぞれの体験や経験から暖かい、時には私自身を見つめねばならない真摯な意見、誤解も生じたり、それでも本当に心のこもった励ましや様々な情報や介護心得もいただいた。ありがたいです、私もオリンも本当に感謝の気持ちで溢れており、故にことばにならない。そして、、、、この感謝の気持ちが100%これまでの医療関係の皆さん、主治医や診療看護師、全ての皆さんにも向かっている。
希望は、薬の減量 〜 休薬 〜 断薬。私たちのこちらのお友達も色々この方向に向かっている明るいニュースを聞く。この3年で格段に私の料理の手際は上達してきた。味は今ひとつなのだけど、まずは治療食、主に野菜やオートミールやフラクスミールを用いて煮るか、蒸すか、スープにするか。病状や治療の種類によっては避けねばならない食べ物のリストが刻々変わる。(いずれ、これまでの食べ物やサプリメントなどのリストも書いておこうと予定しています。)
、、、このところ急速にオリンの肝臓のダメージがきつく、いっとき肝臓医の診察を仰ぐことになった。その時に、これまでの治療歴が必要、という流れになって、改めてびっしり溜まっている病院関係のプリントやらファイルに目を通しながら、『そうだ、これも何かの縁なのだ。この3年間を私なりにまとめてみよう。おそらくは何も変わらないかもしれない、でも何か気がつくこともあるのではないか?』その衝動で書き始めた。
すでにかなり書き溜めており、当時の私の考えと今現在の考えに矛盾を感じるかもしれないけれど、今の私は変わってしまったようだ。もう、オリン(と彼を取り巻く治療全般)を解放しよう。
オリンの治療を淡々と見守ろう。ニュートラルマインドで居よう。
2022年 6月13日、ニューバーグにて。 バック早苗